特に、この「不風流処也風流」という語は茶掛けとしてよく用いらています。
その場合には、風流らしい風流では真の風流ではない。
そういう風流らしさを通り越して、不風流というところに至らねばならない、というような意味に解釈されています。
まことに今日の茶の世界を見まわすと茶人ぶり、風流人ぶっている人もずいぶん多いようです。
又禅門でも、真実の修行もできていないのに、一休さんのまねをして洒脱を装い、奇異な言動をなしている人もあるように見受けられます。
川柳に、
一休のまねして寺を逐い出され
というのがありますが、人まねであったり、風流人ぶっているうちはダメです。
何事も臭みがあってはいけません。
(了)
(※)
「茶席の禅語」(西部文浄著) から引用させていただきました。
私もかっこいい事、しゃれた事を言おうとしたり書こうとしたりすることが、けっこうありますので、ドキッとしました。
もっと素直に云ったり書いたりできるようになれたらなあ、と思うことがよくあります。
そう思うこと自体が格好付けていることなのかも知れませんが。