24/6/1 | クリスチャンリンゴ事件簿、アッパールーム編のブログ

縺れ絡まる糸と機織りの糸

時代を形成する一般論は自他の混交という集団意識であり、そのためには既成事実という前提が必要となる。それは集団を統制するための社会的な制度であり、日本では三権分立のタテマエで、法的に裁きが行なわれる。有識者たちは、その前提によって論争し、右往左往した現象という時代の形(メディアメッセージ)が日々を動かしていく。それに対して、私たちは個人的な信仰の世界を通した言葉によって生きようとする。その結果、外の言語環境にガンジガラメにされている日々を実感することになる。パウロは自らの肉の外側の言語群を指し示し、自らの内なる世界を通して、時代と分離した言葉の世界を語ることになる。

 

それで、兄弟たち、私たちには一つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。肉に従って生きているなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです…ロマ:12~14

 

分離(肉と霊)という中間領域が私たちの信仰の空間であり、私たちの生き方は機織のように、タテ糸とヨコ糸という内なるインスピレーションを用いて、現象という既成事実に固定された言語の海(デジタル)を自らの感覚器官(方舟)によって生きていくことになる。私たちは多くのアーチストの作品によってインスピレーションの造形という作品によって心が救われる。それは世の意味(既成事実)ではなく、心の意味(透明)ということになる。パウロは牢につながれていながら、讃美歌(心の叫び)を通して牢につながれている人々に感動を与え、たとえば、米津玄師、藤井風、そして中島みゆきのように、タテ糸(インスピレーション)を通した左右のヨコ糸を作詞していき、一人一人に何かを気づかせ生きている意味を伝えていく。

 

あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によって私たちは「アッパ、父よ」と呼ぶのです。この霊こそは、私たちが神の子供であることを、私たちの霊と一緒になって証ししてくださいます…ロマ8:15~16

 

聖霊に導かれて自らの言葉で語る。それは相手の外の言葉()を透過していく光であり、闇に染まれば信仰(時代と同化)は死ぬことになる。私のブログは外に染まらないための内なる叫びというこになる。次の聖句を信じて、自信を持って表現していく。

 

もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストの共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです…ロマ8:17

 

私にとって生きるとは、暗闇に留まるとこではなく、暗闇から抜け出した未知(インスピレーション)への旅であり、イエスが神の御心という空間を求めたように、私もイエスの心を用いて神の御心(白紙)に自らの絵(機織による作品)を描くことが人生となる。

 

  • 虚実の差異である「オデュッセイア」は、詩の意味を伝えていく。ペネロペはいま織っている布が仕上がれば、求婚者の一人と再婚すると宣言した。実は彼らを欺くために昼間は織り、夜はそれを解いていた。機織りを弁証法の法則の象徴と見なし、縦糸は前提、横糸は結論、ペネペロを照らす灯り(運動)は理性の光と解釈した…西村賀子
  • 髪の縺れ、嘘のかたまり、社会的行為の織物はそうしたものである。錯綜した知的体系、欺瞞の織物、科学と呼ばれる織地(デジタル環境)、これらすべて、網もしくは結合組織である。仲間になるとは、網状織物をつくることである。デュラーの結び目とレオナルドの連結模様。 魂は上昇するとき、衣服を脱ぎ、結び目をはずし、縛り目を緩め、縁を切る。これらの結び目の総計が「プシュケー」と呼ばれる…ノーマンブラウン

24/5/30ブログ参照