参考エントリー私立学校令等について(一)

写経屋の覚書-なのは「前回の最後で予習事項として触れた『私立学校令』について見ていくね」

写経屋の覚書-フェイト「『私立学校令』の紹介と解説自体は、既に獄長日記の参考エントリーでやっているよね」

写経屋の覚書-はやて「ほんで、その一連のエントリーでツッコミも終わっとるし…あれ?『私立学校令』の画像が表示されへん?」

写経屋の覚書-フェイト「ほんとだ。リンク先のURLが無効になってる…リンク先で整理とかがあった時に保管フォルダやURLを変えたのかな?」

写経屋の覚書-なのは「仕方ないから、大韓帝国の官報と日本語版の画像をあげるね。日本語版は『日本植民地教育政策史料集成(朝鮮編)第64巻』に収録されてたの」

写経屋の覚書-フェイト「その日本語版って、ちゃんと訳されているの?意図的かどうかはともかくとして誤訳とかはないのかな?」

写経屋の覚書-なのは「フェイトちゃん、慎重だね。ちゃんと原語版を訳して読んで照合したからだいじょうぶだよ」


写経屋の覚書-私立学校令官報1
写経屋の覚書-私立学校令官報2

写経屋の覚書-私立学校令邦訳1
写経屋の覚書-私立学校令邦訳2
写経屋の覚書-私立学校令邦訳3
写経屋の覚書-私立学校令邦訳4


写経屋の覚書-なのは「ちょっと予定外だけど、今回はここまでにして、続きは次回にまわそうか」

写経屋の覚書-はやて「参考エントリーの復習みたいな感じになってしもたなぁ…」

辛基秀のキャプション
俵学部次官演説要領(明治43年7月13日)
隈本繁吉の報告書

写経屋の覚書-なのは「今回は、前回の続きで私立学校の状況についてもう一つ史料を見るよ。『日本植民地教育政策史料集成(朝鮮編)第66巻』収録の『報告書(隆煕3年?)』なんだけど、これは学部の書記官だった隈本繁吉が平安道の学校を視察した時の報告書なの」


写経屋の覚書-隈本報告書目次1
写経屋の覚書-隈本報告書目次2
写経屋の覚書-隈本報告書19
写経屋の覚書-隈本報告書20


寧辺なる私立維新学校(財源一万円以上あるやに聞けり)、郭山なる私立興襄学校(郷校田畓年収千百円別に基本金三千円ありと云ふ)は従来共に排日的言動多き学校にして、前者が合邦問題前後不穏の現象ありしは姑く措き、後者も政治法律を重要科目とし居常戦闘の練習に力め居れり、此等は寧ろ其財源を利用して其内容を簡易なる実業的学校たらしむるか、然らずんば後者の如きは郷校財産管理規程発布と■に其財源とせる郷校田畓の収入を公立学校に移付するを得策なりと認む、


写経屋の覚書-隈本報告書43
写経屋の覚書-隈本報告書44
写経屋の覚書-隈本報告書45


甲、私立安興学校
 本校は郷校の遺趾を占め私立善遵学校と合併したる為めにや一昨夏視察せし所に比すれば校地の拡張、校舎の改修増築等設備頗る整へり、経費は郷校田畓及既存寄附金より生する年収千円余を以て之に充て修業年限は予備科一学年本科三学年合せて四学年学徒約百四十名あり、儒生及自称両班の設立に係り自ら上流子弟を収容するの傾向あると共に形式上高等教育程度を以て■し居れり、
 本校が排日的行動に富むは屡々耳にせし所、特に校監鄭安奭は元軍人にして日語を解し居常軍隊的操練に力め事務員金允沁は熱心なる基督教信者にして安州市場税騒擾事件の首謀者と看做され学校に爆裂弾を蔵せし嫌疑を蒙り目下逃亡中なり、安州警察署長の言に依るに本校には参考書として不良図書を蔵すること頗る多く幼年読本・東国史略各二十一部は既に没収したり、尚附近にも价川郡にも私立鳳鳴学校、私立明立学校等頗る不穏なる学校あり、現に鳳鳴学校には安重根の日記、伊藤公暗殺事由七箇条及新協約の期日等を室内に掲け説話の資に附せりと云ふ、要するに安州附近は寧辺地方と共に人気険悪にして排日の風に富み互に気脈を通して不穏の現象を呈するものゝ如く特に安興学校は寧辺なる維新学校と共に此等の不良なる風潮を代表するの観あり、

写経屋の覚書-はやて「…挙げられとるんは極端な例なんかもしれへんけど、これってかなり残念な教育やと思うわ…」

写経屋の覚書-なのは「近代的な教育概念や体系のなかった朝鮮にそれらを持ちこむわけだから、大韓帝国や韓国統監府の中の人も大変だったと思うよ。その辺の事情を考慮してか、私立学校令だって厳しく運用しないという方針だったし」

