24/5/6 | クリスチャンリンゴ事件簿、アッパールーム編のブログ

接して何かが発生する

何かに遭遇する。人の反応(前提にない)は無視する、拒絶する。接して何なのかを自分なりに判断しようとすることをしない。私にとって信仰とは、好奇心(私であって私でない)であり、生きていく糧(精神作用)であり、時の意味ということになる。ペトロは、そのようなイメージを私たちに与えてくれている。

 

愛する人たち、このことだけは忘れないてほしい。主のもとでは、一日が千年のようで、千年は一日のようですが、主の約束の実現を遅らせているのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために、忍耐しておられるのです…第二ペトロ3:6~9

 

神の時は瞬間であり永遠であるという空白の時(白紙)であり、それに対する人の時は起点と終点という間の流れを前提とした、その間の出来事と物事の奪い合いの日々ということになる。その結果が時代であり、文明都市として、

日々の生活を時代に同化されながら、時代と共に流れていく。彼らは、時代の価値に反論するような相手(同化しないで点在している意見)に対して無視する。時代人にとって点在という個々の意見は、自分の内にないという意味であり、時代(既成事実)というコンピュータの知識が彼にとってすべてということになる

 

主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しく音をたてながら消え失せ、自然界の諸要素は熱に焼き尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれます。このように、すへべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません…第二ペトロ3:10~11

 

無視する。拒絶するという生き方は、時代の枠組に閉じ込められた精神であり、自分が世から所有した出来事と物事に執着している人生を意味する。そこには、神の愛という光(通路)が遮断されていることを意味する。

 

だから、愛する人たち、このことを待ち望みながら、傷や汚れが何一つなく、

平和に過ごしていることを神に認めていただけるように励みなさい。また、

私たちの主の忍耐深さを、救いと考えなさい。それは、私たちの愛する兄弟パウロが、神から授かった知恵に基づいて、あなたがたに書き送ったことでもあります。彼は、どの手紙の中でもこのことについて述べています。その手紙には難しく理解しにくい個所があって、無学な人や心の定まらない人は、それを聖書のほかの部分と同様に曲解し、自分の滅びを招いています。それで、愛する人たち、あなたがたにこのことをあらかじめ知っているのですから、不道徳な者たちに唆されて、堅固な足場を失わないように注意しなさい

…第二ペトロ3:14~17

 

堅固な足場とは、命が結晶化されたロゴスという神の言葉ということになる。神と人との接点を通して造形されていく感覚であり、商品のような物質ではなく、神と人との間(キリストの言葉)に造形(作品)される空気感(気分)ということになる。

 

キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心からほめたたえなさい…コロサイ3:16

 

  • ロゴスとは光である。そして人間の心の中に持っていると思われる嫉妬心や怨念などの汚い根性は闇である。闇というのは真空と同じくそれ自体は存在ではない。光が欠如しているか、もしくは不足している状態だ。従ってどんな悪人と言われる人でも、それは光に恵まれなかっただけのこと、その人を愛と信仰を浴びせ、理を以って説く、つまり、ロゴスを与えれば人間本来の姿、つまり真の人間になっていくのだ…会田雄次