24/2/17 | クリスチャンリンゴ事件簿、アッパールーム編のブログ

言語の裏の情緒

世に使われる言葉は、それぞれの都合を示すための合理性を追求(理性)し、また、情に訴えるための言葉は人を誘惑するための方便(感性)とされていく。世は、人を殺す武器を裏に、情の言葉で誘惑することを前提にした言語環境で成り立っている。有識者たちは理性と感性を使い分けて要領よく時代という言語の海を泳いでいる。私たちは不器用を前提にした中庸の生き方(私の生きている意味)を追求し、相手の文章に句読点を置いて、自らの見解というものを造形していく生き方を通して、時代の海と戦っている方舟ということになる。。私たちは聖書を通して、神の悪魔という二つの心を学んでいるので、口先の雄弁である彼らに対して、ロゴスという身体感覚の造形(心象)として生きている。それは隠された情緒を読み解くための霊的な訓練を通して、自らの言葉で状況を語っていく。

 

だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。私たちは互いに体の一部なのです…エフェソ4;25

 

身体感覚()の一部という世界観は、世の体系化という組織の機能を通した合理性からは得られない世界であり、世(コンピュータ)によって綴られていく二次元の世界は、我が身という三次元の世界を無視した言語の海という感覚で日々を過ごすことになる。相手が語る言語の裏(忖度、情の誘惑)が、表の常識の強要という自己都合の武器として使用(トランプカードの表裏、ポジとネガ。ビートルズのアイアムザウォルラス)していることを悟り、黙って、その場(世の常識を通して多勢を呼び集めて私を攻撃)から立ち去る。

 

怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはなりません。悪魔にすきを与えてはなりません。盗みを働いていた者は、今から盗んではなりません。むしろ、苦労して自分の手で正当な収入を得、こまっている人々に分け与えるようにしなさい…エフェソ4~26~28

 

ロゴスとは身体(三次元、欲望の集中砲火を浴びるヌードモデル)から出る言葉であり、物と物の間(両壁の壁)の通路を行き来する透明な空気感(喜怒哀楽)ということになる。だから、その形を求めることができない造形(アート感覚、ヌードモデルの側の隠された情感)であり、形(体系化に依存している人々の悪意)の内にある欲望(消しゴムで書く)を消し去っていく。

 

悪い言葉を一切口にしてはなりません。聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているからです…エフェソ4:29~30

 

信仰を通した私たちは、二次元の闇(海が割れた両壁の壁、互いの正当性の主張による分離された紛争環境)に隠された日々(安部公房の文章)を過ごしているということであり、コンピュータの視界からは消された世界(疎外、モグラの地下世界)に住んでいる。だが、触れた感覚(三次元という身体感覚)に気づけば、あなたは私のすぐ隣りにいることになる。

 

  • あきらめることを知らない精神でなくては、とても発明はできない。人は導かれて壁の世界にはいる。ここは人間の生活と宇宙の法則とが交渉する場であって、あ、壁は無い。そういっても、これは壁において絶望的に発見された世界です。もし諸君が欲するならば、これを精神の解放と呼んでもいいでしょう。しかし、解放とは運動の持続の属性であって、精神が特定の状態に入りこむこととは違うのだから、壁は有る、また壁はない。いや壁はやっぱりありますね。安部君がチョークでそこに絶望的に描くために、世の中には壁というのが有るのです…石川淳
  • 「疎外」というのはすぐれて哲学的な概念であるが、この概念は、現代社会において人間の状況をあらわすシンボルとして広範な人々の間で取り上げられている。一つの哲学的概念が広く社会的なシンボルとして機能することはめったにないが、その概念が哲学的な問題を表現しているばかりではなく、重要な社会的な問題を表現しているからであるに違いない。現代社会のなかで生活するすべての人間が感じている切実な問題として我が国においてばかりではなく、資本主義や社会主義においてさえも、社会的な声として機能している…竹内良知

24/2/11ブログ参照