令和7年8月19日〔火〕【第3138号〔本年第244号〕】
道場主が、今朝、コレからおケイコ開始!、という時間に、コソコソっと、「忘年会は、焼肉にしようか?」と。私的には、「あのねぇ・・・ちょっとぉぉ、今日、11:30から納涼会でしょ!」 と。
道場主、応えて曰く・・・「いやいや、段取りが大事」と。 まぁまぁ、何事も確かに確かに。
何はともあれ、今日は、とても よい納涼会 だった。11人が参加!!
令和も、今、七年 やのに・・・「乾杯のご昭和・・・・ちゃうちゃうちゃう、ご唱和を」と。
北R会君は、お仕事の為、12:30 に 早退 !! 彼、51歳は、わが太極拳業界的には、まだ若手 だ!
先月、東京体育館でも、頑張っていた、と、幹事補佐のモッチーから何やらプレゼント、もう一人、ドラゴン君に対しても、安田師に拝師イベント順調に終えた、とのコトで、同様にお祝いが。
そう言えば、私に対する堺市から表彰の、そのお祝いもみなさんにこの「すし半」でやっていただいたけど・・・アレ、去年の夏でしたっけ。もう、冬だったか?
まっ!日、経つのはやい。。
私の話は実にフラフラ フラフラ・・・とりとめが 無い!!
今週の金曜日、みてトレに立ち寄って、①昨日、S/P女史から預かった封筒を返却して、ほんでから、②北R会君は、自営業なので、来月の東大阪市文化創造館には出られへん、と、ミキティーに「ごめんなさい」と伝達しないといけない・・・いやいや、もうこの話は、本人の口から既に言うてるだろうから、私が言わなくても、済んだ話ね、きっと。
昨日・月曜日は、長堀、、島之内の中央会館に行って、結局、【9月・10月の行事予定表】をもらったので、その意味では行った意義があった。ただ、いただいたコレ、明後日、木曜日の夜に、難波市民学習C講堂に、忘れないで、持っていかな アカン!! どうも最近、よく忘れ物、するからヤバイ!! 先週の木曜日も、スマホ、回転寿司・クラの座席に置き忘れて、ホント、だいぶん焦った。
土曜日の朝カル「太極推手講座」も・・・今月末、30日に見学者がある、と、しかも車椅子の方 らしい。コレも伝達しとかないと、、自身、滋賀・野洲往きなので、不在、、なので、23日にみなさんにお伝えしないと いけない。車椅子の方 がどうしても「見学」したい、と。ちょっとご期待に応えられるかどうかは、微妙やなぁぁぁ!
話、脱線・・・・・戻る。
今日、出された料理、けっこう多かった!!
最初にデザート的な「わらび餅」をいただいた。だから、太極拳に例えたならば、私のやってるコトは、典型的な套路ミス!! 「わらび餅」ホンマは後でいただくべきモノ。。
まっ、ともかく仰山ぎょうさん いただいた。満腹、ズボンのフックが千切れそうになるくらいたくさんいただいた。
アイスコーヒーをいただきながら、「コーヒーゼリー善哉」をいただいて、ジャコ飯をお茶漬けにしてしまって・・・もう、無茶苦茶、滅茶苦茶、出鱈目。
余ってたのか、どうか知らないけれど・・・善哉とホットコーヒーも合わせていただいた。甘いのは別腹です。
コレ ↓ は、残骸ですねぇぇぇ。
どうせ写真を撮るならば、まだ、お箸をつけていない段階で、写せば、上品なのに・・・・あ~あ。
大宴会、無事に終えて・・・・在、上野芝駅で寛ぐ、道場マネージャー。
乗った電車のお腹は・・・・コレ、前にも書いたけれど・・・りっぱな「陰陽図」ですよ、、太極拳愛好者のみなさま。。発想の転換が要ります。。。
