「君が貧操の為に修竹を弾ぜん
惜しまず紅顔の空谷に在るを」
(貧しくても、人に理解されなくても、飽くまで操を守るあなたのために、琴を一曲弾じよう。あたら紅顔を人けのない谷間に朽ちさせても惜しまぬあなたのために)
楊維楨「貧婦謡」(ひんぷのうた)
前項の続き、フィクトセクシャルのお話の続きです。
昔、広隆寺の弥勒菩薩に恋をして、触れようとして間違えて像の指を折ってしまった学生がいました。
六十年ほど前のことです。
リアルで人を好きになっても結局片思いで終わるので二次元や芸能人にプラトニックな情熱を燃やし続ける、みたいな人は現在でも割といる気がしますけどね。どうせつきあえないなら同じですわね。
ある程度以上の年齢になればなかなか人には言わないだけでしょう。その人にとって大事な心の秘密であればあるほどそうだと思います。
個人的には、「言うほど『セックスしてないとだめ』みたいな風潮あるか?」と思います。
べつに「特に好きな人もいないし一生独りでいいの」って言ってれば済む話ではないでしょうか。
なんで二次元の恋人がいるとか言っちゃってそれを認めてもらおうとする必要があるんでしょうか。
「フィクトセクシャル」とかいう名前が付くこと自体は学問的にはいいと思いますが、市民権を求めるようなことではないと思います。
確かあたしのデェ嫌ェな山田詠美とかはそんなこと言ってたような気がしますが、「セックスしないとだめだ」とか言ってくるようなやつはどうせろくな友だちじゃないし、そういう人間に「二次元が恋人」なんて言ったって余計に理解されないでしょう。
男女問わず、生身の人間とのセックスよりも、二次元や芸能人を媒体としたマスターベーションの方が快楽を得られる、という人もいます。
「セックスしたことがなければ人として未熟」ということはないと思います。
ただ「特定の実在セックスパートナーと長年に亘る親密かつ良好な関係を築いたことがない」という点では、人として未熟とか人生経験が浅いということはもしかしたら言えるかも知れません。断っておきますが自分も含めてです。
しかし人類史上最大のオルガナイザーにしてロングセラー作家である使徒パウロが生涯妻帯せず、恐らく一生童貞だったことを思うとそうとも言えん気がします。
そんなレアケース中のレアケース持ち出してどうするんだって話でもありますが。
Paul of Tarsus―人類最大の男はセックスを知らなかった
「人間は結婚なんかせん方がええ。みんな俺みたいに独身でいるのが理想や。結婚なんかセックスを我慢できへんヤツだけしろ」
(コリントの信徒への手紙Ⅰ7:7-9)
「おめー、旦那やカミさんが自分を救ってくれる、幸せにしてくれるなんて思たらそりゃー甘いで」
(同7:16)
「結婚なんかした日にゃあ、余計な苦労しょいこむだけに決まってるやろ!?俺はこの手紙読んでるおまえらにそんな苦労させたないねん」
(同7:28)
聖書ってのはねほんとにねこんなこと書いてあるんですからねとてつもない書物ですよほんとに
なかなか聖夜に相応しい末筆となりました。メリークリスマス。