銭婆「一度あったことは忘れないんだよ。思い出せないだけさ」(「千と千尋の神隠し」) | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る

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 ブライアン・L・ワイス「未来世療法」のアマゾンレビューです~。

 本のレビューというより自分の言いたいことを言っただけなんですが。

 

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 ネットで前世の記憶がある(と主張する)人の話を時々読みますが、「私はいついつ、どこどこで誰々だった」という断片的な話を羅列するだけでおもしろくないんですよね。
 沢山の前世の記憶があればいいってもんじゃありませんし、「自分の想像に過ぎないのではないか?」「少なくともあなた自身が『これが私の前世だ』と確信するに至ったきっかけは?」って訊きたくなります。行ったことない場所なのに見覚えがあって、どこに何があるか知ってたとか。
 それと、その前世を知ることで自分にどんな変容が起きたか、今の、そしてこれからの自分にどんな影響があるかが何よりも大切です。
 つまり、「なぜ、そう思うのか」「だから、どうなのか」ってことです。
 逆に、たった一つの前世しか覚えていなくても、そこがしっかり踏まえられていればとても興味深く、耳を傾けるに値すると思います。

 ワイス博士の著作は、だからおもしろく、有益なんです。

 実は自分自身、ある一つの前世についてはある程度心当たりがあり、関心があったので、この本を買って読みました。
 そのネットの人たちより自分の方が洞察が深いとかそういうことを言いたいのではありませんし、正直、自分が「根拠」だと思っているものだって、客観的に見たらそこまで強くはないと思っています。セラピーも受けたことがありますが、トランス状態になっていきなり男の声になって、習ったこともない言語を喋ったわけでもありません(ちょっと期待してたんですが)。
 躍起になって「偶然だ」と言ってくる人もあるでしょうから、誰にもは話しません。

 ただ、「偶然は必然」というのはスピリチュアリストにとっては常識です。
 また、ジャンヌ・ダルクが異端審問にかけられた時のエピソードで、私が好きなやり取りにこんなのがあります。
審問官「神の声を聞いたというのはあなたの想像ではないのか?」
ジャンヌ「想像力以外によって、どうやって神の声を聞くのでしょう?」

 私は小説を書くんですが、実際に作品にするしないは関係なく、いろんなイメージが湧いてきます。
 意識していないだけで、それが多分、自分や周りの人の前世だったり来世だったりするんだろうな、と思います。勿論、今生での過去、現在、未来ってのもあります。
 竹宮恵子は「風と木の詩」(確か単行本にして二十巻近くあった筈)のストーリーがある日突然、全編完成された形で脳内にダウンロードされてきたそうです。あまりに興奮したので、その晩、八時間かけて友だちに電話で説明したとか。
 竹宮の前世だったんじゃないかなあ、と私は思っています。登場人物の誰かはわかりませんが。
 創作をする人には割とうんうんと頷ける話だと思います。

 「客観的な証拠よりも自分の主観が大事」ということもあります。
 「本当か嘘かは問題ではない。たとえファンタジーであっても、その人がそのストーリーによって勇気づけられ、ものごとを良い方向に考えられるようになることが大事」なんです。
 キリスト教の教典たる聖書も含め、文学とかロマンってそういうものじゃないかと思います。