本村洋さんの思い出・続きと友人Tの話 | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る

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NIKIIE(ニキー) / 幻想フォルム - YouTube

 

 この所、山口県光市母子殺害事件の被害者遺族で死刑存置の有力な論客であった本村洋さんの話を度々展開しております。

 今のあたしは彼に対して批判的なのですが、でも、あの当時本村さんに反論するのは勇気が要ったと思います。

 あたしも反論できませんでした。
 というか本村さんが正しいと思っていました。

 「本村さんが頑張っているからあたしも頑張ろう」とか意味不明なことさえ思っていました。

 「殺したいほど憎い人がいる」
 「加害者を殺してほしい」

 という気持ちは切ないほどわかったからです。

 相手が死んでくれたら多分、もう憎まなくて済むようになるから楽になると思います。

 そう思うと、誰かを殺したいくらい憎んだ経験のない人の中には、本村さんに違和感を持った人がいたかも知れません。
 殺したいどころか、人を憎んだ経験すらない人も世の中にはいます。

 まあ、「経験ないけど、自分の家族や恋人などを殺されたらそいつ殺す」と口走る人は多いです。実際にはやらないと思いますけどね。
 そもそも殺人犯はだいたい捕縛されて収監されるので(当分は)殺せないし、警察に見つけられなかったら個人には余計見つけられません。

 そういう問題じゃないですね。
 「自分の家族や恋人などを殺されたら、自分の大事なものが奪われたら、自分や大切な人の人生がめちゃくちゃにされたら、そいつを殺したいくらい憎む」ということですね。

 で、それは人間の割と自然な感情だと思うので、死刑制度を支える強力な論拠になっているわけです。本村さんを見ればよくわかります。

 

 あたしの友だちでTさんという人がいます。

 彼は、
 「俺は家族などが殺されてもそいつを殺したいとまでは思わない」
 「誰もそこまで愛してないのかな」
 「とりあえず死刑は反対」

 と言ったことがあります。

 Tさんは、
 「嫌いな人間はずっと嫌いか?(そうじゃない、そうあるべきじゃないやろ?)」
 とあたしに訊いたこともあります。

 あたしは「うん、ずっと嫌い」と答えました。

 それは殺したいくらい誰かを憎んだ経験のない人、「あいつのせいで私の人生はめちゃくちゃになった」と思ったことのない人の言うことだと思いました。
 今でも思っています。

 もしかしてあたしが真に信頼できると思うのは、
 「殺したいくらい憎い人間がいるがそれを乗り越えて生きている人」
 だけかも知れません。

 または実際に殺しちゃった人です。山上徹也くんとか。

 「乗り越えて」と言うとアレですね。
 「ごまかしながら生きている人」「どうにか折りあいをつけて生きている人」と言った方がより正確です。とても山上くんのような勇気はないのでね。

 Tさんは、

 「俺は犯罪は社会全体の問題だと思う。死刑は全てを個人の資質に帰結するような印象があるから反対だ
 とかそんなことを言ってましたね。

 あたしが前の大学を中退した理由を打ち明けた時は驚いていました。
 「それは社会的な問題だ」と言っていました。それを聞いてあたしは慰められました。
 もう随分前ですね。二十年近く前です。
 彼とは長いつきあいです。

 

 大学中退のエピソードについては本項の趣旨ではないので割愛しますが、あたしが一番好きだった精神科医はもっと単純明快に「いじめ」と定義してくれました。

 異常な話は聞き慣れているはずの精神科医がびっくりするような話をあたしはよく持っています。まああたしは思いや経験を言語化する能力が際立って高いですから。

 戻ると、個人的には、Tさんは「誰もそこまで愛してない」というか、博愛的な人だと思います。
 愛だって意識しないものが愛なのかも知れません。

 Tさんの話を総合すると、
 「確かに俺の家族が殺されて悲しいし、腹が立つけど、殺したやつだって色々あったわけで、そいつ一人が悪いわけじゃないやん」
 「そいつ殺しても何の解決にもならんし、国がそいつ殺すっていうのはおかしいやん」

 ってことになります。

 

 もう一つ、Tさんにまつわるエピソードを紹介しましょう。

 読者の皆さんは「亀岡暴走事故」って覚えていますかね。


亀岡暴走事故(かめおかぼうそうじこ)は、2012年平成24年)4月23日京都府亀岡市篠町の京都府道402号王子並河線で発生した交通事故である。亀岡市立安詳小学校へ登校中の児童と引率の保護者の列に軽自動車(スズキ・ワゴンR)が突っ込み、計10人がはねられて3人が死亡、7人が重軽傷を負った[1]。原因は運転手の遊び疲れと睡眠不足による居眠り運転であり、軽自動車を運転していた少年は無免許運転であった[2]。この事故では少年が危険運転致死傷罪にあたるかが争点となった[3]

 

(Wikipediaより)


 この亀岡というのはうちの地元です。
 下の名前だけ出しますが、亡くなった被害者の一人に幸姫(ゆきひ)さんという妊婦がいました。おなかの子どももこの時亡くなっているので四人死亡と数えることもできます。
 彼女と友だちというか同級生だったSくんという人がいて、幸姫さんのお父さんに協力して、犯人に厳罰を求める署名を集めていました。
 あたしも署名しましたが、今は後悔しています。

 SくんはTさんにも署名を求めましたが、彼は「俺は署名できない」と固辞しました。

 事故を起こした車に同乗していたのが彼の知りあいの息子さんだったそうです。
 田舎は世界が狭いのです。

 あたしはSくんとも友だちだと思っていたから署名したんですが、でも考えてみたら自分は何の関係もない、よく知りもしないのに、誰かを厳しく処罰することを求める書面にサインするなんて変です。
 自分も前の大学で、そういうことをされて傷ついたのに。

 この署名をした後のことですが、東京の労働組合で活動していた時にもやはり同じようなことをされて傷つきました。自分の心身を削るように一生懸命尽くしてきた仲間からです。
 この署名をしたことを今は後悔しています。

 何かの署名活動に参加して後悔したのは人生でその一度きりです。
 署名自体はネットも含めたら何百何千としてますけどね。
 ネット署名が大半ですし、基本断らないのでその数になるのです。
 断った、というかスルーしたものは数えるほどしかありません。

 

 「事件のことをもう少しよく調べて下さい」とか、「今後同様の事件が起こらないように法整備して下さい」とか、「事故の犠牲者のために慰霊碑を建てて下さい」とか、そんな署名ならば後悔はしていないと思うのですが。

 といって、Sくんや幸姫さんのお父さんを非難する目的でこの文章を書いたのではありません。

 あたしはその署名はするべきではなかったのに、愚かにもしてしまった、という話です。

 

 Tさんのように、「その署名はできない」と言うべきでした。

 署名しなくても、当時のSくんへの友情や幸姫さんを悼む気持ちが損なわれることはなかったのです。