写経屋の覚書-フェイト「今回は獄長のあげた『韓国社会略説』の担保になる史料を見るんだよね」

写経屋の覚書-なのは「うん。さっそく朝鮮総督府中枢院編纂の『朝鮮祭祀相続法論 序説』を見てみるね」

写経屋の覚書-朝鮮祭祀相続法論序説29
写経屋の覚書-朝鮮祭祀相続法論序説30
写経屋の覚書-朝鮮祭祀相続法論序説31

ニ 継後子
 養嗣子は嫡長子に同じ。身後宗祀を継がしめることを目的とする。継後子(ヽヽヽ)と称し、又は()と云ふ。経国大典礼典立後条に、
  嫡妾倶無子者、立同宗支子為後、
 其の註に、
  両家父同命立之、父歿則母告官、
 実家・養家の父の合意に依つて成立し、官に告げて礼斜(ヽヽ)を受けるを原則とする。養家の父を所後父(ヽヽヽ)と云ふ。同宗の支子なることを要する。同宗は後には同姓に拡張せられた。長子は出でて他家を継ぐを許さない。唯本宗を継ぐ場合を例外とする。父子の列に在る者でなければならぬ。例へば従弟は同列である。後とするを得ない。
  ()者、死者之身後也、古者死而後立後、未有父生而立後者也、今人生而立後、名実倶舛矣(与猶堂集三十四巻出後一)
死而後立後は父歿則母告官に当る。俗に死後養子(ヽヽヽヽ)と云ふ。其の事例は極めて多いのではあるが、寧ろ例外であることは、前記の経国大典礼典立後条の註に依つても明である。而して其の死後養子に付ては、相続法上種々の問題の存することは後に述べるが如くである。(後略)

写経屋の覚書-なのは「朝鮮や中国では『異姓は養わず』って言葉もあるけど、祭祀つまり宗家を継ぐものとしては他の血族を入れないっていうだけで、血縁関係のない養子がないわけじゃないんだよ。このへんは以前作者も誤解してたみたいだけどね」

写経屋の覚書-はやて「せやけど、『同宗の支子なることを要する。同宗は後には同姓に拡張せられた』って書いてるやん。やっぱし血族に限定されとるで?」

写経屋の覚書-なのは「そこはね、前回も言ったように後で説明するんだ」

写経屋の覚書-フェイト「祭祀って大切なことなんだねぇ…」

写経屋の覚書-なのは「だから、継後子の説明で『長子は出でて他家を継ぐを許さない。唯本宗を継ぐ場合を例外とする』って書いてるんだよ。本宗がいちばん重要なの」

写経屋の覚書-フェイト「あ!それって前回あげた『韓国社会略説』の『今、長男の子なくして次男に子ある場合、之を長男に捧げ次男は他より養子すれども、若し次男亦養子すること能はざる場合は、長男の養子たるもの1人にして養家・実家両方の家督相続を兼ぬるものとす。』っていう部分と照応するね」

写経屋の覚書-はやて「ほんまや。宗家の存続が最上位にあるっちゅうことやもんなぁ。中国の話やけど、三国志で有名な袁紹は傍流から宗家の継後子になったしなぁ」

写経屋の覚書-なのは「そうだね。家の存続のために養子になった例だったら、跡継ぎのないまま死んだ叔父の養子になった周恩来とか、叔父の吉田家に入った吉田松陰なんかがあるね」

写経屋の覚書-フェイト「『父子の列に在る者でなければならぬ。例へば従弟は同列である。後とするを得ない』っていうのはどういうこと?」

写経屋の覚書-なのは「世代順序を乱さないためじゃないかな。もし自分の従兄弟を継後子にしたら、そこから生まれた子は、族譜上は自分の孫だけど血族関係上は甥になるから、世代順序が不安定なものになるでしょ」

写経屋の覚書-はやて「族譜上同世代になる人は年が離れててもタメやし、族譜上父の世代になる人はたとえ年下でもおじやおばのように接しないとあかんもんな。同世代の名前に共通の字を使う習慣ももあるくらいやもんなぁ。朝鮮では世代の順序ちゅうか秩序は大切なもんなんや」

写経屋の覚書-なのは「共通字は行列字(돌림자:回る字)っていって、世代ごとに五行(木火土金水)にちなんだ字を入れるの」

写経屋の覚書-フェイト「えーっと、ある世代の行列字が金にちなんだものだったら、その子供の世代は水にちなんだ字をつけるってことなのかな?」

写経屋の覚書-なのは「うん。たとえば『オンドル夜話』の著者尹学準の父親は尹鎮漢っていうんだけど、鎮漢の弟は鎮毫・鎮萬と金の『鎮』が共通してて、学準の弟は和準・昌準と水の『準』が共通してるでしょ」

写経屋の覚書-はやて「どの字が五行のどれに属するかってのもややこしそうやなぁ…二字名の場合、一個が行列字で決定されてまうわけやから、名前のバリエーションが少なくなりそうやな。あれ?ほんなら一字名の場合はどないするん?」

