こんにちは


伊藤夕貴です。


この小学校の教員6年目は

以前は思い出すのも

怖かった1年間です。



受け入れられるようになった。



そう思ってたけど、

このことを書こうとアメブロを開くまでには

やっぱり時間がかかりました。



それでもまた一歩

進めたかなと思います。



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自己紹介〜エピソード〜 はこちら
 
 
 
 
 

 
『小学校の教員時代①』


最初は

特別支援学級の担任でした。

障がいをもつ子ども達のクラスです。



予想外の配置で、、

特別支援学級に決まったと、

電話をもらった時はびっくりして

すぐに友達に電話をかけたのを覚えています。









教員1年目。

最初は戸惑ってばかりでした。



毎日たくさん悩みながら、

得意不得意も発達も違う

子ども達一人一人に

わたしができることは何かを

考える日々。



子ども達の笑顔に救われたり、

子ども達の成長に涙をながしたり、

忙しいけど充実した日々でした。









そして、教員6年目。

初めての通常の学級の担任になりました。

健常児の普通のクラスです。



クラスの人数が4.5倍に増え、

戸惑うばかり日々。



うまくいかないことが多く

ちょっとずつ

クラスが回らなくなっていきました。
 
 
 
ただただわたしの実力不足でした。



歩き回る子
話を聞かない子
喧嘩する子



子供達にうまく指示が出せず

静かにならない教室。



子供達を

叱ってばかりのわたし。



そして、

わたしの声は

子供達に届かなくなっていきました。
 






学校崩壊でした。



わたし一人では対応できなくなり、

先生方や保護者の方に

順番にクラスに入ってもらい、



子ども達のため

クラスのため

本当にたくさんの方に協力してもらいました。



たくさんの方に

迷惑をかけてるんだから

しっかりしなきゃと思いながらも、



子供達に申し訳ない。

どうしたらうまくいくんだろう。

先生達に迷惑をかけてる。

うまくいかない。

保護者の方にどう思われてるだろう。




そんな思いが

休みの日でも

ずっとぐるぐるぐるぐるしてて



夜、ベットに入って目を瞑ると

クラスの様子が浮かんで

眠れなくなっていきました。



目を瞑るのが怖い。



夜中

テレビをずっとつけて、

それを見ながら

気づいたら眠ってる。



そんな日々を過ごしていました。



そのうち

職員室にいるのも苦しくなっていきました。



だれかが話していると



わたしのクラスの話なんじゃないか

わたしのことを話してるんじゃないか




そんな風に思うようになったんです。



マスクをしたりメガネをかけたり

前髪を伸ばしたり。



 
人の視線が怖くて

顔を隠すようにもなりました。



「プライドが高い。
もっと周りにできない。助けて。
って言うんだよ。」



そんな風に

声をかけてくれた先生もいました。



でも、わたしはもうすでに

気持ち的にいっぱいいっぱいで。



その言葉を

受け入れる余裕もゆとりもなくて



ただただ、心に壁を作って

殻にこもって

目の前のことをやることで

必死だったと思います。




つづく

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伊藤夕貴プロフィール

1987.6.2生まれ、東京在住

文教大学教育学部卒業。
教員免許状を取得。

幼少期からダンスを始め、高校時代は部長としてチアダンス一色に。全国大会での成績が認められ、世界大会にも出場。
広い付き合いを苦手とし、狭くて深い人間関係を築く。

大学卒業後、小学校特別支援学級の担任に。
子供達の一人一人の得意不得意や発達に合わせた指導をし、日々成長する様子にやりがいを感じていた。
その後、通常の学級の担任となり
教員生活6年目、学級崩壊を経験する。

年度末まで勤めて退職したが、この経験がトラウマになり、思い出すと胸が苦しくなる状況が1年以上続いた。

退職した劣等感をなんとかしようと、模索している中、ひとりのカウンセラーと出会う。

安心安全の場で心の奥に追いやっていたその時の想いや感情を思ったままに話すことができ、今の自分を受け入れるようになる。

この経験をもとに
無理して頑張る女性の心をほぐして、そのままを受け入れていく女性を増やしたいと
カウンセラーになることを決意し活動中。