24/1/3 | クリスチャンリンゴ事件簿、アッパールーム編のブログ

文章と句読点

人生とは立ち位置の問題であり、文章(自分)と文章(相手)の間(精神作用)という裂け目を通して語っているのが聖書であると気づいた時から、二重否定の肯定という文言として聖書と向き合うことになる。それは互いの間に自らの精神を定めることであり、二つに分離した自分と相手という異なる立場を通して、双方を精神によって一つにイメージすることで、社会(言語の海)と神の御心(透明)という二つの空間()という運動体をイメージすることができるようになる。そして、出遭った今という場を通して互いを判断するという聖句として読むとき、テサロニケという場(教会員の人たちへのメッセージ)の宛先に、手紙にしたためた信仰の真意を届けるという、自分(パウロ、シルノワ、テモテ)と相手(テサロニケの教会員)の二つの点は消され、代わって(聖句という手紙)のディスタンスに私たちが立ち会うことになる

 

主は、私たちのために死なれましたが、それは、私たちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。ですから、あなたがたは、現にそうしているように、励まし合い、お互いの向上に心がけなさい…第一テサロニケ5:10~11

 

自分たち信仰を共にする仲間としての手紙であり、一般化ではなくイエスの死とは、世間という言語の海からの離脱した場を前提として、透明な間(句読点という個性)の心(中心)にいる相手という限定された人たちへのメッセージということになる。それは過去を消した自分(相手)であり、今から先へと意識が向かう人々へのメッセージということになる。そして…

 

兄弟たち、あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主に結ばれた者として導き、戒めている人を重んじ、また、そのように働いてくれるのですから、愛を持って心から尊敬しなさい。互いに平和に過ごしなさい。兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠けている者たちを戒めなさい。気落ちしている者たちを励ましなさい。弱い者たちを助けなさい。すべての人に対して忍耐強く接しなさい。だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行なうように努めなさい…第一テサロニケ5:12~15

 

イエスの死後、指導者を失った使徒たちは、互いの間にイエス(精神作用)を置き、そのイメージ(聖霊)の働きによって、自らが肉体をイエスの似姿(自分の自我を消した精神性)としての行動(筆記用具)をしていくことになる。それは世の文章を消して、句読点(二つの点)としての運動体(手紙)への実現(結び合わせるパターン)ということになる。そのイメージはディスタンス(世の文章との分離)を通した想像力(イメージの接点)への問いということになる。

 

  • 結び合わせるパターン。どうして学校ではこんな大切なことについてほとんど何も教えないのだろう。真に重要なものは何ひとつ触れまい、教えまいと賢くも考えいるからだろうか。教えないからこそ、彼らは死の接吻の運び手となっているのだろうか。カニとエビを結び合わせ、ランとサクラソウを結び合わせ、これら四つの生き物と私自身を結び合わせ、その私とあなたを結び合わせるのパターンとは? そして我々六個の生物を、片やアメーバーへ、片や病棟の檻の中の分裂症患者に結びつけるパターンとは…ベイトソン

23/12/30ブログ参照