24/1/4 | クリスチャンリンゴ事件簿、アッパールーム編のブログ

海と方舟の関係

時代とは私の状況ではない。それは陸地に点在し、最小単位の土地を所有している植物(タテ糸という魂)である私(個性)であり、海(言語の海、あるいは時代という川)とは私の外(出来事と物事)であり、生きるための訓練(キャリア)が必要な場ということになる。人は心の内には時代を乗り切る船乗りの自分(人格という波に浮き沈みする建物)を持たなければならない。そして、世の前提(タテマエ)を語っている人の心の内を確かめなければならない。

 

人々に、次のことを思い起こしなさい。支配者や権威者に服し、これに従い、すべての善を行なう用意がなければならない。また、だれをもそしらず、争いを好まず、寛容で、すべての人に心から優しく接しなければならない…テトス:1~2

 

タテマエ(扱いやすい相手)に洗脳するための支配者や権力者が、自らの心(忖度)を隠して、世の言葉(常識)を巧みに操る方便(全体を操作)としての説教(有識者の群れ)ということになる。聞く側の私たちは、その表現に見え隠れする相手の心(隠蔽)を引き出そうとする。それが方舟(心の内の船乗り、アート感覚)であり、どのような場(出来事と物事で荒れ狂う海)をどのように生き抜くかを相手に問うことになる。(偉い人の説教)は時代そのものの荒波(解釈)であり、個々の心は時代(言語の海)に隠されている心象に過ぎない

 

私たち自身もかっては、無分別で、不従順で、道に迷い、種々の情欲と快楽のとりこになり、悪意と妬みを抱いて暮らし、忌み嫌われ、憎しみ合っていたのです。しかし、私たちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛とが現れたとき、神は私たちが行なった義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、私たちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造り変える洗いを通して実現したのです…テトス3:3~5

 

洗いを通してという文言が大切であり、時代(昼の言葉)を消すことで、自らの方舟を神の心に造り変えるという意味となり、世の言語と神のロゴスとの違いというものを自らの心を用いて判断にしていかなくてはならない。それゆえ、時代(出来事と物事を形成している言語群)というメディアメッセージに対して、泳ぎ疲れる日々(荒れた海の舵取り)というイメージを持つことになる。時代と自分の間(ディスタンス)という境界(神の御心)を通して、相手の隠している心(忖度)に問い返すことになる。私たちは無から、相手は現象という言語の海(メディアメッセージという匿名性)を心の糧にしている。彼らは暗闇(無個性な01の生成AIという雇い主の代理人)であり、私たちは光(生命体)という差異(映画、マトリックス参照)を問うことになる。

 

  • 「言語には対立しかない」とソシュールが述べているが、対立と同じ意味で差異性という語も用いている。対立によって言語は無から出現(イエローサブマリン)するのだが、彼はその無区分、無対立の状態(果てしない想像力)のほうをも差異性と呼んでもいる。言語を生み出す差異と言語の前の無としての差異を、二つながら了解しておかなくてはならない…ウィキペディア
  • マトリックスとは、元来「生み出すもの」を意味する言葉である。この言葉が指す具体的な事象・事物については、本来は「子宮」を意味するラテン語(< Mater母+ix)に由来するMatrixの音写で(英語では「メイトリクス」)、そこから何かを生み出すものを意味する。この「生み出す機能」に着目して命名されることが多い。また、子宮状の形状・状態に着目して命名される場合もある…ウィキペディア

23/12/22ブログ参照