グランジとは? | マノンのMUSIC LIFE

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いよいよアメリカのロックの転換点となった曲を聴いていただきます。

その前に、こちらが曲のタイトルにもなっている「Teen Spirit」の現物。
TeenSpirit
ごらんのとおりの若い娘向けの制汗剤ですが、当時LA土産に友人が買ってきてくれたもの。
20年以上経っている代物なので、さすがに水分が蒸散して石鹸のようになって、塗ることは不可能な状態。

肝心のニオイの方は・・・いまだにアメリカンな香りを醸しておりますw
チョコやキャンディーでもあちらで買ったものはなんか変わった風味で、同じホモサピエンスでも嗅覚そのものが違うのか?と思いますよね。

USでパンクをメジャーシーンでブレイクさせ、それまでアンダーグラウンドで力を溜めていた各地のオルタナティブ・ミュージックが古いロックを駆逐していくきっかけとなった曲。
「こんなの何百回と聴いたよ」という方も、そんなにスゴイ曲なのか、制汗剤と何の関係があるのかw、改めていま一度見て、聴いてください。

Smells Like Teen Spirit / NIRVANA

冷静に聴けば、この曲自体が特別、画期的というものではないと思いますがいかがでしょう?

歌詞も特になにかを象徴してたり、深い意味があるというより、散発的に投げ出してくるようなタイプのもの。
それほど明確なイメージを喚起させるような言葉もないし、主張を感じさせるものもない。
「Hello hello hello  How low?」というラインが一番印象的ですが、最後は「A denial」の連呼で締めていることもあり、否定的・陰鬱な色合いに支配された曲。

歌詞・訳詞はこちらをどうぞ。
Lyrics Beat

唯一、突出したものがあるとすれば、静から動へのメリハリが効いて、カートが叫び出すと共に、ストレスを全部放出できるようなカタルシスがあること。
でも、これがなにより重要でしょう!

いわばハードロックとしてもポップソングとしても聴けるハードコア。
現状に物足りなかった人々を大きく巻き込むことができたのが大ヒットの要因で、それはこのコンプレッサー/リミッターで押し潰した音像のおかげではないかと思うのです。

音は万人が受け容れやすい加工をほどこしていますが、MTVで大量にオンエアされていたこのPVはどうでしょう?

明らかにそれまでのハードロックとは違う。
メンバーは普段着だし、露出度の高いグラマーなお姉ちゃん達は出てきません。
替わりに4人のチアガールがいますが、やる気あるのかないのか、バンドを応援してるのか、表情も判然としませんが、最初は整然と座っていたお客さんも含めて、徐々に暴れ出し最終的には無秩序に至る、というのは確か。
チアガールこそTeen Spiritを象徴しているのかもしれませんが、掃除夫のおじさんの意味するところは???

タイトルも、この商品を知ってるのと知らないのでは大違いで、「十代の精神の青臭さ」云々とか、全然別の方向に解釈していろいろ勝手にイメージした日本人も多かったでしょう。
洋楽の訳詞とか外画の翻訳とかは、登録商標とかの固有名詞や慣用句を知らないと、変に深読みしたり、的外れなものになってしまうという好例。

カート・コバーンが当時付き合っていたビキニ・キルというガールズバンドのメンバーがこれを使っていて「カートはTeen Spirit臭いゾ」と、リーダー格のキャスリーン・ハンナにからかいの落書をされたというのがロック史に残る故事。
カート自身もこのデオドラントを知らなかったそうですが、からかいの対象になったってことは、みんながあまり使ってないちょっと変わったブツだったということでしょう。
それでも、このフレーズが頭に残ってて、必殺の一曲のタイトルにしたということは、彼もまた勝手なイメージが湧いたからかもしれませんね。

70年代のオリジナルパンク以降、、メタルの人はメタルしか聴かない、ニューウェーブ派はそればっかりという聴き方がふつうになり、それはジャンル内でのバラエティが豊富だったことの証左でもあり、さらにいろんな新しい音を引き上げるのには貢献したけれど、ジャンルの孤立化を招く結果になりました。
80年代に入って、MTVはいま一度70年代以前のヒットパレードを甦らせてくれ、そこで思わぬ曲の魅力を知るような機会もたくさんあり、ジャンル横断的に聴くことの意義、音楽で共通の話題を語る楽しさを取り戻すことができた。

