「常識」の定義 | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る

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 はあ。昨日は法廷でした。

 

 ふと、うちの母が昔親しかった方に、「俺は常識破り。おまえは常識外れ」と言われたという話を思い出しました。

 あたしはそういう「常識外れ」な所もある母が愛しくて、かわいい女性だなと思っているんですが。「『常識外れ』なんて、あんたに言われたかない」「わたしは常識的な人間になるように育てたのに、こんな非常識な人間に育ちやがって」と母は怒るだろうな。

 

 

 その話を好んでしてたのですが、「『常識破り』なんて言葉はない。それを言うなら『型破り』だろう」と嫌なおばさんから指摘されて、確かにそうだわ、でもおもしろいしわかりやすい表現だからいいじゃん、と思ったものです。

 

 あたしは常識破りで原告団三人組は常識外れなんだ、と自負していますが、あいつらはあいつらでそう思ってるんでしょう。

 これでは絶望的に話が平行線で、どこまで行っても交わりません。

 

 「常識」ってのは英語だと「common sense」といいます。直訳すると、「共通感覚」「共通認識」、または「共通の意味」なんてニュアンスも表す言葉です。

 「議論をする時に一番大切なのは言葉の定義をちゃんとすること」です。これをわかりやすく子供向けに言うと、「お話をする時にはお互いに使っている言葉の意味が同じかどうか、最初に確かめておかないといけないんだよ」となります。

 

 「信頼」とか「友愛」という言葉の意味を理解できない、元々そういう心的機能が備わっていなさそうな三人で、意見の異なる他者を統合できず排除しまくって、一体どんな独善的で奇怪な世界観を作り上げてしまったのでしょうか。

 人ごとながら心配です。