【禅】有意氣時添意氣不風流處也風流 (13) | 対人恐怖で悩む内向型治療師のブログ

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私は対人恐怖で、緊張すると手が震える小心者の治療師ですが、
それでも30年余、延べ10万人も施術してくることが出来ました。

その経験から、対人恐怖でお悩みの治療師のみなさんに、
メンタルや施術方法についてお話したいと思います。


特に、この「不風流処也風流」という語は茶掛けとしてよく用いらています。


その場合には、風流らしい風流では真の風流ではない。


そういう風流らしさを通り越して、不風流というところに至らねばならない、というような意味に解釈されています。


まことに今日の茶の世界を見まわすと茶人ぶり、風流人ぶっている人もずいぶん多いようです。


又禅門でも、真実の修行もできていないのに、一休さんのまねをして洒脱を装い、奇異な言動をなしている人もあるように見受けられます。


川柳に、

一休のまねして寺を逐い出され

というのがありますが、人まねであったり、風流人ぶっているうちはダメです。


何事も臭みがあってはいけません。



(了)








(※)

「茶席の禅語」(西部文浄著) から引用させていただきました。 





















私もかっこいい事、しゃれた事を言おうとしたり書こうとしたりすることが、けっこうありますので、ドキッとしました。

もっと素直に云ったり書いたりできるようになれたらなあ、と思うことがよくあります。

そう思うこと自体が格好付けていることなのかも知れませんが。