大仙公園の上辺りには、けったいな雲がでてた。ソフトクリームみたいなのが。
そうそう、道場の話とは、まったく 別件。来月から北京に留学する和樹君は、今日が、29歳の誕生日・・・・元気にご活躍されるコトを祈ります。
【追記、2025/8/20 2:10】30分ほど前に、五年前記事をリブログした。いやいや、つい、フッ! と思い出したのは・・・・「何で? 11人なの?」と ソレだけ。
昨日の、すし半・深井店、11人。そして、日曜日、國見さんのお見送り(在南大阪祭典・・・)が、やはり、我々関係者に限ると、11人。また、9日・土曜日、11時ちょいから、、産直・ゆうゆうでの昼食会(お元気そうな國見さんが居て・・・)11人、同席。 その前日、金曜日の夜、阿倍野の「焼き鳥・つむぎ」で・・・ぎゅうぎゅう詰めで座ってたけど11人。今月1 日、法善寺横丁・「くう」が、やっぱり、11人。 たぶん、特別意味はないだろうけれど、ここんとこ 「11人」が続いた。
令和8年8月17日〔日〕【第3137号〔本年第243号〕】
今朝の家出、ちょい遅かった(9:15)ので、遅刻気味、加えて、新今宮駅でちょっとクルクルと。。。
南海電車・新今宮駅で、北側に出ようと思ったら、「JR連絡口」だった。新今宮駅、日頃散々利用しているのに、あ~あ。仕方無しに 西口を一階に降りて・・・結局、JRの下の連絡通路(トンネル)= ガード下 を抜けた。すぐ前を歩いていた西洋人、天井に頭が閊えていた。でも、結果、すぐ左(西)側に「南大阪祭典」が見えたので、回り道はしていなかった、結果オーライ!
南大阪祭典に到着は、たぶん、9:45、9:46ぐらいだった。ガードマンさんは、私の顔を見るなり、①國見さん?②五階、(永光の間)! と さっと声を掛けてくれた。
みなさんが先に到着していたのもあるだろうけれど・・・先日、木曜日の寿司・「クラ」とは対応が違って、シャープ だった。
ちょうど、ドラゴン君が西側から登場・・・一緒になって五階・永光の間にあがった。既に「太極拳関係者」、七人ほどが廊下で待っていた。
永光の間に入ってご遺体とご対面・・・後は、着席したまま。元々、椅子は、15席ほど、なので、南大阪祭典さん、、 追加の椅子を入れてくれた。
國見さんの弟さん夫妻が仕切ってくれていたが・・・と、 言っても、お坊さんの読経も無いし、また、弔電披露も無く、ただただ 静かな時間が流れた。
龍門書院師は、「中国文化伝承会」の面々に連絡をされたんですねぇ。
私自身、木曜日のシンちゃんからの連絡が無ければ、今日の「お見送り」に参列するコトが無かった。知らせてくれた シンちゃん・・・・・ありがとう!!
棺の中の國見さん・・・ホント、 まだスヤスヤと寝ているかのようだった。
(二年前、八月初め、、三郎丸さんは、頬っぺた かなり やつれていた。)
結局、太極拳関係者の参列は、11人だった。ご遺族よりも我々が多かった。
10:45から 棺の中にお花を入れた。
東京在住らしい、娘さんの到着は、11時ちょい前、・・・國見さんのお顔を見るなり、卒倒しそうになって、ご主人らしき男性が支えていた。長旅のお疲れもあったのだろう。新幹線、今日も混雑していたでしょう。
一階で、ご遺族一同をお送りしてから・・・
帰路は、ドラゴン君にウチのごくごく近所、北側の、五差路のトコロまで、送ってもらった。お腹の調子がいまいちだったので、助かった。
國見昌司さん、昭和37年2月生まれ、、63歳。
安らかに!! 合掌!!
