24/4/5 | クリスチャンリンゴ事件簿、アッパールーム編のブログ

私の意識は無関係

私は自らを拒むことはしないが、相手からは無関係を宣言されてしまう。それは私のブログを相手に示すと、それまでの関係がギクシャクとし始める。その結果、彼らは世間体という環境に所属しているという意味をこちらが察知することができる。互いに心を閉じ、互いに表面的な挨拶を交わすことに留まる。私のブログは世間体という枠組を消し、個の世界を相手に示していくのだが、世間(枠組の内)に依存している相手には、私は無意味な存在(ホームレス)として、相手は個の意見(疎外者)を無視していくことになる。

 

一同がほかの弟子たちのところに来てみると、彼らは大勢の群衆に取り囲まれて、律法学者たちと議論をしていた。群衆は皆、イエスを見つけて非常に驚き、駆け寄って来て挨拶した。イエスが「何を議論しているのか」都7お尋ねになると、群衆の中のある者が答えた。「先生、息子をおそばに連れて参りました。この子は霊に取りつかれて、ものが言えません。霊がこの子に取りつくと、所かまわず地面を引き倒れるのです。すると、この子は口から泡を出し、歯ぎしりした体をこわばらせてしまいます。この霊を追い出してくださるようにお弟子さんに申しましたが、できませんでした…マルコ9:14~18

 

私たちは信仰を知らなかったときは、世間に対して口がきけなかった。この聖書のエピソードに出て来る子と同じ状態であり、世間という常識に違和感を感じながらも、その意味を語ることができなかった。

 

イエスはお答えになった「何と信仰のない時代なのか。いつまで私はあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子を私のところに連れて来なさい。人々が息子をイエスのところに連れて来た。霊は、イエスを見ると、すぐにその子を引きつけさせた。その子は地面に倒れ、転び回って泡を吹いた。イエスは父親に「このようになったのは、いつごろか」とお尋ねになった。父親は言った「幼い時からです。霊が息子を殺そうとして、もう何度も火の中、水の中に投げ込みました。おできになるなら、私どもを憐れんでください」イエスは言われた「できれば」と言うか。信じる者には何でもできる」その子を父親はすぐに叫んだ。信じます。信仰のない私をお助けください」…マルコ9:19~24

 

信仰とは自分の存在を確信する意味であり、その瞬間に、世間と自分の分離(聖俗の間)が始まる。そして、世間(群衆)という枠組を解かれる意味となる。

 

イエス群衆が走り寄って来るのを見ると、汚れた霊をお叱りになった「ものも言わせず、耳の聞こえない霊、私の命令だ、この子から出て行け。二度とこの子に入るな」すると、霊は叫び声をあげ、ひどく引きつけさせて出て言った。その子は死んだようになったので、多くの者が「死んでしまった」と言った。しかし、イエスが手を取って起こされると、立ち上った。イエスが家の中に入れられると、弟子たちは密かに「なぜ、私たちはあの霊を追い出せなかったのてしょうか」と尋ねた。イエスは「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」と言われた…マルコ9:25~29

 

祈りとは神との対話(ロゴス)であり、ロゴス(身体感覚)というものは外に不在の真空の空間であり、そこに時間としての私が参加できる場ということなる。今の時代、イエスのような奇跡を外に対して行なう人々は、たいていの場合、教祖と崇められる偽預言者(サタン、偉人と崇められるマンガの世界)ということになる。

 

  • 「疎外」というのはすぐれて哲学的な概念であるが、この概念は、現代社会において人間の状況をあらわすシンボルとして広範な人々の間で取り上げられている。一つの哲学的概念が広く社会的なシンボルとして機能することはめったにないが、その概念が哲学的な問題を表現しているばかりではなく、重要な社会的な問題を表現しているからであるに違いない。現代社会のなかで生活するすべての人間が感じている切実な問題として我が国においてばかりではなく、資本主義や社会主義においてさえも、社会的な声として機能している…竹内良知
  • ロゴスとは光である。そして人間の心の中に持っていると思われる嫉妬心や怨念などの汚い根性は闇である。闇というのは真空と同じくそれ自体は存在ではない。光が欠如しているか、もしくは不足している状態だ。従ってどんな悪人と言われる人でも、それは光に恵まれなかっただけのこと、その人を愛と信仰を浴びせ、理を以って説く、つまり、ロゴスを与えれば人間本来の姿、つまり真の人間になっていくのだ…会田雄次
  • メドゥーサ(サタン)の頭を見た者は、恐怖で硬直した石に変わる。硬直したものとは死体であり、そして勃起である。あらゆる王制の省略形たる石の男根、途方もない野心すべての最終目標、石が性器化されると、去勢(信者)と勃起(教祖)が同時に起こる…ノーマンブラウン

24/3/28ブログ参照