フランス(フランク)王が気になったそのさん | 元鉢巻きのサバティエンヌが今後もしかしたら本格的にボディビルダーを目指すかも知れないブログ

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訳あって現在は非活動的な日々を送っているかつて鉢巻きのサバティエンヌだった者がいずれ元気になって何事かをなさんとの思いを胸に抱きつつなんとなくその時々の出来事などを記すブログ

人物を調べるのに夢中で、
年代をまったく見ていなかったことに気付き、
あとから慌てて調べました。
クロヴィス1世がフランク王だったのは西暦500年前後です。
シャルルマーニュの父ペパン(ピピン)が王だったのは西暦750年ころです。
いわゆるメロヴィング朝のフランク王が存在した期間は、
250年間ほどということになります。
その約250年間のフランク王を列挙します。
(メロヴィング朝のフランク王は複雑なため、
 調べ漏れがあるかも知れませんので、
 漏れがあってお気付きの方はコメントにてお知らせください)

クロヴィス1世
ティエリ1世
クロドミール
シルドベール1世
クロテール1世
ティベール1世
ティボー
カリベール1世
ゴントラン
シジュベール1世
シルペリク1世
シルドベール2世
ティベール2世
ティエリ2世
クロテール2世
シジュベール2世
ダゴベール1世
カリベール2世
シジュベール3世
クロヴィス2世
シルドベール3世
クロテール3世
シルデリク2世
ティエリ3世
クロヴィス3世
ダゴベール2世
クロヴィス4世
シルドベール4世
ダゴベール3世
クロテール4世
シルペリク2世
ティエリ4世
シルデリク3世

33人です、多分。
なんか変ですね。
人数が多すぎます。
約250年間で33人ということは、
平均して一人あたま7年半くらいということになり、
いくらなんでも短すぎるように感じます。
さらに私に混乱を生じさせたのは、
王になった年月日が同じという人物が複数、時には最大4人いること、
そして、Wikipedia先生フランス語版には、
「フランス(フランク)王のリスト」という項目もあるのですが、
そこに列挙されているフランク王の順番が、
たとえば兄弟で4人が王になっていた場合、
兄から弟へと順に書かれている訳ではない例もあり、
甥や甥の子などが叔父より前に書かれていたりすることもあり、
順番の決め方が分からなかったことでした。
なお、上記の私のフランク王列挙の順番は、
Wikipedia先生フランス語版「フランス(フランク)王のリスト」とは異なります。
私がどういう順番で並べたかは後述します。
王の人数がやたら多い、
同時に王になった者がいる、
列挙の順番が謎、
などの疑問点に私はかなり悩まされたのですが、
それらは、すべての疑問点を繋げて考えることで、
一気に理解することができました。

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ちなみに、私は自分で調べて考えるのが楽しいので、
ちんたらちんたら同じ史資料に何度もあたったり、
あちこちといろんな史資料を見比べたり、
ウンウン呻きながら頭を悩ませたりしている訳ですが、
もし何か知りたいことがあるなら、
それについて詳しい人間に聞くのが、
何よりも早く正確に情報を得られる手段ですので、
知りたいことがある時は、
ぜひその道の専門家に連絡することをおすすめします。
私も、今回は違いますが、
別件でちょっと知りたいことがあるので、
朝鮮半島の歴史を専門にしている知り合いに、
連絡をとろうか検討中です。
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散々悩んだ私が出した結論は、
「フランク族には王位を複数人で共同して継承する慣習があった」、
というものでした。
その視点で史資料を見直してみると、
疑問だった点はすべて説明がつきました。
Wikipedia先生フランス語版「フランス(フランク)王のリスト」の、
順番が謎だった件も、
王になった時が早い順ではなく、
王でなくなった(具体的にいうと「死んだ」)時が早い順に並んでいたのでした。
何らかの順番を決める基準がなくてはいけない訳ですから、
(最近、「きめる」を変換したら、
 「鬼滅」の誤りじゃないかとPCが訊いてくるようになった・・・)
死んだ順に並べるのも一つの考え方ではあると思いますが、
それでは当時の王位継承の在り方を正しく伝えられないと思いましたので、
私は、上記の王の列挙にあたって、
初めて王になった時が早かった順、
2人以上が同時に王になった場合は、
生まれた時が早かった順にしました。
「王位を複数人で共同して継承する」というのも分かりにくいですが、
お金で言い換えてみると、
1200万円あって、
4人の兄弟が300万円ずつ相続するのだけど、
自分以外の兄弟が生きているうちは、
その300万円を使ってはいけなくて、
兄弟のうち1人が死んだら、
その1人が相続していた300万円は、
残りの3人が100万円ずつに分けて受け取って、
3人で400万円ずつ相続した形になり、
次に1人死ぬ者が出たら、
その400万円を200万円ずつに分けて、
残りの2人が600万円ずつ相続した形になり、
もう1人死んで、兄弟のうち生きている者が1人きりになったら、
死んだ1人の600万円を生き残っている1人が引き取って、
最終的にその1人が1200万円をすべて相続、
1200万円を相続した最後の1人は、
自分の子へ、兄弟4人にまた300万円ずつ相続させる、
ということを繰り返す、みたいな感じでしょうか。
推理小説だったら確実に殺人が起こりますね。
フランク王の王位継承においても殺人が起こっていた節が窺われます。
そんな中でも、
自分の死後、自分の取り分を、
兄弟に戻さず、自分の子に継承させようとした王もいたりして、
フランク王は、
系図と王位継承の経緯が、
凄まじく複雑になっています。
系図一つではとても表しきれないので、
系図と王位継承の経緯を図にしたもの、
2つの図にまとめてみようと思います。

続きます!