元々は回りくどくて
役に立たないという
意味ですが
日本に入ってきて、
うっかりして、とか
不注意という
独自の意味が加わった
ようです。
私の腎臓病との長い
付き合いの中で
迂闊だったこと、
つまりうっかりしていて
後悔したことが
三回ありました。
一つ目は2000年の秋、
健康診断で腎臓の異常を
指摘されたときのこと。
実は、学生時代から
健診では常に
尿たんぱくで
引っかかるように
なっていました。
そこで、
社会人になる前に
二週間程検査入院をして
蛋白尿の原因を
調べました。
しかし原因は
よく分からない。
その時の担当の
女医さんは、
私の体が細かいため、
腎臓が体内でどこかに
当たっているだろう。
そのため
腎臓がダメージをうけ
蛋白尿が出ているのでは
という見立てでした。
もう少し太ってくれば
改善されてくるのでは。
といったような説明を
してくれたと思います。
それで私や家族も
いずれ治るだろうと
その後はほとんど気にせず
過ごしてました。
健常者、
または健常だと
思い込んでいる人に取って
「病気だ」という事実は
「病気だ」という事実は
なかなか認めたくない、
敢えて避けていたい
事実です。
なので、その後毎年の健診で
当然のように蛋白尿が出て
当然のように蛋白尿が出て
再検になるのですが、
そのたびに
「学生時代に入院して
検査して大丈夫でした」
検査して大丈夫でした」
と言っては
その先の精密検査は
避けていました。
ただ、検査入院時に
担当だった女医さんの
診断も適切だったのかな
とも思います。
なぜ腎生検とか
詳しい検査を
しなかったのでしょうか。
その後一年半で透析導入
となるのてすが、
その時はこの女医さんを
恨みました。
実はこの女医さんとは
二つ目の透析施設で、
まさかの23年ぶりの
再開を果たすことに
なります。