岸田首相の「食料安全保障」は絵に描いた餅 決定的に欠落している“日本農業最大の弱点”への危機感
マネーポストWEB によるストーリー • 9 時間前
食料安定供給・農林水産業基盤強化本部の会合で発言する岸田文雄首相(時事通信フォト)© マネーポストWEB 提供
食品値上げの動きが止まらない。スーパーでの買い物のたびに“想定外”の支払額に首を傾げることが増えている。だが、これから起きる食料危機は、それ以上に深刻な“想定外”なことになるかもしれない──。ベストセラー『未来の年表』シリーズなどを著書に持つ作家・ジャーナリストの河合雅司氏が、岸田政権の「食料安全保障」の問題点について、解説する。
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スーパーマーケットに所狭しと並ぶ食料品──。そんな日常の風景が「当たり前」ではなくなる日が来るかもしれない。
ロシアによるウクライナ侵略をきっかけとした穀物やエネルギー価格の高騰で、そんな不安がよぎるようになった。
さらに、ロシアがウクライナなどとの黒海穀物合意を停止する暴挙に出た。日本への当座の打撃は小さいが、世界全体の小麦などの流通量が減ることになる。その分、他の主要産地で干ばつなどが発生した場合のリスクは大きくなった。合意停止が長引くこととなれば相場はさらに不安定化し、やがて日本にも影響が及ぶことだろう。食料品のさらなる値上げは避けられそうにない。
むろん、現在の食料品価格の上昇はウクライナ侵略に伴う影響だけが要因ではない。世界各地での相次ぐ不作や、コロナ禍からの各国経済の回復に伴う食料需要の高まり、急激な円安の影響など、いくつもの要因が絡み合って起こっている。即座に日本の食料輸入が滞るわけでもない。
とはいえ、日本経済は長期低迷してきており、「このまま国力が衰退していけば、遠くない将来、日本は思うように輸入できなくなるのではないか」といった見方が広がっている。すでに一部では“買い負け”が現実となっている。
動き出した“農政の憲法”改正論議
食料危機については、政府も危機感を募らせている。ロシアのウクライナ侵略が多くの食料を輸入に依存する日本の脆弱性を浮き彫りにしたこともあるが、そうした短期的要素だけでなく、もう少し将来的な危機をも想定している。食料が各国に行き渡らない状況が以前から拡大してきているためだ。
国連の世界食糧計画(WFP)によれば、世界で飢餓に苦しんでいる人は最大8億2800万人にのぼる。背景には、世界人口の爆発的増加や開発途上国の経済発展に伴う消費量の拡大といった長期にわたる構造的な要因が横たわる。消費量の増加に生産力が追い付かないのだ。開発途上国の急速な経済発展は、地球温暖化を推し進める要因にもなっており、各地で不作が拡大していくと見られている。今後、食料がリーズナブルな価格で手に入らなくなる可能性は小さくない。
こうした状況に日本政府もようやく動き出した。6月2日に開催された食料安定供給・農林水産業基盤強化本部の会合において、岸田文雄首相は「農政の転換を進めていく」と宣言したのだ。
政府は来年の通常国会に“農政の憲法”とも言われる「食料・農業・農村基本法」の改正案の提出を予定しており、食料安全保障の体制強化を図り、食料危機への備えを万全にしようというのである。会合では、法改正に向けた対策案である「食料・農業・農村政策の新たな展開方向」も決定した。
日本政府がとりわけ、危機感を募らせているのがコメや小麦などの穀物の確保だ。ウクライナ侵略の余波で小麦価格は過去最高を記録し、さらにはトウモロコシや大豆といった、日本が輸入に大きく依存する農産品が軒並み高騰したためだ。世界規模での本格的な食料不足となれば、日本も十分な量を確保できる保証はないとの焦りである。
政府案で決定的に欠落しているポイント
だが、食料・農業・農村基本法の改正に向けて政府が示した政策の柱をみると、「農政の転換」というにはあまりにインパクトを欠く。
