8月8日に書いた東日本大震災の時の記事、沢山の人に見ていただいてるみたいで文章変だから恥ずかしいなとか、何かを考えるきっかけになれたなら嬉しいなとかそんな気持ちでいっぱいです

昨日は8月9日で長崎に原爆が投下された日、悲しい過去を忘れちゃいけないな。と思いながら自分の事ではありますが、被曝という単語で思い出したことを書こうかな。
3月11日のあの日。
東日本大震災によって起きた津波は、福島県にある原子力発電所にも押し寄せました。
巨大な波が襲来し、一部で炉心融解、水素爆発も起き、放射性物質が大気と太平洋に流れ出したわけです。メルトダウンなんて言葉、ニコ動以外で聞くとは思いませんでした。話が逸れましたね、失敬。
当時、中学3年生の私は、宮城県の一番下の方に住んでおり、福島県に10分そこらで行ける場所に住んでいましたが、電気がないと大変だな、節電を心掛けなくちゃ位にしか思っていなかったのです。
それから、震災があって一週間ほど経ち、メールが使えるようになった頃、一斉送信で送られて来たメールには、
「被曝の恐れがあるため、洗濯物を外に干さないこと、近辺で採れた、野菜、山菜は食べないように。雨の日は雨に当たらないように必ずレインコートを着用し、傘をさすこと。」
被曝とは・・・?って感じだったわけなのですが、どうやら原発事故からの話だと、曖昧に親から聞いたのを覚えてます。
震災があったその年の4月から私は高校生になり、震災後、復旧しつつある町で、この原発による被曝のことに関しては、特に気にもせず過ごしていたわけなのですが、あるとき家に遊びに来ていた祖父の仕事関係で付き合いのあるおじさん(独り身)に言われたのです。
「俺もそろそろ結婚を考えようかな〜・・・。ああでも、ここら辺の子たちや、福島原発の周りで被曝した子たちは将来きっと貰い手がないからな、そういう子達可哀想だからな。もしもの時は俺が貰ってやろうと思ってるんだ〜。」
絶句。
貰い手がいないって発想にいきつくのは単におじさんが独り身で結婚したいのに結婚できていなかったからっていう、負け惜しみのような言葉だったのかもとは今思うのですが。
だいぶ昔のことですから一字一句、言っていたことが間違ってないとは言いませんが、この内容は間違っていません。
こんなこと言う人がいるんだ、もしかしたら世の中には原発事故によって被爆した人たちはダメだとか、価値が下がるみたいな考えする人もいるのか、このおじさんが変でやばいだけで実際はいないかもしれないけど、そうとも言い切れないのかもしれない・・・。なんて高校生ながらに、1人、部屋の中で悶々と将来のことを不安に感じました。
その後、震災時18歳以下を対象に甲状腺検査が行われるたび、おじさんから言われた言葉を何度も思い出しました。
実は結婚する時も脳裏にその言葉がチラつきまして、泣きながら現在の夫に被曝している可能性は0じゃないことを伝えました。夫はどう思ったのかはわからなかったけど、大丈夫ってわたしが泣き止むまでずっと言ってくれました。
そして2年前くらいだったかな、突然宮城の実家がある町の役場から文書が届き、これまでの検査の結果、あの原発事故の放射能による甲状腺がん等被害の可能性がないことがわかった、みたいな文書(かなりうろ覚えです)が届いて、ちょっと安心したんですよね。ちょっとね。
実際死ぬまで確実なことは分からないわけです。死んでもわからないかも。
ともあれ、生きてる人間なので、思えば酷いことを言われる筋合いはどこにもないのです。あんな酷いこと言われる必要あったんだろうか、1人の人間に変わりないのに。命は平等なのはずなのに。
私はたいして学がないし、世の中をまだまだ知らない。でも今でも原爆のこと、原発のこと、沢山問題があって、被曝という言葉に夜な夜な悩み続ける人がいるのはわかるから、せめて自分の事ばかりじゃなくて少しでも他人のことを思いやって発言、行動できたらなと思う。
こういう話って実はデリケートなんでしょうね、記事を書きながら、酷いこと言われたりしないよね?私の感覚、間違ってないよね・・・?と不安と緊張からなのか手足が冷たくなっていくのを感じました
今日も明日も明後日もどんなに小さくても幸せなことに気づけますように。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
最後はうちの猫きなこを見て癒されてください