24/5/24 | クリスチャンリンゴ事件簿、アッパールーム編のブログ

試練を通した光

他者の心にすがり、社会制度という乗物にキップ(合格)を通して、順調に上り詰めた身分(肩書)も、組織の一部の悪意に策略により瞬時に落下の一途を経験するこになる。社会的な信用をなくし、キップはただの紙くずにされ、他者の心という過去の実績(社会言語)が無に帰されることになる。多く人々が口先一つで成功する物語は、SNS環境の常套句に過ぎない。現実は非言語という肉体的な試練によって多くの人々がほら吹きの言葉の影で苦しんでいる。私も非言語を通して、時代の試練と戦っている一人あり、肩書の言葉を暴いて彼の実績を問うことになる。

 

こうゆうわけて、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。それこそ、あなたがたのなすべき礼拝です…ロマ2:1

 

時代の悪意(業火)にさらされるという生き方であり、彼らは正義は多勢(イイネ)であり、一人一人の苦悩の姿が反映されていない。試練のない光(個々の運動体)など、私たちには意味をなさない。彼らは自らが動かないで、時代の言語に乗せられて移動しているに過ぎない。移動と運動とは異なるという表現を私たちは言語化していく。

 

あなたがたは世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心てあるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようにしなさい…ロマ12:2

 

移動(他者にイイネ)という言語的な認識から、自分(個性)と相手(個性)という互いの間というものを想像(イメージ)できる神の御心というものを持たなければならない。それは依存の愛(人形)から、人の間という精神作用を通した、アート感覚というものを表現していかなけければならない。人(社会につくられた肩書)ではなく、間(相対による自分の立場、相手の立場)という双方の個性の在り方ということになる。

 

愛に偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いを愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。怠らずに励み、霊に燃えて、主に仕えなさい…ロマ12:9~11

 

彼らの光は電波のよるサイクル(デジタル環境)という社会性によって発光している人工(人工衛星から見た地球)であり、私たちの光は、暗闇(社会)を通した試練(受難物語)からの生きようとる勇気(熱情)ということになる。勇気(運動体)と暗闇(文明に依存している固定観念)とは異なる。

 

24/5/17ブログ参照