24/4/3 | クリスチャンリンゴ事件簿、アッパールーム編のブログ

霊の化身

人は霊的(透明)なものは無にひとしいとして通過してくれる。それに対して私たちは呼吸を通して透明なものを意識(霊の存在)している。それは私にとっての信仰であり、大気に包まれた地球のように、羊水に包まれた胎児として神の御心に包まれている。それに〝気づかされた〟ときから、自然との接触が始まり、そこに隠された〝神の摂理〟というものを見い出すことができる。世は世であり、私に隠された(世の環境から神の御心の空間へ)を通して、自分の生き方は、世に倣うのではなく、神との関係によって定められているように生きていくことができるようになる。そんな、生き方が、旧約のイザヤ(霊の化身)という預言者と、ヒセキアの間(イザヤからの手紙)にも交わされることになる。

 

彼らはイザヤに言った。ヒゼキアはこう言われた「今日の苦しみと、懲らしめと、辱しめの日、胎児の産道に達したが、生み出す力がない。生きる神をののしるために、その主君、アッシリアの王によって遣わされて来たラブ・シャケのすべての言葉を、あなたの神、主は恐らく聞かれたことであろう。あなたの神、主はお聞きになったその言葉をとがめられるであろうか。ここに残っている者のために祈ってほしい」…列王記下19:3~4

 

今の時代も旧約の時代と同じであり、偶像化された神に依存している人々が時代の価値を破壊し続けている。イスラエルとパレスチナ、ロシアとウクライナ、そして二極化された世界(アメリアと中国)の覇権争い。私たちは偶像にののしられ意識を無視されているが、胎児が産道から出られない世界(沈黙)を意識して生きている。

 

ヒゼキアはこの手紙(イザヤからのメッセージ)を使者の手から受け取って読むと、主の神殿に上って行った。ヒデキアはそれを主の前に広げ、主の前で祈った「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ、あなただけが地上のすべての王国の神であり、あなたこそ天と地をお造りになった方です。主よ、目を開いて御覧ください。生ける神をののしるために人を遣わしてきたセンナケブリの言葉を聞いてください。主よ、確かにアッシリアの王たちは諸国とその国土を荒らし、その神々を火に投げ込みましたが、それらは神ではなく、木や石であって、人間の手で造ったものに過ぎません。彼らはこれを滅ぼしてしまいました。私たちの神、主よ、どうか今わたしたちを彼らの手から救い、地上のすべての王国が、あなただけが主なね神であることを知るに至らせてください」…列王記下19:14~19

 

隠された神である主は、一人一人の心(胎児の世界)に宿っているのだが、それに気づくまえに、人は世の価値(言語の海)に染められ、命(世に誕生した生命)を利用し、人工物に加工することが人生(デジタル環境)であるという偶像化に狂騒しているに過ぎない。既成事実を前提とした理性(整合性を通した科学的な根拠)を脱して、反転した世界観をアンチテーゼ(シュールレアリスム)として示していく。言語の海という環境から互いの間のディンタンスへ

 

  • 理性の支配(コンピュータ)を脱して、非合理なものや意識下の世界を好んで表現する絵画、詩などの芸術革新運動。第一次世界大戦後のフランスで、ダダイズムにつづいて起こり、フロイトの潜在意識とリビドーの理論(子宮的なイメージ)、未開の心理、精神病者の知覚などをとり入れている。詩人ではフランスのブルトン、アラゴン、エリュアール、画家ではアルプ、エルンスト、キリコ、ダリなどの作品に代表される…コトバンク
  • 現代人が形(shape)を与えようと努力している世界は、もはや彼ら自身の世界ではない。少なくともこれが、多くの芸術家や社会学者が我々の世界からの疎外を、あるいは私なりの言い方をすれば否定的擬人化の過程を話題にする際に語る不平である。我々の仕事、我々の制度、我々の環境はもはや、我々自身を反映していない。現代人の経験がこのような抽象化されたのは、測定可能なものへの偏愛(コンピュータによって実現可能な世界)の世界であり、人間的な形態(システム)を追放してしまったからである…ジョン・オニール

24/4/1ブログ参照