黒人音楽の分野では、ヒップホップ、ラップの勢力が強くなった時期で、80年代も後半になるとRUN DMCとAEROSMITHのコラボに象徴されるハードロックとの相互作用も起きましたが、そういう非ロック的なものがチャートを席巻していく中で、英米ともにハードなギターサウンドに対する渇望が芽ばえていたのが90年代を目前にした頃の状況。

あたし自身も聴くものを求めて、ラップやハウスに手を出してはみましたがやっぱり乗り切れず、自作の曲も打ち込みシンセサウンドに飽きてきて、メタルっぽい音をと、例の黒いレスポールカスタムに重いトレモロユニットを乗っけたり、Ibanezのワウを買ったのもこの頃。
ヴァン・ヘイレン以降タッピング技術の向上により、メタル系のギターテクニックは飛躍的に発展しましたが、それがロック全体の変革に寄与したかといえば、それは疑問。
デヴィッド・リー・ロスがソロになった時に、横で弾いてたスティーヴ・ヴァイの表現力はさすがにスゴイと思いましたが、他のヘアメタルとも揶揄される80年代独特の盛り上げた髪形のバンド(POISONとかMOTLEY CRUEとか)もMTVで大量にオンエアされていましたが、あたしには刺激が足りませんでした。

前回、USハードコアについて長々と書きましたが、改めて地図を見ていただきましょう。
アメリカ大陸というのは内陸部はよほど何もないのでしょう、ムーブメントの中心地は決まって海沿い。
字が見にくいですが、西海岸の北はシアトル、南はLA。東海岸はNYと首都ワシントンDCに赤丸を付けてみました。
シアトルといえば、イチローのいるマリナーズ、マイクロソフト、アマゾン、スターバックスなどの本拠地。ジミヘンの出身地でもあります。
ただ西海岸と言ってもLAから直線距離で3000㎞以上、ハードコアファンはもちろんいたでしょうが、インディーバンドがそんなに頻繁にライブしに来るような場所ではなく、独自のシーンを形成していたようで、その象徴がSub Popというレーベル。

ここからリリースされたNIRVANAの1stアルバム「BLEACH」は「About A Girl」という、その後のヒットを予感させるようなポップな一曲はあるものの、ささくれ立ったハードコア。
それがインディーバンドの青田刈りを始めていたデヴィッド・ゲフィンのレーベルと契約して、91年の秋に発売されたものがこの2NDアルバム「NEVERMIND」
全米一位を取ることとなりました。
Nevermind/Nirvana
例の曲に一度だけ「Nevermind」という言葉は出てきますが、当然ながらピストルズの「NEVER MIND THE BOLLOCKS」を意識したタイトルでしょう。
最初から状況を読んで、時代を転換させるトップ取りを仕掛け、まんまと成功したプロジェクトといえるはず。
ソニック・ユースはお勉強が必要な音だったけど、ニルヴァーナは曲の構造上、単純な分だけポピュラリティを持ちうる、と見ていたのかも。

この大成功以降、注目はシアトルを中心に各地のパンクバンドに集まり、荒々しいサウンドと汚い普段着姿からグランジgrungeと呼ばれるようになるのでした。
オリジナルパンクやニューウェーブと同様、ファッションの分野ともリンクして、ネルシャツと穴あきジーンズがオシャレなものになって古着屋さんが繁盛することに。

グランジの代表として、この91年にデビューした2つのバンドを上げておきます。

Today - THE SMASHING PUMPKINS

1枚目はもろグランジーな音でしたが、この曲が入っている2枚目からすでにこんな抒情性を見せており、次作ではストリングスを導入したり、打ち込みがあったりと、2枚組ならではのバラエティ溢れる音楽性を見せています。
出身も東側のシカゴだし、ある意味エモに繋がる音かも。

Jeremy - PEARL JAM

音自体は旧世代のハードロックに一番近い感触。グランジとひとくくりにされながらも、当時そういうバンドはけっこうありました。
あたしの知り合いのメタル好きもスマパンは聴かないけどパール・ジャムは好き、って感じで。
生真面目というか、アメリカのぴあ的存在のチケットマスターと販売システムについてケンカしたり、姿勢としてはオリジナルパンクっぽいところも。

