わたくしたちの心も同様で、見るもの聞くもの、四方八方へ、心は動きたいように動きながら、しかもどこへもとどまらないことが肝要であります。
それでこそ如何なることに遭遇しても、臨機応変、自在なはたらきができるのです。
これをわかりやすく、たとえて申しますと、あの雑踏する市中を自動車を運転するようなものです。
このごろは交通事故が多いのですが、無事に運転するためには、電車、自動車、自転車、通行人、信号、標識、前後左右あらゆるものに気をくばりながら、しかも同時に何もかも忘れていかねばなりません。
そこにちょっとでも何かに気をとられ、心をとどめることがあれば、必ず事故を起こすことになりましょう。
水鳥の行くも帰るも跡絶えて
されども道は忘れざりけり (道元禅師)
水鳥や向こうの岸へつういつい (惟然)
とありますが、よくよく味わってみて、日常万般の上に生かしていきたいものです。
(了)
(※)
「茶席の禅語」(西部文浄著) から引用させて
いただきました。
これがまさに対人恐怖を克服した人の境地なのでしょうか。
自動車の例にあてはめれば、人間関係に気をくばりながら、しかも同時に何もかも忘れていく。
何かに気をとられ、心をとどめることがあれば、対人恐怖に陥るということになるということでしょうか。
これは少々厳しすぎるような気もします。
そこが禅の悟りと対人恐怖の克服との違いなのかも知れませんが、どうなんでしょう。