政府の示した柱は、【1】食料輸入が困難になる不測時に政府一体で対策を講じる体制・制度の構築、【2】主食用米からの転換や肥料の国産化、【3】食品アクセス問題への対応、【4】適正な価格転嫁を進めるための仕組みの創設──などだ。
もちろん、見るべき政策がないわけではない。たとえば、不測の事態となった際の生産者への増産要請を、法令による強制力を持った指示として出せるようにすることは前進である。また、肥料を輸入依存から国産資源の利用拡大に切り替えていくことも急がれる。
だが、決定的に欠落しているのは、「農業従事者の先細り」という日本農業の最大のウイークポイントに対する危機感である。その道筋が見えてこないのだ。担い手の激減という難題を解決することなしに、日本の食料安全保障の強化は成り立ち得ない。
あまりに心許ない政府の答え
農林水産省によれば、2022年の基幹的農業従事者は約122万6000人である。このうち、50代以下は約25万2000人に過ぎない。すなわち、今後20年間で基幹的農業従事者は5分の1程度の水準にまで落ち込むということだ。
これに伴い農地面積も激減傾向を描いている。1961年の約609万haから2021年は約435万haへと約174万haも減った。
最大の原因は人口減少だ。経営の不安定さもあって若い世代の就農が進まず、高齢化も加速している。日本の食料安全保障を強化するにあたって、真っ先に問われるのは、現在働いている基幹的農業従事者が引退した後、誰が耕作を続けるか、その答えなのである。
これに対して政府が出した答えは「多様な農業人材の育成・確保」であるが、あまりにも心許ない。
「多様な農業人材」とは、いったい誰のことなのか。仮に兼業農家が増えたとして、何を生産し、どれぐらいの穀物生産力の向上につながるのか。外国人労働者も規模が拡大するだろうが、そのうちの何割が永住者や定住者として農地を守り続ける人材となるのか。いずれも見通しがあるわけではない。
外国人労働者の場合、来日者数が増えたとしても、数年で帰国するのでは意味をなさない。違う仕事へと移っていく人もいるだろう。政府は、受け皿となる経営体の強化やスマート農業の普及といった策も打ち出しているが、基幹的農業従事者がここまで激減してしまうのなら、効果は限定的だ。
日本全体で勤労世代が激減し、あらゆる業種で人手不足が顕在化してきているのである。もはや農業従事者が減ることを前提として、それでも有望な産業として「農業」を組み立て直して行かなければならない。それは「農業」の在り方を根底から見直さざるを得ないということだ。
岸田首相も「農政の転換」を語るのならば、「多様な農業人材の育成・確保」といった曖昧な方針ではなく、相当の覚悟をもって変革に挑むべきである。
人口減少時代に即した農業経営モデルとは
まず手を付けるべきは、農作業の徹底的な合理化で、仕事の総量を削減し、少人数でも収益が増える経営モデルを確立することである。経営の将来展望を描くことができなければ、若い世代の就農は思うように進まない。
そのためには、人口減少時代に即した生産基盤の構築が必須となる。生産力を向上させる新たな農機具の開発も必要となるだろう。経験と勘に頼った“前時代的な農業”から、データに基づく農業への転換も必要だ。データを使って新規マーケットの開拓やニーズを掘り起こすのである。気候変動に左右されない栽培方法や新種開発を進めることも求められる。これらを生産者任せにせず、政府が率先して実施することだ。
人口が減っていくのだから、食料品の必要総量も減っていく。国民の高齢化で消費者が求める品種も変わるだろう。そうした人口構造の変化も織り込みながら食料安全保障の強化を考える必要がある。
人口減少による変化や影響を十分に踏まえているとは思えない「新たな展開方向」をベースとして「農政の転換」を唱えてみたところで、出てくる対策は絵に描いた餅に終わる。人口激減後の未来を見据えた「真の食料安全保障」の強化が求められる。