24/5/5 | クリスチャンリンゴ事件簿、アッパールーム編のブログ

心の闇と光

人は心の世界というものを神から与えられ、心によって描くという賜物を行使することができる。それは詩のように、現象(文章)から得るのではなく、神による啓示として与えられている。だが、多くの人々の心は社会という人々との集積物(ネットワーク環境)によって、心を闇に代えていく。ヨエル書は、その様子を詩(預言)に托して、私たちに伝えてくれている。それは集団意識(個々の無責任)であり、そのような人々の群れであり、一人一人の意識は消されいる。

 

それは闇と暗黒の日、雲と濃霧の日である。強大で、数多くの民が、山々に広がる曙の光のように襲ってくる。このようなことは、かって起こったことはなく、これから後も、代々再び起こることはない。彼らの行く手を、火が焼き尽くし、彼らの後ろには燃える炎が続く。彼らの来る前、この国はエデンの園のようであった。彼らの去った後には、滅びの荒れ野が残る。何ものもこれを逃れえない…ヨエル2:2~3

 

エデンを襲うイナゴの群れのように、心を奪われた人々による群れの行動は、私たちの心をズタズタに引き裂いていく。それゆえ、私たちは引き裂かれた心を通して、新たなイメージを描くという心が与えられている。それは、受難(イエスの生涯)を通さなければ、真のメッセージが受け取れないという意味となる。

 

私がお前たちに送った大軍。すなわち、噛み食らういなご、移住するいなご、若いいなご、食い荒らすいなこ、食い荒らした幾年もの損害を私は償う…ヨエル2:25

 

私たちにとって信仰を持つとは、新しい世界を描ける心を持つということであり、過去の損害を計算することではない。私は私の心というものを持ち、私たちの心を食い荒らす情報洪水のような流れを心の闇として、私たちは神の光のみを求めて歩みを進める。

 

お前たちは豊かに食べて飽き足り、驚くべきことをお前たちのために成し遂げられ主。お前たちの神なる主の御名をほめたたえるであろう。私の民は、とこしえに恥じを受けることはない…ヨエル2:26

 

外の闇を歩く日々(世の現象)に、心の内に主の光によってすべての出来事と物事が、新しく神の恵みとして甦ることになる。信仰に生きるとは、人に対して闇の言葉を避け、光りの言葉で互いに引き裂かれた心の傷を包み合うことができる。それは秘められた心の世界によって可能な再生能力(代謝機能)という運動(肉体=)を意味することになる

 

  • 代謝とは・・・代謝(たいしゃ、metaboilsm)とは、生体内で生じる全ての化学変化とエネルギー変換のことである。さまざまな栄養素が合成・分解されていく過程を指す。代謝の過程を物質の面からみた場合を物質代謝と呼び、エネルギー変化の面からみた場合をエネルギー代謝と呼ぶ。物質代謝には異化と同化の2つの過程がある。エネルギー代謝には基礎代謝・活動代謝・食事誘導性熱代謝の3種類がある。
  • 従って小説において、薄い殻をとりのぞいて言葉の機能を働かせたあと、すなわち、一冊の小説を読み終えた後、閉じられた本は、落花生の殻の堆積のごときものである。ところが詩は、真にそれを読んだ者にとっては、言葉の機能がそのままひとかたまりの錘となって、肉体=魂のうちにしっかりとくいこんでしまうのである。そこで詩(運動)には、読み終えることがない。いったん人間が詩に遭遇すると、その出会いはつねに進行中である…大江健三郎