24/6/2 | クリスチャンリンゴ事件簿、アッパールーム編のブログ

不安定を受け入れる

世は安定(固定)を求めて、人は既成事実が形成されている時代に依存しする。人はその安定(社会的な肩書)を通して、その仮面によって真の自分を消していく。私たちはそれに対して不安定(運動)を通した、互いの間である複合体的な感覚によって自らを判断していくことを、聖書によって学び始めている。私たちにとって社会の意味よりも、固定と運動とは何かという二つの価値の間を聖書が明確なロゴスによって語られていることを知っている。

 

キリストは肉によって苦しみをお受けになったのですから、あなたがたも同じ心構えで武装(ロゴス)しなさい。肉の苦しみを受けた者は、罪とのかかわりを絶った者なのです…第一ぺトロ4:1

 

肉とは他者と同じ言語(固定された機械的な装置)であり、表層(仮面)を通した映像によって、その形(美辞麗句)が評価される。人に好かれる自分のイメージをつくるか、自分のイメージを人に強制していく。それによって流行が発生し、その強制(時代のイメージ)によってメディアメッセージが有効性を発揮されていく。それらはすべて固定された既成事実を前提に組み立てられていく。彼らは自分の欲望のまま、右往左往する日々を過ごしていく。

 

私たちはロゴスという中心をイエスキリストによって与えられているので、凧(我が身)と糸(神の御心)のように、右往左往する時代の風によって自分を失うことがない。それが私たちの信仰(残りの生涯)であり、私は私に与えられた生涯を生き抜くことになる。

 

それは、もはや人間の欲望にではなく、神の御心に従って、肉における残りの生涯を生きるようになるためです。かってあなたがたは、異邦人が好むようなことを行い、好色、情欲、泥酔、祝宴、暴飲、律法で禁じられている偶像礼拝などにふけっていたのですが、もうそれで十分です。あの者たちは、もはやあなたがたがそのようなひど乱行に加わらくなったのて、不審に思い、そしるのです…第一ペトロ4:4

 

私たちは運動(生命の鼓動)を通して語っている。それは内なる世界であり、外は時計仕掛けの他者の心(多勢を動かす時代の価値)によって精神が消され肉(メディアメッセージ)が動かされている。

 

24/5/24ブログ参照