なのは「読者の皆さま、お待たせしました。やっと再開です」

はやて「太郎冠者さん、見とるー?」

フェイト「は、はやて、はしゃぎすぎだよ」

なのは「でも、あの方のコメントがあったから作者のやる気が持続したってのは事実だからね。この場でお礼を言わなくちゃね」

はやて「そやで。4月から仕事量が1.5倍になってむっちゃ忙しくなったり、持ち株の売買に集中したり、実家の隣家が申し立ててきよった無茶苦茶な『調停』に対応したり、同人創作の方に首突っ込んだり、とにかく忙しなってもうて、原稿を書くことさえでけへんかったんやよ」

フェイト「『調停』?」

はやて「70年ほど前から隣家との境界が不明確だったんだけど、隣家が死ぬ直前の作者父に境界線決定を持ちこんで、向こうの主張通りの境界線を認める代わりに、境界線上にある家屋の改修時まで現状の変更は行なわないという交換条件で妥結したんよ。せやけど父が死んで三ヶ月も経たへんうちにその妥結条項を踏み越えた要求を裁判所に調停申立をしたんやよ」

なのは「普通ならまずこっちに要求、交渉をして、それが物別れに終わってから調停に付するんだろうけど、法学部卒を誇る隣人様にどんな計算があるのやら、いきなり裁判所行きなんだよねぇ…正直、町内でも有名なクレイジークレーマーなの…中途半端に法律知識があるから厄介で…」

はやて「作者は法学部に関係あらへんけど、獄長日記で土地調査事業について読んだ際に勉強した知識が役立っとるんやて。なお、『調停』は絶賛継続中w」

フェイト「…そ、それはたいへんだけど…最後に不穏当な活動がしれっと入ってる気が…」

なのは「にゃははw 株の方も8月末の暴落劇の尻尾を捕まえてうまく買い足せたしねw さ、それじゃ前回の続きを見るよ」

フェイト「戦後の在日朝鮮人の生活保護問題について、適用要求をする集団陳情があったようだ、って話の途中で、1954年2月16日の衆議院予算委員会での厚生大臣と法務大臣の答弁を見たところで終わったんだよね」

はやて「あー、「大乗の見地」ってやつやったよね」

なのは「うん。今回は、あの答弁の他にも集団陳情が激しかったことを示すものがあったから、まずそこから見ていこうと思うんだ。一年近く遡って、1953年3月12日衆議院法務委員会の長井源委員の質問からだよ」

厚生省のお役人にお尋ねするのですが、これは厚生委員会でお尋ねした方が適当かもしれないのですけれども、外国人登録の関係でお尋ねするわけです。第三国人のうち特に朝鮮人の援護家庭、生活扶助の実情はどうなつておるか、こういうことなんでございます。私は在留者と、援護家庭あるいは生活扶助のパーセンテージのプリントしたものでも資料としてもらいたい。特に各府県別についてそれを見せてもらいたいと思います。私は実はこんなことを元あまり知らずにおりましたのですが、先般郷里に帰りましたところが、――私の町は三重県の松阪でございます。あそこはいろいろ問題のあるところでございますが、在留朝鮮人の八〇%が援護家庭なんです。それで先ほども法務省の方に伺つたのですが、人道上の見地から生活扶助にすることもけつこうですけれども、一般の日本人と同様の取扱いにいたしますと、何割かの市町村の負担があるわけなんです。これが莫大な数字に上りまして、あの小さな町であつても大体約六百万円を越えるような数字になつておる。これはほかのことならともかく、第三国人として援助をするなら、国家で全額持つてもらうべきものではないかと考えるのでありますが、これについて御所見を伺つておきたい。

