【禅】獨坐大雄峰 (1) | 対人恐怖で悩む内向型治療師のブログ

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私は対人恐怖で、緊張すると手が震える小心者の治療師ですが、
それでも30年余、延べ10万人も施術してくることが出来ました。

その経験から、対人恐怖でお悩みの治療師のみなさんに、
メンタルや施術方法についてお話したいと思います。


独坐大雄峰(どくざだいゆうほう) (碧巌録第二十六則)



一人の僧が百丈懐海(ひゃくじょうえかい)禅師のところへ来て、

「如何なるか是れ奇特(きどく)の事(じ)」

と問いかけました。


ところで、この奇特ということですが、これには、おおよそ二通りの意味があると思います。


まず、霊験奇瑞というような不思議なしるしを意味します。


およそ世の人々が宗教を求め、信仰する場合には、病気平癒のためとか、商売繁盛のためとか、家内安全のためとか、いろいろと霊験ごりやくを目あてにしていることが多いようです。


そして、そういう願い事をかなえてくださるのが、ありがたい宗教であり、霊験あらたかな神さま仏さまであるかのように思っています。


また、予言をしたり病気を治したりする者が、神通力のある偉い宗教家だと考えている人もいるようです。


そういう世間の人たちの考えを代表して、「百丈禅師のところ、すなわち禅には、どんな霊験奇瑞があるのですか」と問うたのかもしれません。


また奇特には、すぐれたこと、尊いこと、すばらしいことという意味もあります。


ですから、この僧は「この世の中でいちばん尊いことすばらしいことはなんでしょうか」と問うているのかもしれません。


いったいそれはなんでしょうか。


金か、名誉か、命か、悟りか、仏か、神か。



(つづく)








(※)

「茶席の禅語」(西部文浄著) から引用させて

いただきました。 

















考えてみると、私も宗教家に対して、霊能力や神通力を求めているところがあります。

純粋に教えを求めているところもありますが、もし、同じくらい素晴らしいことを説いている二人の僧がいて、片方は霊能力も神通力はまったく無く、もう片方はものすごい霊能力や神通力を持っていたら、そちらの方に教えを求めるかも知れません。。。