722.母が身を挺して教えてくれたことに感謝 | グランマ&コーチyokoの『素直が一番』

グランマ&コーチyokoの『素直が一番』

長年、塾の指導者、主任児童委員(子ども専門民生委員)、ママの専門コーチとして、
又、私自身も3人の息子の母として、子育て中のママ達を応援して来ました。
アラ古希の今、仕事を卒業して、一人のグランマさんとしての思いを、気ままにおしゃべりしていきます(^^)

皆さま

 

こんばんは。

 

「グランマ&コーチyokoこと東郷洋子」です(^^)

 

今日も、自分の心の徒然なるままに書いていきたい思います。
読んで頂けたら嬉しいですニコニコ

 

 

15年ほど前に、79歳で亡くなった母がお世話になっていた施設の近くに、

癒しスポットを発見したことがありました。

 

 

(当時、ガラケーで撮ったものです)
 

 

母に会いに行った帰りに、

乗る予定のバスの時刻に間があったので、

近くの公園を散策していた時です。

散策しながら、(母がこの施設に入所しなかったら、この場所に来ることもなかったなあ)
などと思いながら歩いていた時に、ふと気がつきました。

母のお陰で色々な出逢いがあって、私の世界も広がっているなあと。

例えば、母が心身の調子を崩してからの4年あまりの間だけでも、

入院、入所、見学、体験・・・etc.

そして、もしもの為に、私もヘルパー2級の資格を取りに行った時に出逢った病院や施設・・・

 

T病院、N病院、K病院、M病院、O病院、M老健、O老健、
Fグループホーム、Aグループホーム、Jグループホーム、

Mグループホーム、Oグループホーム、Sグループホーム、
A特養、O特養 、S特養とあり、

 

施設によって、全く違う個性があるんだなあと学びました。
そして、人の温かさや厳しさ、嬉しさや戸惑い、感謝や罪悪感・・・etc.

色々な出逢い、体験や感情を味わいました。

 

又、母は元気だった頃は、色々なことに興味を持ち、

仕事も趣味も精力的にやっていた人でした。
 

それが70代前に仕事をやめた時から、

身体の調子を崩したり、認知症になったりで、

元気だった頃と比較すると、周りとの協調性がなくなっていきました。

 

それでも、まだ70代なので、

お元気な女学校時代のお友達が、

お見舞いに来て下さったり、

 

母は短歌人としても活動していたので、

母が亡くなった後も、私までお声を掛けて頂いたりしました。

 

そしてそして…

グループホームに入所した時のことです。

何と!そこに~母の女学校時代のお友達のMちゃんがいたのです。

母は覚えていて、名前を呼んだのですが、

Mちゃんの反応が少し薄かったように感じました。

 

母が卒業した女学校が、戦後、私が卒業した高校になっているので、

自宅に同窓会名簿の案内が来ていたことを思い出し、

私は今まで、卒業名簿など買ったことはないのですが、

平成19年版だけは、Mちゃんや母と一緒に見たくて購入しました。

 

やはり〜豊橋高等女学校の「昭和23年3月卒業」の名簿の中に二人の名前と、

他にも会いに来て下さった女学校時代のお友達や、

私の同級生のお母さんのお名前もありました。

 

実家にあった母の女学校時代の懐かしい写真も持って行ったら、

グループホームのスタッフさんも一緒に、みんなで喜んで下さいました。
 

付箋のあるページに母や同級生の皆さんのお名前が掲載されています。

 

 

 

「母のおかげさま」はいっぱいありますが、

ソフト面でもハード面でも色々な体験を通して、

私が知らなかった世界を知るきっかけになったり、

気づきがあったりしました。


そして、母が亡くなった年齢に近づくに連れて、

当時、母の気持ちにもう少し寄り添えていたらと思うばかりです。

 

私もこちらの本のタイトルが切実に身に染みるお年頃になりました。

 

 

70歳が老化の分かれ道 (詩想社新書) | 和田 秀樹 |本 | 通販 | Amazon

 

 

母から頂いた最も大きなギフトの一つが

この本のタイトル通りのことです。

 

やはり、仕事をず~として来た人が、

しかも、自分のやりたい仕事をして来た人が、

パタッとやめてしまった時の衰えは、

よ~く覚えています。

 

又、母は運動することが嫌いでした。

それも、心身の老化に大いに関係していると思います。

 

私もそんな年齢になって、

改めて、母が身を挺して教えてくれたことを、

私流に、運動も仕事も楽しく実行して行こうと思います。

 

 

今日も読んで頂いてありがとうございます。

 

また次回のブログでお会い出来たら嬉しいです(^^)