なのは「これに対して、厚生事務官の黒木利克社会局保護課長はこう答えたの」

ただいまの御質問の在日朝鮮人の保護の問題でございますが、これは御案内のように、講和条約の発効後は生活保護法の適用はない建前になるのであります。つまり国籍を喪失いたしましたので、生活保護の対象が日本国民を対象にいたしておりますから、自然そうなるわけであります。日韓会談で根本の方針がきまり、条約がきまり、それに基いて国内法が制定されるまでは、従来の例によりまして生活保護の適用はしないのでありますが、しかし人道上の問題とか治安上の問題とかがありまして、その取扱いに準じて保護をいたしているのであります。現在の保護の状況は、在日朝鮮人のうち全国平均で一割二分が生活保護に準じた取扱いを受けております。最近少しずつその率が上昇はいたしておりますが、大体一割二、三分見当でございます。そこで生活保護の建前にいたしますと、国が八割持ちまして実施機関である県と市が二割を負担することになつているので、やはり在日朝鮮人の保護もこれに準じて取扱いをいたしておるのであります。従つて生活保護法の建前でこれに準じた取扱いをいたします限りは、やはりその率を変更をするわけには参らないのでありますが、しかしこの問題は生活保護法から切り離した在日外国人の保護ということで、おそらく単行法をもつて解決をすべき問題であると存じますので、そういう際にはお説のようなことも当然考えなければなるまいと思つておりますが、とりあえずのところは日韓会談が妥結いたしますまでは、生活保護の取扱いに準じてやつておりますので、現在の負担の率をかえるわけには参りかねる、こういう現状でございます。

フェイト「生活保護受給率が松阪では80%だけど、全国的には12、3%だって話なんだね。あれ?戦後の在日朝鮮人と生活保護(2)で、なのははSF講和条約後の1952年末から54年末までに「在日朝鮮人の生活保護適用者は5万人増加して、在日朝鮮人の全世帯数に対しての保護率が23.1%」になったって言ってたよね」

はやて「時期的に、率が上昇して行く途中なんやろね。ほんで、答弁の話題の中心は自治体と政府の負担率のことになっとるんやね」

なのは「長井はこの回答を受けた次の発言で「それではどうも困りますね。生活保護の認定は、民生保護委員という人々がしてくれるらしい。そうしますと、地方によつてそれが比較的ゆるやかに行われることになると、そこへまた集まつて来るわけでございます。集まると今度は集団的な威力が用いられまして、どうしても実際問題としては当局の方で折れなければならぬことになる。こういう実情になるのです。そうしますと、ある地方では朝鮮人の生活扶助のために非常な地方費を負担しなければならぬことになり、ある地方では厳重な民生委員がそれをしぼりますればよそに散つてしまいますから、それがために減つて来るということになれば、地方費の負担は非常な不公平なものになつて来る」と言っているんだけど、私たちにとってはここが肝心な所だよ。黒木の次の発言を見て」

御意見のように、各地域におきまして在日朝鮮人の保護に薄い厚いがありましたことは、過去において事実であります。当時は民間の篤志家であります民生委員さんに収支の認定、保護の決定をやつてもらつていたのでありますが、最近におきましては福祉事務所というものができまして、公務員たる福祉主事というものが収支の認定なり保護の決定をやつておりまして、全国的に見ますと、大体そういう保護の薄い厚いが平均化して参つておるのであります。それからもう一つ、集団的な保護の要請等が在日朝鮮人側からなされまして困つたことも過去にはあつたのでありますが、最近においてはそういうことがだんだんなくなりまして、ことしに入りましてからは一件もありませんが、政府といたしましてもたびたび通牒を出し、治安当局にも連絡いたしまして、こういう集団要請には一切応じないという厳たる態度をとつておるのであります。この問題は治安の整備がだんだんできますと同時に解決する、また現に解決しつつあるのでありまして、そういう意味から、最近は在日朝鮮人の勢力の強いところは保護がいいかげんになるということはだんだんなくなつておりまして、今後もこういうことがないように政府としてはせつかく努力をいたしております。

はやて「54年より以前には威力的な集団陳情があったことは認めるんやね」

なのは「そういうことだよ。ま、こういう話もあって、第2回で見た、54年2月11日の医療扶助の適正実施についての厚生省通達や、5月8日の厚生省社会局による社発第382号『生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置について』の通知が出されていくって流れなのかな」

フェイト「朝鮮人の威力的な集団陳情の存在を当局側が認めたのはわかったけど、実際にはどんな事件があったのかな?」

なのは「そうだねぇ…それについては次回から見ていこうと思うの」

はやて「また、警察史や新聞記事を拾っていくんやね」

なのは「そういうことになるね。じゃ、今回はここまでにするね」

戦後の在日朝鮮人と生活保護(1)
戦後の在日朝鮮人と生活保護(2)
戦後の在日朝鮮人と生活保護(3)