前項とは全然関係のない話なんですが、なんかちょっと昔のことを思い出したので書きます。
「××さんの追っかけしてた」と言ったら、知人から「エッチとかあったの?」と訊かれたことがあります。
「そんなのあるわけないですよ」と言ったら、「それは心の傷になるよ」と同情されました。
知人は男性で、こちらの気持ちを思いやったつもりかも知れませんが、内心ウザッと思いました。
その人の「セックスしてない男女はかわいそう」という価値観が透けて見えたからだと思います。
恋愛というのはデートやセックス、同棲、結婚といった「行為」「制度」と違ってただの「感情」、心の働きですから、誰にどんな状況で恋をしようが、片思いだろうがプラトニックだろうが人の自由であるはずで、「それは本当の恋じゃない」「一般の人からかけ離れた考え方だ」と人に決めつけられたり、非難されたりするようなものではありません。
極端に言えば、二次元に恋したっていいのです。
成程、いくら好きでも思いが実らないというのは全く喜ばしいことではないですし、そのように思いが実らないのはわかっていて好きになってしまうというのは幸せなことではないでしょう。
でも、人を憐れむというのは本質的に無礼な態度だと思います。
「××さんの追っかけしてた」頃からの時の隔たりと、にも関わらず自分があまり恋愛経験もなく、ある意味成長していないことを考えると恐ろしいのですが、何かにつけてふと「それは心の傷になる」という知人の言葉を思い出します。
知人とそのやり取りをしたのが結構昔の話で、「××さんの追っかけしてた」のは更にそれより前ですからね。
「二次元が好き」(学術的にはフィクトセクシャルといいます)と、「芸能人や有名人が好き」(所謂グルーピー、追っかけ、推し活)というのは恋愛感情のあり方としては非常によく似ていると思いますが、大きく違うのはやはり「万に一つでも可能性があるか、ないか」という所だと思います。後者は実在する人間であるわけですからね。
「それは心の傷になる」というのは、一度でも抱かれるのと抱かれないのでは全然違うということでしょうか?
たとえ一晩だけでもそんな関係になったとして、果たしてその思い出だけに縋って生きていけるものなんでしょうか?
一度や二度そんな関係になった所で、スターはやっぱりスターでしかないのではないでしょうか?
なろうがなるまいがどっちみち傷つくとしか思わないのですが。
なってみないとわかるわけありませんし、現状誰かとそういう関係になりそうだというわけでもないので、考えるだけ無駄なのですが。
芸能人に叶わぬ恋をし続けて思いが自然消滅するより、リアルで好きになった相手から手荒く拒絶された経験の方がよほど心の傷になります。