フランス(フランク)王が気になったそのに | 元鉢巻きのサバティエンヌが今後もしかしたら本格的にボディビルダーを目指すかも知れないブログ

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訳あって現在は非活動的な日々を送っているかつて鉢巻きのサバティエンヌだった者がいずれ元気になって何事かをなさんとの思いを胸に抱きつつなんとなくその時々の出来事などを記すブログ

私は大学で日本史、日本古代史を専攻しました。
世界史ももちろん好きなのですけど、
まっとうに学んだのは高校までと、
あと、大学の一般教養課程での必修くらいで、
それ以降は世界史との深いお付き合いがないまま、
十何年が過ぎていました。
それでも東洋史、特に朝鮮半島や中国の地域の歴史は、
日本史とも強い繋がりがあるために、
日本史について学ぶ、調べる上で、
そちらもあたらざるを得ない状況も多く、
少しは親しみながら生きてきました。
だから、ネット上の情報でも、
朝鮮半島、中国あたりの地域の歴史に関することは、
信憑性が高いか否か、なんとなーく分かるつもりです。
しかし、それ以外の地域の歴史となると、
真偽のほどは皆目見当つきません。
フランス(フランク)王について調べるにあたっては、
Wikipediaにしてもフランス語版がまだしも正しい率が高いかなー、
程度で使った訳です。
どこの地域や国の人間でも、
自分が生まれ育ち住む場所の歴史に興味を持つ者が、
一番多いと思われますし、
興味を持つ人間が多いほど、
より詳しく正確な情報がたくさん出てくるはずです。
ただ、悩む部分については、
英語版や日本語版の同じ項目があれば、
それらも見て、情報を比較しながら調べました。
Wikipediaなら、同じ項目でも、
異なる言語のものはまったく違う人が書いているので、
比較、検証することでより正確な情報が得られるはずという訳です。

ということで、フランク王についての話です。
(このブログ、前置きすらも長ぇ)

シャルル・マルテル(カール・マルテル)の時代より前のフランク王は、
日本の高校までの歴史授業ではまったくといっていいほど扱われない、
せいぜい、4世紀くらいからゲルマン民族の大移動があってー、
フランク族というゲルマン民族の中の一集団が、
現在のフランスにあたる地域に住みついてー、
その中からメロヴィング朝フランク王家が創設されたけどー、
宮宰(家老みたいなもの?)であるペパン(ピピン)に王位を乗っ取られてー、
ペパンの子で次の王になったシャルルが軍事・政治に極めて優れいてー、
現在のフランス・ドイツ・イタリアにまたがる大帝国を築き上げたー、
くらいの記述があるだけで、
要するにシャルルマーニュが出現するための土台程度にしか、
扱われていないので、
実は、ペパンより前のフランク王のことを知るのは、
私も今回が初めてだったりします。
今回、調べてみて、私としてはわりかし重要と思ったことは、
「フランス王」と「フランク王」は、
フランス語による扱いにおいて、
かなり根本的な違いがあるようだという点です。
「フランス王」はフランス語で「Roi de France」です。
「フランク王」はフランス語で「Roi des Francs」です。
「フランス王」はフランスという名で区切られた領域の土地を治める者、
「フランク王」はフランク族に属する人間たちを治める者、
を意味しているということです。
「フランス王」は「フランス国の王」、
「フランク王」は「フランク族の王」、
とでも言い換えれば分かりやすいでしょうか。
古い時代は多くの人を掌握していることが重要で、
新しい時代は管理している土地の広さが重要だった、
ということでしょうか。
古い新しい言ったってどっちにしても今から見れば古い時代なんですけどね。
フランク族が属するゲルマン民族が大移動したことを考えると、
「フランク族の王」だった時代は定住していなかったから、
土地ベースでものを考えても意味がなかったのかも知れませんね。
そして、本題のフランク王について調べるにあたっては、
まずは誰からあとのことを調べるのか特定することにしました。
Wikipedia先生フランス語版で、
「王(roi)」と表記されていた一番古い例はテオドミールなる人物でした。
その先代で父であるリショメールの項目では、
リショメールのことが「chef(長)」と表記されております。
ただし、テオドミールから、クロディオン、メロヴェー、シルデリクまで、
この4人は「Roi des Francs Saliens」、注釈付きで訳すと、
「フランク族(を構成するいくつかの支族の一つであるところ)のサリ族の王」
となっているので「フランク王」に入れるには躊躇を覚えます。
シルデリクの次のクロヴィス1世に至って、
ようやくシンプルに「Roi des Francs」と表記されていたので、
今回の当ブログ記事で「フランク王」として扱うのは、
このクロヴィス1世以降にしたいと思います。
ここまででもすでに充分に複雑で面倒くさい話ですが、
ここから先のフランク王について調べていったところ、
さらに複雑で面倒くさい話が待ち受けていたのでした。

続きます!