【禅】即心即佛 (9) | 対人恐怖で悩む内向型治療師のブログ

対人恐怖で悩む内向型治療師のブログ

私は対人恐怖で、緊張すると手が震える小心者の治療師ですが、
それでも30年余、延べ10万人も施術してくることが出来ました。

その経験から、対人恐怖でお悩みの治療師のみなさんに、
メンタルや施術方法についてお話したいと思います。


これは『南蛮寺興廃記』に載せられている話ですが、もちろん史実のほどはあきらかではありません。


ともかく、この黙然と坐したところ、一喝したところ、これが「即心即仏」の活潑々地なはたらきであることが納得できなければ、真に「即心即仏」がわかったとはいえないのです。


頭ばかり、口先ばかりでは、なんにもなりません。


最後に、次の話を加えておきましょう。


宋の仁宋帝が大覚璉(だいがくれん)禅師に、


才去竪払  才去って払を竪つ

人立難当  人立って当たり難し


という謎語を与えたところ、禅師は直ちにそれが「仏」という字であることを判じ、そして同じように謎語をもって、しかも五言絶句でこれに答えました。


有節非于竹  節あれども竹にあらず (即)

三星繞月宮  三星、月宮を繞る (心)

一人居日下  一人、日下に居す (是)

与衆人弗同  衆人と同じからず (仏)


つまり「仏」とは「即心是仏」であると答えられたわけであります。



(了)








(※)

「茶席の禅語」(西部文浄著) から引用させて

いただきました。 

















「即心即仏」という言葉はなんとなく理解できたような気がしていても、黙然と坐したところや、一喝したところが「即心即仏」だと言われると、もう何がなんだか分からなくなります。

体験として分からなければ、本当に分かったことにはならないのですね。