こんばんは、果林です🌿

 

 

今日は…

依存と情と罪悪感の中で

揺れていた私の、

少しディープな話を

綴りたいと思います^^

 

 

❀┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈❀

 

 

気づいてしまったんです。

私の根っこには、

やっぱりがいたんだと。

 

 

 

何をどうしても

うまくいかなかったこと。

人との距離感が掴めなかったこと。

愛されたいのに、

自分を差し出しすぎてしまうこと。

 

 

 

あれもこれも、

母との関係性から始まっていたんだと

ようやく腑に落ちたのが、

少し前のことでした。

 

 

 

だけど。

それなのに――

母のことを嫌いになりきれないワタシ

が、奥のほうから何度も何度も

顔を出してきたんです。

 

image

 

私は幼い頃から母の愚痴や不満の

聞き役でした。

 

 

父に対する愚痴や不満は日常茶飯事。

 

 

また母の過酷な生い立ちの話も

よく聞かされ

 

 

「あなたはとても恵まれいるのよー

いいわねー」

「感謝しなさいよー」

 

と何かにつけて言われていました。

 

 

今思えば、この頃から

何不自由なく幸せな自分に

物凄く罪悪感を感じるようになったり、

私も苦労しなきゃ…

と思うようになっていったような

気がします。

 

 

 

そんな母は

娘には何でも包み隠さず話してるのよ~と

周りには誇らしげ?によく言ってました。

 

 

いわば母子逆転の関係性

いつからか私の"子どもらしさ”を

封印せざるを得なくしていた

のかもしれません。

 

 

母に口答えすれば

子供は親の言う事を

聞いていればいいのよ!

と言い、

 

 

母を大切にしてないような発言や態度には

とにかく厳しく、

母の望まない様子や態度をしたら

物凄く怒られました。

 

 

とにかく

母の味方をしていないと

機嫌が悪くなり

拗ねたり泣き出したりする人でした。

 

 

私が中学生くらいになって

友達と出かけることが多くなると

 

 

ママなんてどうでもいいのね

と泣かれたこともありました。

(ドン引き…)

 

 

自分の分身が欲しくて

子供(私)を産んだと

言っていた母。

 

 

それゆえ娘への私物化、

執着が半端なかった

のかもしれません。

 

 

そんな母を

私はずっと“気にして”

育ってきました。

 

 

心配させたら…甘えたら…

母の負担になる。

私はお利口で、強くて、

手のかからない子でいなきゃ――。

 

 

そんな思いが刷り込まれていたんです。

 

 

そのことに気づいたとき、

何とも複雑な気持ちになりました。

 

 

だから、

「母が原因だった」と気づいても、

心のどこかでは、

 

母を責めたくない…

悪者にしたくない…

 

そんな思いがずっと

くすぶっていたのかもしれません。

 

 

母にも母の人生があった。

母なりに頑張って生きてきたのかもしれない。

 

 

そのことを理解したい自分がいたし、

何より、私が母を手放してしまったら、

母は一人になってしまうし、

これまで母のために頑張って生きてきた

自分が否定されてしまうような気がしてーーー

 

 

そう考えると、

どうしても突き放すことができなかったんです。

 

 

実際、

自分の意志を貫こうとしたときほど、

罪悪感がこみあげてきました。

 

 

親不孝なのではないか

私は冷たい人間なんじゃないか

私は最低な娘なんじゃないか

 

 

頭ではもう十分わかっているのに、

体が勝手に反応してしまうような感覚でした。

 

 

最近も、ちょうどそんな出来事がありました。

 

 

自分の予定に従って動こうと

決めていたのに、

母から連絡が来た瞬間、

気づけばまた

“いつもの私”に戻っていた――。

この件については、

また改めて別の記事で書こうと思っています。

 

 

だけどそのとき、

「やっぱり私はまだ母の存在に

揺れているんだ

と正直に認められたことは、

私にとって大きな前進でもありました。

 

 

 

 

統合って、

何かを切り捨てたり、

白黒つけることじゃないんですよね。

 

 

怒りや哀しみがありながらも

 

「それでも母を嫌いになりたくない」

 

という思いも

ちゃんと私の中にある

“ほんとうの気持ち”なんだ

と気づいたとき、

 

 

少しだけ、

自分のことを優しく

抱きしめられるようになった

気がします。

 

 

きっと、

私のように

「嫌いになりたいのに、なれない」

そんな想いで揺れている方も

いるかもれしません。

 

 

でも、それもなんですよね。

 

怒りも、罪悪感も、情も、

すべては、心が深く傷ついた証であり、

それでも愛そうとしていた証なんだと

思います。

 

 

私は今、“ただ在るワタシ”として、

この痛みも、愛も、ぜんぶを

まるごと抱きしめながら、

また少しずつ、

自分の道を歩き出しています。

 

 

 

近いうちに、つい先日の

「また“母に戻ってしまった私”」

の出来事について、

もう少し具体的に

書いてみようと思います。

 

 

同じように揺れている方へ、

きっと届くものがあると信じて。

 

 

 

最後まで読んでくださり、

ありがとうございました🌿