精神障害者の「社会復帰」と「社会的復権」 | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る

星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る

アマゾン、iBooks、楽天Koboで電子書籍を販売しています♪
メッセージボードのリンクからばびゅっと飛んで行ってね(^o^)/
A5小冊子版(紙の本)もあります♪お問い合わせ下さい♪

 えっちな小説書くのは楽しいのに学校のレポート書くのはなんでこんな苦痛なんでしょう。

 一本当たりの字数としてはずっと少ないのに。

 

 なんちて。学校の課題で書いたものですが我ながら結構おもしろい気がするので載せときます。

 教官がどういう評価をくれるかはわかりませんが。とりあえず教官がこれを見てないことを祈ります。

 

-------

 

 「精神障害者の『社会復帰』という言葉に違和感がある。じゃあその人たちは今どこにいるんだよ」

 という言葉を大学の先生が口にしていた。

 「社会復帰」という言葉は恐らく、「ノーマライゼーション」とか「リカバリー」、「インクルージョン」という外来語が表す概念の方がより近いのだと思う。また、「『社会復帰』という言葉は、英語の『リハビリテーション』と同義である」とする見解もある。今に至るまでそれらの理念を表す適切な日本語が存在しないために、「社会復帰」という言葉が使われているのだろう。

 先生が強調したかったこと、わたしが深く共感したことは、「病院や施設など精神障害者のコミュニティだってそれ自体が一つの『社会』であり、もっと大きな広い『社会』の一部だ」「決して後者の『社会』から切り離された形でコミュニティがあるのではない」「そう考えられた時代も長かったかも知れないが、今は違う。違ってあるべきだ」ということだ。

 「社会復帰」とか「社会適応」という些か定義のはっきりしない、漠然とした言葉は行政の制度の名称としても用いられているが、仮に精神障害者が「社会」に不存在であり、不適応であるとするなら、主に精神障害のない健常者たちで構成される(ことになっている)「社会」というのは、「復帰」や「適応」を「したい」ような「社会」なのか、「社会復帰」や「社会適応」というのは「しなければならない」ものなのかが問われると思う。

 少なくとも、精神保健福祉士としてはその問いに鈍感であってはいけない。「精神保健福祉士の倫理綱領」(以下「倫理綱領」)の目的6に「すべての人が個人として尊重され、共に生きる社会の実現をめざす」とある通りだ。また、倫理基準の4にも「社会に対する責務」として、「精神保健福祉士は、専門職としての価値・理論・実践をもって、地域および社会の活動に参画し、社会の変革と精神保健福祉の向上に貢献する」という条文がある。人に「復帰」せよだの「適応」せよだの言う前に、変わってゆくべきなのは社会の方ではないのかという視点を常に持っていること、そのための行動を起こしていくことが精神保健福祉士としての責務の一環だとわたしは解釈する。

 「倫理綱領」は約3300字という短い間に、「社会」という言葉が熟語も含めて17回使われている。この内、「(クライエントの)社会的復権」という熟語は前文と倫理原則3の計2回登場する。対して、「社会復帰」という言葉は一度も使われていない。

 「社会復帰」をネット辞書で調べてみると、「病気や事故などで従来の社会活動が困難になった人が、身体的な訓練や職業訓練によって再び社会人として活動できるようになること」とある。それは「リハビリテーション」であろう。「リハビリテーション」というのは我が国ではどちらかというと「身体的・職業的訓練」そのものを指すように思われるが、「リハビリテーション」の適切な訳語は本当に「社会復帰」なのか。それとこの定義、「社会人として」という箇所は要らなくないだろうか。「社会人」って何だよ、と冒頭の大学の先生ではないが、思う。

 「社会的復権」もネット辞書で調べようとしたが、熟語としては出てこなかった。「社会的」と「復権」、それぞれ別々に調べてみた。

 「社会的」とは、「社会に関わりがある様。社会性がある様」。「復権」とは、「一度失った権利などを回復すること」。

 つまり、「精神障害者の社会的復権」の辞書的な意味は、「精神障害者が社会的に、一度失った権利などを回復すること」となる。

 「社会復帰」という言葉には「精神障害者は頑張って病気を治して早くこの(資本主義の)社会に(労働者・消費者として)復帰せよ」というニュアンスが伴うように感じる。わたしがどうもこの言葉に胡散臭さと反発を覚える所以だ。「社会復帰」という言葉は何かと就労と結び付けられがちである。時には専業主婦や無職の人がアルバイトで働き始めた時や、フリーターが正規で雇用された時まで「社会復帰」と言われたりする。わたしも言われたこと、勝手に祝われたことがあるが、ちっとも嬉しくはなかった。全く以て「じゃあ今までどこにいたんだ」という話である。「社会」というのはそんなに定義の狭い概念なのだろうか。

 もちろん、リカバリーの希望を持ち、努力をすることは素晴らしいことだが、「社会復帰」という言葉には人を経済活動の活発さやそれと関連する外向性、社交性の高さでしか評価せず、体制に順応することを一方的に求め、全ての責任を個人に帰するような印象がある。

 それに対し、「社会的復権」は、「精神障害者が不当に社会から奪われた権利を取り戻す」意思や過程を想起させ、「社会復帰」よりもずっとアクティブでポジティブで主体的である。アグレッシブ(戦闘的)とかラディカル(急進的)という言葉すら相応しいかも知れない。「奪われた権利」というのは就労の権利ももちろんだが、そんな狭い範囲には留まらず、「倫理綱領」目的6にあるような「個人として尊重され、共に生きる」権利のことと捉えられるだろう。

 また、「社会復帰」は個人的で時間的にも非常に限定された営み、つまりケースワーク的であるのに対し、「社会的復権」はより長いタイムスパンで、かつ精神障害者を全体として捉える、即ちソーシャルアクションの視点を内包する概念である。

 「倫理綱領」前文にあるように、共生社会の実現を目指し、クライエントの社会的復権・権利擁護のために、時には既存の体制を向こうに回して闘える精神保健福祉士になりたい。

 

-------

 

(1) Lady Soul - If My Sister's In Trouble - YouTube

 

I will turn the world around
I will fight for her right