令和8年8月15日〔金〕【第3136号〔本年第242号〕】
上の写真は、先週土曜日、フェスティバルタワー東館B1の HUB内にて。
本通信、前号のアップロードは、昨夜、19時だったが・・・
その直後、新金岡・シンちゃんからライン入電。にわかには信じられなかった。
が、 シンちゃんと電話、そして、龍門書院師とも電話。
実は、17日、11時以降に(以下に展開の話を)記そう・・・ソレまでは黙っておいた方がよい!、と 思ってはいたものの、自身、先ほど来、というのか・・・夜中2時からずっとずっと起きたままで、訃報を知った以上、伏せてるコトに耐えられないので、以下、記す。。。
シンちゃんの話に拠ると、
警察の見解では、國見昌司さん・・・・11日に亡くなられたとのコト。
ただ、
葬儀ではなく、17日、11時に出棺・荼毘にふすけれど、弟さんの計らいにより、10時からソレまでの間にご遺体とのご対面は可能、とのコトなので、昨夜、龍門書院師と「17日、10時」の約束をした次第である。
葬儀で無い、というコトはお坊さんも来られないだろうし、そして、部屋も狭く、また、香典供花の受け取りも無い、とのコト。
でも、
日曜日、私は、大仙公園に行くツモリだったけれど、ソレは取りやめて、新今宮・南大阪祭典に行ってくる。「日曜日、10時」・・・一旦、S/P女史との約束もあったが、ソレ、翌、月曜日に変更したので、コレも、もしかしたら、天の計らいか。
『太極拳論』の翻訳に、國見昌司さんは精力的に関わった。私は、当初(2018年)、翻訳自体に反対した。何故なら、持論だけれど、翻訳するコトで原文の趣旨が壊れる部分が大きいから、翻訳するコトで、原文の持っている「含み」も固定されてしまうから、というのが私の意見だった。
まっ、
国見さん&shanshan さん、良い仕事をされた。翻訳・解釈を巡って、意見の対立もあった。私の「監修」、大したコトはない。お二人の労苦に改めて感謝感謝。
國見昌司さんとは、土曜日の昼食、だいたい、いつも一緒だった。上の端の写真は、土曜日、産直・ゆうゆうでのアフター、、、コーヒーをいただいたトコロ(HUB)で。
先週、土曜日、遠路、ゲストが来ていたので、だから、この写真も偶々。
國見昌司さんは、電気工事のスペシャリストだった。お父さんも、建築工事をやっておられたそうなので、(株)國見電気、は 彼、二代目 だったのか?
思い出す。
もう八年も前の秋 だった。三郎丸さんが、「國見昌司さんが忌み嫌われるような事態は避けたい」と 電話で言ってくれたコト。
【追記、2025/8/15 9:45】 死因は、「脳幹出血」とのコト。。
【追記2、2025/8/16 7:15】
死因は伏せておくツモリだったけれど、憶測されてもしゃあないので。
夜中、かなりな土砂降りの瞬間があったのに、今、カラッと晴れている。
知らなかったなぁぁ、ちょうど一週間前、9日・土曜日の午後、國見さんは、遠来の方々のお世話をしてくれたんだ。まだ、たった一週間しか経っていない。。。(鳴尾浜の会場は、KK氏のアテンドだったんですねぇぇ。)私は、その時間帯、フェスティバルタワー13階で休息していた。 國見さん、KKさん・・・・ありがとう!!
いろいろと思い出す。
國見さんには、「兵庫県連の講習会、邪魔になりなやぁぁ!」と、ちょくちょく言った。(私は、実態は 知らない。)
やっぱり、「食事」かなぁぁぁ!
土曜日、、フェスティバルタワーB1階、産直・ゆうゆうでの昼食、 國見さんは、いつも私に、「先生、、何?頼んだん?」と、ソレに私が応えると、今度は「じゃ、ソレ!」とオーダー。私は、内心、「偶には、自分で決めたら・・・」 だったが、一度も言ったコトは無かった。 その昼食会時に、彼は、電気工事技師らしい、喋り(配線工事を展開するかのような・・・)をちょくちょく展開していた。
『打手歌』の、「上下相随人難進」の部分・・・彼は、ここでの「人」は、「己自身」という解釈をした。私は、コレに対し、「相手に決まっているじゃないか!捨己従人が、その典型!!」と突っぱねていたけれど、しかししかし・・・「含み」としてはあり得るのでは?、と 半ば 折れるようになった。
馬長勲先生、『十三勢歌』で、「因敵変化示・・・」の部分、ココは、「陰陽変化示・・・」であるべき、即ち、そもそも、敵をつくっちゃいけない、と おっしゃっていたので、ソレに似た発想なのかなぁぁぁ? と、何年前だろう・・・ついつい思い出す。
多くの太極拳愛好者、、ふだん使っている日本語だってあやしい上に、古典、勉強してくれへんし。
古典、『太極拳論』で、ガシガシと私にぶつかってきてくれた二人、即ち、三郎丸さんと、國見さん、2人ともが亡くなってしまった。。。。。。ショック!!










