今ではもっと限定的なジャンルのイメージもあるけど、日本ではともにUSハードコアから派生した「エモコア」と対応するものという感じで入ってきた用語でした。
ここでは意味を広く取って「90年代中頃に人気を得た、米西海岸発の親しみやすく明るめのメロディを持ったパンク」としてお話を進めていきます。
現在では「ポップパンク」という言葉の方がしっくり来るので、ここではほぼ同義語として双方を扱っていきます。
あたし自身は、アルバムをリアルタイムでは聴いていないものばかりで、基本的に苦手な音なんですが、21世紀に入ってからある意味エモ化していったので、その関連で遡って聴いていたわけです。
中古市場ではこの辺のバンド、一番安値の部類なので手に取りやすいしww
ニルヴァーナのブレイク以後のグランジブームでシアトルを中心としたパンクバンドがもてはやされたわけですが、それはポップな部分がありながらも陰鬱でささくれ立った音が主流。
94年4月のカート・コバーンの死によってそのブームごと終了してしまったような感じになり、それと交代するように人気が出たのがカリフォルニアの明るいパンク。
そのスピード感と高い回転数からスケートボードやサーフィンなどのビデオBGMとして、西海岸の生活に密着した音たりえたこともありますが、それがメジャーに上がってきたのは、暗い音ばかりだったシーンに対する反動と考えて間違いないでしょう。
95年にはツアー形式のフェス「ワープトツアー」も始まり、ポップパンクは全米で大きな盛り上がりを見せ、その余波は日本にも確実に押し寄せました。
いちおうカリフォルニア州の地図を載せておきますので拡大してご覧ください。
![CA](https://stat.ameba.jp/user_images/20160524/16/y-manon/64/fe/j/t02200217_0673066313654390798.jpg?caw=800)
まずはポップパンクといえば、この音!という御三家。
GREEN DAY - Basket Case (1994)
グリーン・デイはサンフランシスコ湾東岸バークレーのバンド。
デビューは1990年ですが、この3作目「DOOKIE」でメジャーに移籍し、時の勢いも得て大ヒット。
今月になってから100円で日本盤を買って期待せずに聴いたのですが、シンプルながら思っていたよりもメロディ作りに工夫があって、どの曲もなかなかいい!
このMVではまだまだ悪ガキ全開ですが、2004年シリアスに転化した大作「AMERICAN IDIOT」でグラミーも取り、ひと皮むけて大人になりました。
90年代以降の洋楽ファンはパンクといえばこのバンドをイメージする人も多いようです。
THE OFFSPRING - Come Out And Play (1994)
オフスプリングはオレンジ郡出身。
デビューは1989年ですが、問題の1994年に3rdアルバム「SMASH」で大ブレイク。
この曲はプロレスのブリーフ・ブラザーズという軍団が入場曲に使っていて、毎度聴かされてるうちに好きになってしまったというパターン。
でも、回転数の高いギターリフとキャッチーなメロディはポップパンク全般の特徴ではあるけど、その点ではこのバンドが一番だとあたしは思います。
地元のオレンジ・カウンティ、略して「O.C.」はディズニーランドがある地なのですが、この時期からパンクバンドのメッカのように扱われました。(地図ではわかりにくいけど、ロザンゼルスの南側、ロングビーチの東の赤線に囲まれた地域です。)
![OC](https://stat.ameba.jp/user_images/20160524/16/y-manon/3c/0d/p/t02200123_0600033513654392467.png?caw=800)
「The O.C.」という、まんまのタイトルで2000年代版「ビバリーヒルズ青春白書」みたいなドラマも作られましたが、USパンクばかりじゃないけどかなりマニアックな選曲で、デス・キャブ・フォー・キューティーなんてバンド名が日常会話に出てきたり、90年代との違いも感じました。
「ビバヒル」ではスーツでキメてR.E.M.を聴きに行くって感じでしたから。
BLINK-182 - What's My Age Again? (2000)
ブリンク182はサンディエゴ出身
1994年2月デビュー、スケボーなどの西海岸スポーツと結びついた代表格で、メンバーもブランドを運営しているほど。
182の由来は「メンバーがある家に不法侵入した際、汚い馬がいて洗ってあげてたところを捕まって法廷に呼び出された時の整理番号、とのことだがウソくさい」と2NDの日本盤ライナーノーツにご丁寧にも書いてあるように、まぁおバカバンドですw(MVも曲よりバカ度で選んだんだけど)
21世紀に入ってからは活動は滞りがちで、ギターのトム・デロングは別プロジェクトのエンジェルズ・アンド・エアウェーブズの活動もあり、昨年脱退しています。
そもそもポップパンク=バカパンクのようなイメージがありますが、メロコアという言葉が生まれた当初のバンドは音も重めで、歌詞の内容もわりとマジメなものが多かったように思われます。
ハードコアで軽視されつつあったメロディに焦点を当てた音、というのがそもそもの意味でしょうかね。
それぞれインディーレーベルを立ち上げてシーンを活性化させ、90年代のメジャーブレイクに繋げたメロコアの重鎮と呼ばれるバンドをふたつ挙げておきます。
