前回の記事の続きです
北陸本線を乗り継いで、金沢まで行ったあとに
北陸鉄道の乗り場を見に行くと
もと京王井の頭線の3000系を譲り受けた
8000系が止まっているのが見えました。
この8000系を見たのは、9年ぶりとなりますが
お顔はオレンジ色から、水色に変更されていました。
次に乗る北陸本線の電車まで、かなり時間があるので
改札の前で、乗ろうかどうしようか悩んでいましたが
結局、乗りに行くことにしました。
2番乗り場に留置していたのは
東京メトロ日比谷線の03系を譲り受けた車両で
北陸鉄道でも、03系と名乗っています。
切符を買って、水色になった8000系に乗りましょう。
8000系のドアは、製造時期によって
片開きと両開きの2種類あって
この車両は、片開きドアの最初期車です。
京王3000系は、北陸鉄道以外に
いくつかの地方私鉄で
第2の人生を歩んでいる車両がありますが
片開きドアの車両が譲渡されたのは
北陸鉄道だけなので、貴重な存在と言えます。
この車両は昭和37年製で
製造から既に60年以上経過しています。
割出駅に着いたときに、駅名板を撮ってみました。
ここは、日本全国の駅名を五十音順に並べると
一番最後の駅となります。
ちなみに、五十音順で一番最初の駅は3つ存在して
いずれも『あいおい』です。
『相生』が兵庫県と岐阜県にあって
『相老』が群馬県にあります。
この写真は、兵庫県の相生駅です。
原形の車内スピーカーは、こんな感じで
よく見ると『KTR』の文字が見えます。
そのまま、車内動画を撮ってみました。
内灘に着いたら、9年ぶりの8000系の乗車は以上です。
その横には、日比谷線時代の
カラーリングのままになっている03系がいました。
改札を出て、日比谷線カラーの03系を撮影しました。
03系を撮った場所から
駅に止まっている8000系を撮りましたが
留置している車両は、03系ばっかりで
既に浅野川線からは引退していて
浅野川線の元京王3000系自体が
さっき乗った車両しか残っていないそうです。
ただこれに乗るためだけに、内灘に来たけれども
8000系が1本しかなくなったことを知ると
乗っててよかったなと感じました。
その後、ファミマの近くから
内灘駅を出発する8000系を撮影しました。
去っていく様子を撮影して、駅に戻りました。
駅に戻った時に、駅舎を撮りました。
次に乗った電車は、03系の03-129Fです。
帯がオレンジ色になっていて、まるで銀座線のようです。
色が変わっていますが
帯の配置は、日比谷線時代を踏襲しています。
また、この03系の行き先表示は
北陸鉄道で初となる、フルカラーLEDとなっていて
より見やすくなっています。
さて、03系に乗りましょう。
車内は、ほぼ日比谷線時代と変わらない感じです。
乗った時に最初に目が合う、車内のドアです。
複層ガラスの後期型となっています。
また、東京と違って雪が多くて寒い地域を走るため
ドアの横には、ドアボタンが設けられています。
すべてのドアの上に、客室案内表示機がついています。
運転台の様子です。
8000系と異なり、ワンハンドルとなっています。
天井の様子です。
妻面を見ると、貫通扉が撤去されていました。
発車時間が近づいたので
ドアが閉まる様子を撮ってみました。
東京メトロ時代と同じドアチャイムが鳴ります。
なお、ドアボタンで開閉したときは
ドアチャイムが鳴りませんでした。
ドアが閉まったあとに、発車メロディが鳴ってから
列車は内灘駅を出発しました。
この03系は、北陸鉄道で初めてのVVVF車です。
無人駅では、前の車両の一部のドアしか開きませんが
後ろの車両でも、ドアチャイムは鳴っていました。
そういえば、本家の東京メトロでは
無人駅に着くと、客室案内表示機は
駅名が出た後に『整理券をお取りください』と表示しました。
三ツ口駅で、最初に乗った8000系と行き違いました。
七ツ屋から北鉄金沢までの動画です。
金沢駅の在来線が、すべてIRいしかわ鉄道になったら
乗り換え案内の『JR線』はどうなるでしょうか?
北鉄金沢に着いたら
2番乗り場に留置している
ラッピング車との並びを撮って、改札を出ました。
9年ぶりの北陸鉄道の記録は、これで以上です。