22年前 《続き》 | 摂食障害20年目。〜自分との戦い〜

摂食障害20年目。〜自分との戦い〜

無職・42歳中年の食事記録や心の雄叫びblogです。

診断書は摂食障害・統合失調症。
少々、ADHA・ボーダーとも診断されています。
障がい者手帳2級。

只今過食嘔吐克服を目指し、もがき中。

※画像や数字等含まれるので、
不快な思いをする方は閲覧注意です。


その時代はまだ精神科やメンタルクリニックは
今ほど存在してなかったように思えるが
地元にありました。

私はもう既に幻覚症状や幻聴が
酷い状態だったので

先生の質問は
過去にシ○ナーや覚○剤を絶対にやっていませんか?
ばかり、何度もで、イライラした記憶がある。

貰ってきた薬を母から飲まされると、
急なイライラ、錯乱で
アカシジア症状どころではない

階段を何十往復もしたり、服を脱いでは着替えを
狂って繰り返し
自分で自分をコントロール出来ず
母や彼氏から泣きながら抱き締められても
暴れることしか出来なかった

薬を飲むのをやめると、
一日くらい経つとやっと落ち着く

でも、父は薬を病気なんだから飲めと言うので
泣きながら飲む
でも飲むと暴れるの繰り返しで
もうどうにもならなかった

その頃の記憶は薄々しかなく

覚えているのは2002年7月27か28日
浜崎あゆみの東京スタジアムツアーに行った日

弱った私は日が沈む夕方になると
恐怖感に襲われ、震えだし
ソワソワイライラ錯乱状態

当時愛してやまないayuのライブすら
彼氏と一緒でも最後まで全く観れず

長い時間をかけ家に帰ると
その日たまたま母がいなかった

私はすっかり子供がえりしていた為、
彼氏がいても母がいない夜は恐ろしく
発狂した

発狂している時に窓ガラスを見たら

男性が刃物を持ってベランダに立っていた
(もちろん幻覚です)

気を失ったのかもうこの日のことは
ここまでしか覚えていない

目覚めると、
何故か昼間で母と長椅子に座っていた
父もいた

『ここは病院だよ』
『もう大丈夫だよ』
『○○ちゃん、食べたいお菓子買いに行こうか』

ホッとしたのを覚えている。

コンビニ?でお菓子を買ってもらい、
食も細くなり痩せこけた私は
母が買ってくれたお菓子を少し食べて

母に寄り添いながら椅子へ戻ると

『○○ちゃん、入院だって』と
悲しげに笑う母

びっくりして
嫌だ、嫌だよお母さんと一緒にいたい、帰る、帰ると
あれこれ言っているうちに

運ばれてしまい

注射か何か打たれたのであろう

次に目が覚めた時は
明るい日差しが入った狭い個室で点滴されていて、
意識朦朧で動けない状態だった

今自分の居る場所が
他県の精神科の病院と知らされ理解できたのは
何日か後であった

ショックだった

毎日毎日個室でひたすら、泣いた

母に電話が出来たのは3週間後位だっただろうか
公衆電話から3分間のみ(見張り付き)

面会も1ヶ月後とかだったと思う

古い病院でどこも鉄格子
入ったことはないが獄中のようだった

仲良くしてくれる女の子がいても
いきなりキレられて殴られたり
物を取られたり

面会は出来なくとも
着替えやお菓子など持ってきてくれてた母

そのお菓子も全部、ちょっと食べようとすると
何人も群がってきては全部食べられちゃったり

残飯を食べ漁る人
いつもスリッパ食べてる人
その辺で失禁してる方々
発狂して暴れる人達
逃走を試み全身拘束される人達
(自分も同じ事して何度か拘束されたけど)

とまぁこんな感じの重症閉鎖病棟から
秋には退院出来たのですが

病名は
精神分裂病
(今は統合失調症に変わりましたね)
でした

その後は隣市のメンタルクリニックに
2年ほど母と通い
朝・昼・夕・眠剤
各7〜8錠近くの薬を23歳くらいまで服用し

幻聴・幻覚は徐々に治まっていきました。

22年経った今でも、
お風呂や窓ガラスには敏感で
フラッシュバックする時もありますが

もうこればかりは今の家にいる以上、一生だろうと
主治医には言われています

数年後に聞いた母の話では、
私が入院している間も
男は家の周りに来ていたそうです
外にコ○ドームが
捨てられていた事もあったみたい。

一人の人間を人間じゃなくさせた
その男は
地獄に堕ちろと今でも思っています

当時大恋愛していた彼氏とは、
後に別れました

原因は、彼氏の母親が
精神病に偏見を持っており…
色々。

彼はこっそり会いに来てくれたりしていましたが
まだ若かったからでしょうね

4年目で、別れました。