1400分~15時00分は、富士塚幼稚園空手道教室の稽古でした。私は、「静養中」で不参加でしたが、弟子2名に指導をして頂きました。ありがとうございます。
19時00分~20時45分は、大和道場(下福田中学校武道場)の稽古でした。小林志光は、こちらも不参加でした。
さて、タイトルの件ですが、何かと「知事」がニュースになっています。
静岡県川勝知事は、「職業差別発言」で辞任をしました。この人、大学教授で、有名な経済学者でした。
大阪府の吉村知事は、「出禁=入禁」発言で第批判を浴びて、「発言を撤回」しました。でも、記者会見を見ましたが、どう見ても謝罪はしている様に思えませんでした。この人、弁護士です。
東京都の小池知事は、元側近により学歴詐称が大問題となっています。この人、難関のカイロ大学を首席卒業と自称していますよね。(どうも嘘濃厚です。)
で「知事」の「知」って、「知能」とか「知恵」とか「知識」の「知」ですよね?となると「知」を持って「事」を処理する人ですよね?どうも、必ずしもそうは思えませんね。
そこで「知事」の源を探ってみましたら、そのまんまウイキペデイアに出てました。
(転載開始)
仏教が中国に入った際、インドの僧院に置かれたサンスクリットで「カルマ・ダーナ」 karma-dānaと呼ぶ役職に対してさまざまな漢訳語が与えられたが、その中に「知院事」「知事」がある。「知」は「つかさどる」の意であり、「知院事」で院(僧院)のことをつかさどる役職を意味する。「知事」はこの「知院事」の省略形とされる。中国では唐代に禅宗が発展するとともに寺院の管理運営業務も複雑化したため、分掌が行われて6つの「知事」と呼ばれる役職(総称して六知事)が置かれた。
宋代には官僚制度の用語に用いられ、地方の府・州・県の長官を「知某州事」「知某県事」などと呼ぶようになり、短縮されて「知県事」「知府事」などと呼ばれるようになった。宋代には正式な中央官制に組み入れられており、中央の官職を持たない県の長官は「県令」と呼ばれた。
日本では、明治維新の過程で地方行政単位の名称に中国の制度が参考され(府藩県三治制)、同時に行政の長を「知事」と呼ぶ(当初は「知県事」など)ことが導入された。
(転載開始)
2015年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の中で、地方の役人が明治新政府中央から派遣された県の長に対して「県令殿は云々」と言っていたのを思い出しました。
県令が置かれたのは、廃藩置県の時です。明治新政府は、日本の統一を急激に押し進めるため明治4年(1871年)に藩を廃して府・県を置き、中央から府知事・県令を派遣して治めさせるという制度を実施しました。これを廃藩置県と言いますが、政府が直接全国を治める中央集権国家の形をつくりあげた訳です。
このドラマは吉田松陰の妹の生涯を描いたものですが、吉田松陰の言葉に「知行合一(ちこうごういつ)」というのがあります。「知行合一」というのは、中国の明朝時代に、王陽明がおこした学問である陽明学の命題のひとつです。
知(知る事)と行(行う事)は同じ心の良知(人間に先天的に備わっている善悪是非の判断能力)から発する作用であり、分離不可能であるとする考えです。論語の「為政第二」にある「先ず其の言を行い、而して後にこれに従う」が元になっている、という事です。
現在、都道府県知事は、選挙によって決められています。都道府県の知事はいつから選挙で選ばれるようになったのは、『地方自治法』が成立した1947年からです。
「県知事」に(「オヤジ感覚」では)発音が似ています「検地」は、「知」ではなくて「地」です。
「知行」というのがあります。「知行を与える」というのが時代劇に出てきます。これを説明すると長くなるので書きませんが「地行を与える」ではありませんでした。自分は「土地を与ええる」と解釈していいましたが、そうでななかった様です。
大ざっばに言えば「知」は、「司る」という意味で、平たく言えば管理するから統治するという事でしょう。その為には知能、知恵、知識が大切なんでしょうね。
で「知事」の「知」の意味もそういう意味があるんでしょうね。
しかし、現在の知事の皆さん全員が、「知」を以て「事」をするに価する方々なのかは、別問題です。
<参考>
ち‐ぎょう ‥ギャウ【知行】
〘名〙
① 事務をとること。職務を執行すること。
※貞信公記‐抄・天暦二年(948)正月一日「被レ奏二彼院事長者知行之由一」
② 平安時代、知行国制によって特定の国を与えられ、国務をとり行なうこと。→知行国。
※山槐記‐治承三年(1179)正月六日「同女房衝重廿前〈丹後守経正朝臣、件国内大臣知行〉」
③ 古代末・中世、田畑山野などの所領を領有して耕作し収穫をあげるなど、事実的支配を行なうこと。また、その支配している土地。→知行制。
※平家(13C前)三「太政入道、源大夫判官季貞をもて、知行し給べき庄園状共あまた遣はす」
④ 近世、幕府や藩が家臣に俸祿として土地を支給したこと。また、その土地。領地。采地。→知行取・知行割。
※寸鉄録(1606)「大臣は、知行などは過分にとりながら、主人をよそにしてかまはずして」
※夜明け前(1932‐35)〈島崎藤村〉第一部「水野筑後は二千石の知行(チギャウ)といふことであるが」
⑤ 俸祿や扶持。
※浮世草子・傾城色三味線(1701)大坂「野郎にかぎらず、知行(チギャウ)とらぬほどのものは皆あはぬはづ也」
⑥ ⇒ちこう(知行)