昨日は外回りに行ってきました。その時の写真から。 | 竹田市在住クルマ屋うえしま(りゅうちゃん)の記録 

竹田市在住クルマ屋うえしま(りゅうちゃん)の記録 

竹田市会々の(株)竹田整備工場に勤めています。
大分市のヤマハ専門オートバイ販売店YSP大分に勤めていました(R元年7月退職)
125cc大好きで複数所有。
4輪も大好きです。

長文で難しいことを時々書くかもしれないのでご注意ください。

おんせん県大分の竹田市在住、上島です

昨日は外回りで、距離はそうでもないのに何ヵ所も回って時間がかかりました。
田舎者には駐車場探しが大変です・・・

さて、なんでもない事ですが、この日のちょっと良かったこと。
踏み切りに引っ掛かって、気動車を見ました。
久大線湯布院方面です。


ディーゼル気動車なので、電車ではありません。
大分県では、電車も気動車もまとめて「きしゃ(汽車)」と呼びます。
いえ、呼ぶのは4~50代以上でしょうか。

さすがに蒸気機関車は走っていませんが、私たちの子供の頃は誰もが「きしゃ」と呼んでいました。

お国言葉(方言)の部類なんでしょうね。


さて、外回りの写真をもう一枚。
石垣にお城の骨組みだけがあるのが見えますか?

ここは大分市の大分市役所横にある、「府内(ふない)城跡」です。

これは、「府内城仮想天守閣イルミネーション」ということをしていて、夜間は光っていました。
一週間前に終わっていて、形だけ残っています。

大分県はかつて「豊後国」と呼ばれ、鎌倉時代に鎮西探題として派遣された大友氏が治めていました。
戦国大名として、一時は北部九州を手に入れるほどの勢いがありました。

しかし、この府内城は大友氏改易後に作られています。
私のご先祖様も、大友氏が改易後に播磨国から転封された時について来たので、個人的には大友氏に思い入れはそれほどありませんが・・・

しかしお城は大友氏がつくっていなくても、府内の町は大友氏の時代に栄えたのは間違いありません。

その意味で、歴史を感じて興味深いことがありますね。

まとまりのない内容ですが、外回りの途中の写真からでした。