学生の頃とは全然違うなあ~という人や、希望通りの職種だけど、外から見るのと中にいるのでは違うなあ、という人など、いろいろあると思います。
社会科(歴史)の先生になりたかったのに、体育大学へ進学したので方向がずいぶん変わった、おんせん県大分の竹田市在住、バイク屋店員の上島です。

今朝の大分合同新聞朝刊に、「次期学習指導要領の改定案」が一面大きく掲載されていました。
上の写真は記事を写したものです。
その中に、「聖徳太子は「厩戸王(うまやどのおう)」に」という小見出しがあって、歴史が好きな私は引き寄せられて読んだんです。
その他「元寇→モンゴルの襲来(元寇)」、「鎖国の表記が消える」など、歴史が好きでここ十年間くらいの研究の推移をかじっている人なら、なるほどね、そうやわなあ、と思える内容に変わるそうです。
これらの内容は、一部の現行教科書では先取りされているそうですし、混乱しないようにこれまでの用語を併記する配慮もされるそうです。
さて、そんな歴史の話から思い出したことがあります。
自分が好きなこと、専門としていることを他の人が詳しいかというと、そんなことはありませんよね。
先程出てきた「厩戸王」は、歴史好きな人なら誰でも知っているだろうと思いましたが、必ず知っているとは限りません。
日本の歴史だけ考えても、人気のある「幕末」や「戦国時代」などの興味があることには詳しくても、その他の年代は良くわからない、ということがあり得ます。
そのことを初めて知ったのは、学生時代に家庭教師みたいなことをした時に、その子供が「三島由紀夫」という人物名を知らなかったんです。
その後でお父さんと話したら、お父さんも「三島由紀夫」を知りませんでした。
親子で知らないことは、その人達に必要がなかったからで、恥ずかしいことではありませんよね。
私はその時に、「自分が知っていることは当たり前ではない」と気づき、「知らないことがあっても恥ずかしがらずに堂々としていよう」と思いました。
必要があれば、これから知ればいいだけですからね!
話がかなり広がってしまいましたが、新聞記事から思い出したことで、奢らず腐らず、これからも頑張っていこうと思いました!
ではでは、ここまでお読み頂きましてありがとうございました!