24/6/18 | クリスチャンリンゴ事件簿、アッパールーム編のブログ

三つよりの糸

信仰とは相対性を構成する何かであり、私と相手という二本の糸に対して、結び合わせる透明な糸をイメージすることができる。互いの間に愛の構成要素であり、それそれの個性を通した自由(透明)を保証してくれる。それに対して不信の人々の心は、互いの間を支配する世の言葉への依存であり、自分が満足する科学的な根拠(答えのある世界)というものを、互いの間に所有(証拠を示して相手を説得)しようとする。既成事実による独裁と依存は、互いの間に置かれたコンピュータによるみつよりの糸ということになる。

 

ひとりよりふたりが良い。共に労苦すれは、その報いは良い。倒れれば、そのひとりがその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友のいない人は不幸だ。更に、ふたりで寝れば暖かいが、ひとりでどうして暖まれようか。ひとりが攻められれば、ふたりでこれに対する。みつよりの糸は切れにくい…コレヘト4:9~12

 

個性の自立は、互いの間の状況(相手が私を必要としてくれている)に対して、すぐに行動(非言語)に移せるが、依存によって拘束された自分は、依存先の支配者の許可が必要ということになる。自らの身体に絡まった他者の言葉(社会的な存在)は時という運動を固定(操作し、操作され)させていく。私たちの間はアナログという共通感覚によって相手を認識することができるが、彼らはの間はデジタルというコンピュータてあり、他者が決めた前提(ノーハウ)によって肉体(自分の意志ではなく、ノーハウの意識)が操作されていく。多勢によって組み合わせられた王の位(偶像)は、自分の意志で動くのではなく、多勢の意志によって自分の意識(役割を演じる)が操作されている。

 

貧しく利口な少年の方が、老いて愚かになり、忠告を入れなくなった王よりも良い。捕らわれの身分に生まれて王となる者があり、王家に生まれながら、卑しくなる者がある。太陽の下、命あるものが皆が、代わって立ったこの少年に味方するもを私は見た…コレヘト4:13~15

 

誕生から死までの人生行路に対して、彼らは社会というヨコ糸によって流されていく。それに対して私たちは句読点(非言語)という自らの意志(タテ糸)を通して、言語の海に方舟を出航させる。世に対して自由(沈黙)であり、自分と相手の間にイエスキリストという透明な糸が私たちを結び合わせてくれる。

 

また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、私の天の父がそれをかなえてくださる。二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいる…マタイ18:19~20

 

中島みゆきの「糸」にはヨコ糸(左右に分かれている自分と相手の相対)を通して、タテ糸(二人または三人が私の名によって集まっていところには、私もその中にいる)と歌っている。

 

  • 相対論とは。ある範囲の座標系がすべて物理的に同等であって、これらのどの座標系でも物理法則はまったく同形(記号)でなければならないという要請を相対性原理という。相対性原理の要請を満たす物理理論を相対性理論という。ニュートン力学ガリレイの相対性原理を満たし、すべての慣性系を同等とみなす相対性理論である。しかし,これを除外して,普通は相対性理論といえば A.アインシュタインが提唱した特殊相対性理論一般相対性理論統一場理論(時空間の運動)をさす…コトバンク
  • ユングは、集合的無意識に様々な元型の存在を認めたが、それらは最終的に自己(Selbst)の元型に帰着すると考えた。自己の元型は)全体の中心にあると考えられ、外的世界との交渉の主体である自我は、自己元型との心的エネルギーを介しての力動的な運動で、変容・成長、理想概念としての「完全な人間」を目指すとされた…ウィキペディア

24/6/12ブログ参照