写経屋の覚書-フェイト「え?そうなの?あのキャプションじゃ厳しく運用して私立学校を禁圧していったように思えるけど?」

写経屋の覚書-なのは「うん。そのへんは次回のお題になるから今回はふれないよ。それで、次回に備えて下記のエントリーを予習してもらえたら嬉しいの」

私立学校令等について(一)

辛基秀のキャプション
俵学部次官演説要領(明治43年7月13日)

写経屋の覚書-なのは「さて、私立学校や書堂関係について見ていくんだけど、まず韓国統監府時代の私立学校の状況を見てみるね。こっちについては獄長日記におもしろい記事があるしね」

韓国地方政況ノ概要(三)


ロ.耶蘇教徒の状況
耶蘇教徒は依然として排日思想極めて旺にして、各地方に於ける耶蘇教徒の勢、亦侮るべからざるものあり。
渠等は、動もすれば我が官民に拮抗せんとする傾向あり。
去5月中、義■守備隊兵卒と耶蘇教学校生徒と衝突を惹起したるが如きは、全く同生徒が我兵卒を蔑視し、不遜の行為をなしたるに原因したるものなり。
又、耶蘇学校に於ては近来解散兵を傭ひ、日々学事を曠廃して兵式操練を教習し、銃剣を携へ、喇叭を吹き、隊伍を組んで市中を闊歩するが如き虚勢を張り、我官民に対し、暗に其の威を示さんとするが如き不穏の妄動を為し、又■は之を具て国権回復の■機となし歓迎・奨励するが如き状態にして、漸く一般に■■するに至れり。

勉強を教えずに軍事教練。
おまけに隊列組んで市中を闊歩ねぇ・・・。
1908年8月26日に発布された「私立学校令(隆熙2年韓国勅令第62号)」については、8月7日のエントリーにおいて若干ではあるが取り上げた。
その後、邦訳された条文を入手できたのでその内公開するが、こんなこと学校でやったらどうなるか、分かるだろうにねぇ・・・。(笑)


写経屋の覚書-なのは「この史料の出処は、アジア歴史資料センター『1.政況/14 韓国地方政況ノ概要(統監府政況報告並雑報)(レファレンスコード:B03041514200)』の1908年(明治41年)12月28日付『機密統■■1769号』なの」

写経屋の覚書-フェイト「元号だと明治41年で、西暦だと1908年、ええっと、大韓帝国の年号だと隆煕2年になるんだね…『耶蘇学校』って、いわゆるミッション系学校だよね。ほんとに日本軍兵士と衝突したり『日々学事を曠廃して兵式操練を教習し、銃剣を携へ、喇叭を吹き、隊伍を組んで市中を闊歩するが如き虚勢を張』ったりしたのかな?」

写経屋の覚書-はやて「きっと『直進行軍』やったり、『大鐘音』でエール送ったりする学校やったんやで」

写経屋の覚書-なのは「うんうん、そんな感じ。国権回復のために心胆を練っていたの」

写経屋の覚書-はやて「って、どこの男塾やねーん!」

写経屋の覚書-フェイト「なのはちゃんまでボケるの…」

写経屋の覚書-なのは「ごめんごめん、作者がどうしてもやりたかったみたいで…ミッション系の学校かどうかはまではわからないけど、私立学校についてはこれを裏付ける記述があるんだよ。出典は『日本植民地教育政策史料集成(朝鮮編)第66巻』収録の『明治四十三年七月十三日韓国駐箚各道憲兵隊長(警務部長)会議席上 俵学部次官演説要領(明治43年7月)』なの」


写経屋の覚書-明治43年7月13日俵訓示_30
写経屋の覚書-明治43年7月13日俵訓示_31
写経屋の覚書-明治43年7月13日俵訓示_32


而も是を韓国学校設立の跡に就て稽ふれば其動機其内容共に大に■なるものにして彼等の多くは教育の真意義を解せず学校に要する経費、設備、教員の如きは措て問はず単に時勢に挑発せられて設立し或は激越なる政治論を弄ひ褊狭の愛国心を唱道し或は喇叭を吹き太鼓を叩き課業を廃して兵式体操に熱中するか如きは教育の本旨に背戻するのみならず延て国内の秩序を攪乱し治国の基を危殆ならしむるものと謂はさるへからず現に一両年前に在ては平安南北両道の如き私立学校とは殆ど喇叭を吹き太鼓を叩くことを教授するものヽ如き観を呈し盛に兵式操練をなして近郊を横行し為めに義州に於ては日本軍隊と衝突を惹起したるか如き実に明治三十九年のことにして其他之に類する事例少からず尚極端の例を示せば平安南道永柔郡私立李花学校は其編成喇叭科、太鼓科、体操科の三科より成り就て之を教員に訊したるに彼は学校とは斯の如き学科を教授するものなるが如く信して疑はさりしが如き

写経屋の覚書-フェイト「喇叭科とか太鼓科って、学科にしてしまうの?」

写経屋の覚書-はやて「『学校とは斯の如き学科を教授するものなるが如く信して疑はさりしが如き』ってのも痛いやんなぁ…」

写経屋の覚書-なのは「もう一つ参考史料があるんだけど、次回に回すね」

辛基秀のキャプション