さて、こちらのお方もついでに紹介しておきましょう。
Like A Hurricane - NEIL YOUNG & CRAZY HORSE

グランジとリンクした旧世代の代表として91年に発表したライブアルバム「WELD」では、この名曲もニール史上最高にささくれ立った音に。
湾岸戦争反対!という意味合いで「風に吹かれて」のカバーもやっていますが、当時はグランジの父とも言われていました。
そういうのはなにかと胡散臭いものですが、ニールに限っては、デビュー以来現在まで約50年もの間、時代と呼応して常に自分の音を更新し続けている稀有な存在ゆえ、その命名も納得。
PEARL JAMと一緒にアルバムも一枚作っています。


「NEVERMIND」は本来録音された音を、TV、ラジオで聴きやすいよう万人向けに仕上げられたがゆえに大ウケしたわけですが、当然この音にカートは不満だったはず。
それが証拠に93年リリースの3RD「IN UTERO」では、ハードコアの顔役ビッグ・ブラックのスティーヴ・アルビニをプロデューサーに迎えて(アルビニのこだわりによりクレジットは常に「Recorded by~」。レコーダーのボタンを押しただけという主張ですが、マイクの立て方などに当然メソッドがあるはず)本来の荒々しい音の魅力を最大限に打ち出しています。

NIRVANA - Serve the Servants

あたし的にはイントロだけで「コレだろ!コレ!」って感じで。残業の際の景気付けに聴いていました。
音の肌触りだけでなく、ハードロックの整合性を逸脱する不協和音を多く含み、英米ともフィードバック音(ハウリング)を積極的に入れていたこの時期の流行にもピッタリな音。
このオープニングの一曲を聴けば、どんな意図で作られたか判るようなアルバムでしたが、実は多様性を備えたもので、チェロを入れた「All Apologies」など、その後にリリースされたMTVのアンプラグド・アルバムにも繋がっていく流れを感じる。
その意味では、次のアルバムを聴いてみたかったですが、死んでいなければ永遠のヒーローにはなれなったでしょう。
「NEVERMIND」は買ったメタルのファンも、この3rdアルバムは買わなかったはず。

「レスラー」という映画で、GUNS & ROSESの「Sweet Child O' Mine」をテーマ曲にしている落ちぶれた元人気レスラー役のミッキー・ロークが「'80年代のロックは最高だったのに、ニルヴァーナが出てきて90年代は最低だった」と語るくだりがあったのですが、ある意味シーンの救世主のような位置付けだったカートも、逆サイドの旧式なロックファンにとっては仇敵扱いだったのか!とちょっと目からウロコでした。

そんなガンズでさえグランジの勃興に恐れをなしたか「俺たちもパンクなんだぜ!」とばかりにDAMNEDやUK SUBS, STOOGES, NEW YORK DOLLSからMISFITSまで並べた英米パンクのカバーアルバムを93年に出したりしましたが、言い訳がましいというか、嘘くさい。
ハードコアが好きだったメンバーもいるとは思いますが、アクセルは絶対違いますよね。でなきゃ、あんな歌い方になるわきゃ~~~ない。

音質や歌い方もともかく、パンクというのは英米を問わず、人種差別や性差別へのアンチという側面も持ち、黒人や女子がロックバンドの一員としている風景をふつうに感じれるようになる契機ともなっています。

同じパンクといってもピストルズやクラッシュは攻撃対象を外に求めましたが、カートはそれを自身の内部に向け、結局は94年にライフルで自殺してしまうという結果になったわけですが、「予期せぬ成功が繊細な心を蝕んだ」という通説は疑問・・・ホントの事は本人しかわかりませんが。
確かなのは、この陰鬱ながらもポップで、パワフルでありながらセンシティヴな、この曲に共感する人が、何百万人規模で存在したということですよ。

音自体にそれほどの革新性はなかったにも関わらず、ハードロックとしても、パンクとしても、はたまたポップソングとしても聴ける音像の上で、陰鬱な日常を示唆するバースを、サビに至ってあのひりつくような叫び声で突き破る、そんな瞬間を見せてくれたからこそ、全米があの曲に突破口を求めて群がったのでしょう。

実際は、あの時期メタルでもパンクでも折衷的な音をやっていたバンドも多かったと思うし、そういう多様なファンベースの全体集合をひっくるめてかっさらう事ができるような音を提示できたことで、広大なアメリカ大陸のパンドラの箱を開け、それがグランジ~オルタナティブというムーブメントに収束することになったのだと思います。


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