BAD RELIGION - Punk Rock Song (1996)
バッド・レリジョンは、1979年にロサンゼルスで結成。
ギターのブレット・ガーヴィッツが1981年に自分達のレコードを出すために立ち上げたのが「エピタフ」
パンクが衰退しかけた80年代初頭に、東の「エモ」イアン・マッケイと共に頑張り続けたということですね。
ここからリリースしたオフスプリング、NOFX、ランシド、ペニーワイズなどが次々とシーンを盛り上げるわけですが、自分のバンドは1994年の「STRANGER THAN FICTION」から2000年まではメジャーのアトランティックへ移っていて、シーンが最高潮の時は自分の作品は出してないわけで、ビジネスと音楽は別と割り切っているのかも。
NOFX - Linoleum (1994)
NOFX(ノーエフエックス)もロサンゼルスのバンド。
初期作品はエピタフから出したものの、1991年にVoのファット・マイクがファット・レック・コーズ(FAT WRECK CHORDS)を設立。
メジャーに行くような例はあまりないものの、数々のバンドを細かくフォロー、Hi-STANDARDと契約していたことから日本でも有名で、昨年の25周年記念イベントも幕張メッセで行ないました。
ハイスタも世界的なポップパンクの盛り上がりの余波を受けて、日本のパンクをリードしたバンドでしょうから、一曲聴いてみましょうね。
Hi-STANDARD - ENDLESS TRIP (1997)
思い切り「ガキ!」って感じですが、今はほどよくオトナになっていますw
現在はバンドとしてよりメンバーそれぞれの活動がメインですが、横山健が去年の夏に「若い子にバンドに興味を持ってもらいたい」とタモリのミュージックステーションで歌ったのは感じるものがありました。
アイドルやヴォーカルグループが幅を利かせてる中に、あえて切り込んで行ったわけ。
効果のほどはすぐにはわからないけど、こういうのは10年後とかに実を結ぶのかも。
ここで一連のメロコア系バンドの中であたしのツボに一番ハマるバンドをご紹介しましょう。
SUGARCULT - Memory (2004)
シュガーカルトはサンタバーバラ出身
結成は1995年ということなので、メロコアのブレイクに影響されてバンドを組んだ世代ということでしょうが、1stアルバムを発表したのは2001年、3枚発表後に今は活動していない模様。
この曲のようにストレートな曲でも細部に泣きがあるんですよね。
あたしの感覚ではかなりエモいと思うし、実際ミディアムバラードも多いんですが、21世紀に入ってエモの影響が強い時期だからかもしれないけど、結局こちらに分類されるのはやっぱり出身地がカリフォルニアだからなのかなぁ。
いろいろ聴いて行くと、メロコアもエモコアも明確な違いはやっぱりないわけで、メロディアスなのもエモーショナルなのも、いい音楽には当たり前に備わっている要素。
曲そのものの傾向というよりも、むしろ活動地域や人脈、具体的にはレーベルとかでレッテルが張られるんでしょうね。
さて2016年はパンク40周年。
そもそもパンクとは何なのか、ということも考えさせるわけですが、始まった当初はメインストリームの音楽に対するアンチ。
でもアンチが逆転してメインになってしまったら、後は音楽性を深化させるしかない。
そもそもは「パンク・ロック」すなわちロックの一形態だったはずですが、パンクバンドがほぼ死滅した英国と違って、現在進行形の米国では「ロック(パンク以前のスタイルを基盤とするもの)」への対立概念として「パンク」と呼んでいるような感触を受けるのです。
The Clash - White Riot (1997)
ポップパンクの原型はこの曲だと思うし、ピストルズよりもクラッシュをお手本にしているバンドはたくさん見受けられますが、今こうして聴くと40年の時の流れの中で、かなりロック寄りというか、音的な切れ味がさすがに悪く感じますね。
スピードというか回転の速さ、それはメタルと結びついてスラッシュになったり多方面にも影響を与えましたが、ビートのキレの良さは若さの反映でもあります。
明るさ余ってバカとしか言いようのないバンドも多かったわけですが、よく考えてみればUKオリジナルパンクでもクラッシュのような政治性の高いものがある一方で、「反抗⇒おふざけ」もパンクの重要な一要素だったという言い方も可能だと思えてきます。
ポップパンクはその単純さ・楽しさがスポーツとも結びついて商業的に大きな成功を手に入れた反面、本来のハードコアパンクとは音的にも歌の内容的にも乖離して、批判も多く受けるようになってブームも沈静化。
21世紀に入ると9・11テロの影響でバカをやってられる雰囲気ではなくなり、エモバンドの隆盛の影響もあってか、それぞれ音楽性を拡大していく路線を取ることになるのです。
英国の話と違って、米国のシーンは西海岸に限ったとしても、掘っていくとキリがなくてバンドの数もハンパない。
特に今回はリアルタイムではスルーしていたバンド群なので、文章にするのにすごく苦労したし、いまひとつ感覚的に把握しきれていない部分も多いんですが、あっちを語るにはこっちも語っておかないと、ってことで次回はいよいよ「エモ」について。
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