真っ赤なバラの海は 華やかな彼女の人生 | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る

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 「百万本のバラ」の歌詞解釈について某所で議論。

 「一瞬の思い出の中で生きようという歌」という意見があったので反論した。 

 はっきり言われてないが、絵描きはバラの思い出を心に抱いたまま孤独な日々を送った挙げ句、野垂れ死んだのだ。

 

 だって家も商売道具も全部売り払って愛する人への贈りものに換えたんだから。 

 この歌の真に「救いのない」所はそこにある。 

 或いは「救いがある」所か。

 

 今日一日「百万本のバラ」の絵描きのことを考えてると気が滅入ってきた。 

 それでも、プラトニックラブ、フィクトセクシャルについて文学的・学術的に論考したい。  

 

二千年と二十一年前から愛してる | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る (ameblo.jp)

心の傷といえば | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る (ameblo.jp)

 

 かの女優に恋した絵描き、ひたむきな愛に殉じた絵描きのように、「芸能人・有名人が好き」ってのはフィクトセクシャルに含めていいと思うんだな。

 

 有名ってどんな気分なんだろう。全然知らない人間が自分のことを知っている、一方的に熱烈な感情を抱かれたりもするってどんな感じなんだろう。有名になったことないから想像がつかないのよ。

 

 夕べ、ある前議員のユーチューバーの方(名前を言えば大抵の人は知ってるレベル)にチャットで尋ねてみたんやけど、いまいちピンとこない答え。

 

 その方に「ご自愛を」祈られてしまったわ。

 

 「自分を大切にしてね」
 と言われるのは嬉しい。