【禅】應無所住而生其心(7) | 対人恐怖で悩む内向型治療師のブログ

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私は対人恐怖で、緊張すると手が震える小心者の治療師ですが、
それでも30年余、延べ10万人も施術してくることが出来ました。

その経験から、対人恐怖でお悩みの治療師のみなさんに、
メンタルや施術方法についてお話したいと思います。


わたくしたちの心も同様で、見るもの聞くもの、四方八方へ、心は動きたいように動きながら、しかもどこへもとどまらないことが肝要であります。


それでこそ如何なることに遭遇しても、臨機応変、自在なはたらきができるのです。


これをわかりやすく、たとえて申しますと、あの雑踏する市中を自動車を運転するようなものです。


このごろは交通事故が多いのですが、無事に運転するためには、電車、自動車、自転車、通行人、信号、標識、前後左右あらゆるものに気をくばりながら、しかも同時に何もかも忘れていかねばなりません。


そこにちょっとでも何かに気をとられ、心をとどめることがあれば、必ず事故を起こすことになりましょう。


水鳥の行くも帰るも跡絶えて

されども道は忘れざりけり (道元禅師)


水鳥や向こうの岸へつういつい (惟然)


とありますが、よくよく味わってみて、日常万般の上に生かしていきたいものです。



(了)








(※)

「茶席の禅語」(西部文浄著) から引用させて

いただきました。 


















これがまさに対人恐怖を克服した人の境地なのでしょうか。

自動車の例にあてはめれば、人間関係に気をくばりながら、しかも同時に何もかも忘れていく。

何かに気をとられ、心をとどめることがあれば、対人恐怖に陥るということになるということでしょうか。

これは少々厳しすぎるような気もします。

そこが禅の悟りと対人恐怖の克服との違いなのかも知れませんが、どうなんでしょう。