激しい怒り、復讐心、「理不尽だ」という思いから自由になりたい。
赦すということ、諦めるということは、「相手が正しくて自分が間違っていたと認める」ということではない。
そう感じたり考えたりする人が多いから、「赦す」「諦める」ということはなかなか受け入れられないのだろう。
でも、そうではないんだ。
「『相手が間違っていたと相手に認めさせたい』『自分が受けたのと同じ被害、同じ気持ちを相手にも味わわせたい』という気持ちから自由になること」が、「赦す」ということなんだ、きっと。
「相手が間違っていたと相手に認めさせたい」「自分が受けたのと同じ被害、同じ気持ちを相手にも味わわせたい」と思うこと、償いや釈明を求めること、自分が理不尽に蒙った汚名が雪がれ、不利益の埋め合わせが為されることを望むのは当たり前のことだ。
でも、「そのことに時間を使うことにはほとんど意味がない」と知ること。
それが「諦める」(明らかに見る)ということだ。
日本には「水に流す」という言葉もある。
英語だと「let it go」(手放す)といった所か。
ソードの6
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