ニートな午後3時 | マノンのMUSIC LIFE

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今日から晴れて本職の失業者に戻ることができましたwww
てことで、まずは1ヶ月ぶりのブログを書いてる「ニートな午後3時」



いや、かつて「ニート」といえばコレだったんです。
綴りはneatですけどね。

NEETは基本的にはNot in Education, Employment or Trainingの略ですが、厚生労働省の定義によると
「15~34歳の非労働力人口の中から学生と専業主婦を除き、求職活動に至っていない者」
ということで、あたしには当てはまらない部分がいろいろありますね。専業主婦だしwww

バカ話はともかく、雇用保険のお世話になるのもこれで6回目。
前回は派遣切りが問題になってた時期で、会社都合退職の扱いで三ヶ月の待期もなく、時限追加措置まで加わってけっこう長めにもらえたりと、手厚くもてなしていただいたのですが、今回は直接雇用だし、ハローワークへの手形となる離職票も一ヶ月位かかるとか、う~ん、遅すぎるゾ。
まぁゆっくり探すからいいんです。
ワイシャツ着てネクタイ締めて、みたいな仕事はもうやらないでしょう、たぶん。

そんな今日のホントのテーマ曲はこちら
 ↓
Heaven Knows I'm Miserable Now / THE SMITHS


「僕が死のうがどうでもいい奴等に、貴重な時間を差し出してるなんて、なんてみじめなんだ」
「顔面にケリ入れてやりたいくらいのヤツらに、微笑みかけてるなんて、なんてみじめなんだ」
仕事のない自分より、働いてる自分のほうがみじめだというわけ。

てかモリッシー、働いたことあるのかよ?
去年リリースしてバカ売れしたという自伝を読めば、その辺もわかるのでしょうが、翻訳を拒否しているそうです。


そもそもロックと失業とは昔から密接な関係があって、失業者給付金の申請書様式(Unemployment Benefit Form 40)をバンド名にしたUB40なんてのもいましたが、英国がロック大国だったのも、アイデアを持った若者達が、生活費を稼ぐために時間の浪費をすることなく、自らの音楽に向き合うことができたからなのです。
「外貨獲得に貢献した」という名目でビートルズに勲章を授けた国ですから、輸出製品としての軽音楽は国家にとっても重要な意味を持つことは女王も認めるところ。

別に音楽をやっていなくても、「ゆりかごから墓場まで」と言われたように社会保障は一般に手厚いわけで、保険料を払ったことがなくてもとりあえず職に就いてなければ失業手当を期限なしでもらう権利がある、らしいです。(扶養・被扶養の関係が絡む場合はちょっと複雑なようですが)
その上、家賃は住宅手当でまかなえるし、そもそも医療費はタダという、ニート天国。

この辺の詳しい事情をお読みになりたい方はこちらが最適。
90年代の刊行なので現在は事情が変わってる部分が多いかも。
現代ロックの基礎知識/鈴木 あかね


そんな国でも若年失業率が高すぎると、さすがに社会もダイナミズムを失ってしまうのでしょう、90年代に労働党政権になってから、ニューディール政策の名の元に行なった雇用対策は、有効な職業訓練制度などを盛り込み一定の成果を得たようです。

なかでも注目なのは「ミュージシャン志望者向けニューディール」
(1)個人アドバイザーが志望者を音楽コンサルタントにつなぐ
(2)音楽スタジオや専門学校などで、各自のニーズに応じた技術指導などを無料で受けられる
(3)半年間、失業手当を得ながらフリーの音楽家としての活動を体験する機会が与えられる
とのこと。ジャンルはクラシックでもロックでもOK。

成果としては、3年間で音楽コンサルタントと面談した1万人のうち3,200名が訓練や助言を受けて2,500人が就職、トップ20まで上ったラッパーもいたらしい。
実際、音楽業界に就職できたのは1割程度のようですが、6割がなんらかの職に就けたのは、労働意欲そのものを刺激しえたとして評価できるということのようです。
まぁ保守政権になってしまった今はもうないんでしょうけどね。


あたしも今は働いてる時間がムダとしか感じない、音楽しか見えないので、そうなったら他に何を失おうが破産しようが、見えてることをやるしかないですよね。
そもそもそういう気持ちで始めたことだったし、東京に出てきた時に戻っただけ。


てことで、1月には契約更新しない希望を伝えたのですが、その上司が実はその日に辞表を出したらしくて、それ以前から役付の人が何人も辞めて行くのに補充もままならい中、あたしに仕事が降りてきて、引き伸ばされてさんざんこき使われました。
最後には脚立を担いで力仕事までやるようになりましたが、自分よりも背の高い3ドアの冷蔵庫を運ばされそうになったのは、さすがにマイッタ(>_<)
あたしみたいなチンピラ職員はいいけど「○○さんか誰かといっしょに」と言ったその人は、身体が資本の療法士ですよ。ケガでもしたら病院にとってどれだけの損失か。
ホントに目の前しか見えてない経営者。。。きれいな女性なんですけどね。

でも、どうしようかと悩んでいると、地獄に仏、清掃の委託業者の人とバッタリ会って、快く助けていただきました。あたしもちょこっと手くらいは添えましたけどw

そんな1年4ヶ月の病院勤めでしたが、医療機関に勤めるということ自体は決してムダな経験ではなかったのです。
前職が、困っている人にトドメを刺して諦めさせる悪役だっただけに、今度は見た目どおりのwいいひとになりたいなと思ってて。
去年の3月のブログの最後に「あたしも困ってる人を進んで助けてあげられる人になります。」と書きましたが、それは病気やケガで困っている人が集まる場所に勤める者の、ささやかな決意だったのです。

こんなあたしでも、荷物をいっぱい持ってるご年配に声をかけてみたり、といったことが習慣として自然にできるようになってきて、少しはいいひとになれた気がします。
「情けは人のためならず」

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