写経屋の覚書-なのは「その時は、偏や旁などに五行の要素を見出すの。たとえば高宗の姓名は李熙、部首はれっかで火でしょ。子供は李坧(純宗)・李堈(義親王)・李垠(英親王)で土偏が共通してるよね。もっとも、必ず守らないといけないルールじゃないし、族譜上の名前には使用しておいて戸籍名には使わないってこともあるんだよね」

写経屋の覚書-フェイト「絶対的なものじゃないんだね」

写経屋の覚書-なのは「作者は、義弟とその父の名前が五行に対応してないのに気付いて、その理由を訊いてみてそういう内幕を知ったんだよね。ちょっと早いけど、きりがいいから今回はここまでにして、次回は『三 養子女』の部分を見ていくね」

収養子(1)

写経屋の覚書-なのは「今回はね、偶然から始まったネタを取り上げるんだよ」

写経屋の覚書-フェイト「偶然?」

写経屋の覚書-なのは「うん。以前に作者が史料複写に行った際、ふと思いついて総督府史料を追加複写したんだけど、後で獄長日記を読み返したときに「ああ、これの話ならちょうど複写したとこやんけ」って気づいたのが発端なの」

写経屋の覚書-はやて「それってほんまに偶然なん?」

写経屋の覚書-なのは「うん。ほんとに偶然なんだよ。じゃぁ参考エントリーの朝鮮総督府編『朝鮮の姓』よりから、『韓国社会略説』(韓国駐箚憲兵隊司令部)の引用部分をあげるね」

収養子
収養子は、同姓異姓に拘わらず棄子其の他特別関係あるものの子を収養せるものにして、
財産を分与し、又は分与せざることあり。
今、長男の子なくして次男に子ある場合、之を長男に捧げ次男は他より養子すれども、若し次男亦養子すること能はざる場合は、長男の養子たるもの1人にして養家・実家両方の家督相続を兼ぬるものとす。
之を生養家奉祀孫と称す。
長男にして死亡せるとき次男其の家督を相続することなく、長男の子之に代り、祭典にも上位に列す。
財産も相続人として分配せらる。
一旦養子を迎へし後、男子出生するか或は養子にして性不良相続人たるの価値なきを認むれば、協議の上罷養することあり。
今、左に一般の親戚を表示すべし。

正しいかどうかは、他に頼る史料が無いので不明。
つらい。(笑)

『朝鮮の姓』に書かれている収養子は、冒頭の「棄子」をメインとした養子の事でしょうね。
そうでなければ、異姓不養の原則が全く意味ないですし。
つうか、若干ではあっても異姓養子を受け入れる事の出来る要素ってのがあったんですねぇ・・・。
まぁ、そうでなければ両親等を亡くした子供とか、現実問題として困るんでしょうけど。

ということで、恐らくは「棄子」を始めとした養子の姓を養家の姓にした結果として同本同姓となっても、これを男系血族とは視ない慣習がある、と。


写経屋の覚書-フェイト「『収養子』?養子の一種なのかな?」

写経屋の覚書-なのは「うん。養子の種類の一つなんだよ」

写経屋の覚書-はやて「種類の一つ?養子にもいろいろあるっちゅうことなん?」

写経屋の覚書-なのは「うん。そのへんはあとで説明することになるんだけどね」

写経屋の覚書-はやて「赤字部分、収養子への財産分与については規定とか慣習はなくケースバイケースってことなんやな?」

写経屋の覚書-フェイト「青字部分、次男の子を宗族の嫡子として長男の家に養子として出した結果、次男の家の跡継ぎがいなくなれば、他から養子をとるってことね。養子の玉突き現象だね」

写経屋の覚書-はやて「せやけど、他に頼る史料がないから言うて獄長も自信なさそうやね」

写経屋の覚書-なのは「そうなの。で、作者が偶然複写していた史料がその頼る史料になりそうなんだよ。きりがいいので今回はここまでにして、次回からその史料を見ていくね」
写経屋の覚書-なのは「今回は軽いネタにするよ」

写経屋の覚書-フェイト「新年最初のエントリーなのに?」

写経屋の覚書-はやて「正月気分が抜けてへんから、手ぇ抜くつもりなん(ちゃ)うん?」

写経屋の覚書-なのは「そ、そんなことないよ(汗)…で、今回は以下のエントリーがネタになるの」

朝鮮国へ渡航禁止の件(一)

今日は、前回までの小村=ウェーバー協定の流れで、まずは朝鮮国へ渡航禁止の件。
協定の第1項中、「又、日本国代表者は茲に、日本壮士の取締に付き厳密なる措置を執るべき保証を与ふ。」に関係する話。

実はこの渡航禁止。
小村=ウェーバー協定に基づくものが最初では無いんですね。
まずは、アジア歴史資料センター『御署名原本・明治二十七年・勅令/御署名原本・明治二十七年・勅令第百三十五号・許可ナクシテ朝鮮国ヘ渡航禁止(レファレンスコード:A03020182500)』から見てみましょう。

朕茲に、緊急の必要ありと認め、枢密顧問の諮詢を経て、帝国憲法第8条に依り文武官其の他官庁の命に依る者の外、日本臣民管轄地方庁の許可なくして朝鮮国に渡航することを禁ずるの件を裁可し、之を公布せしむ。

明治27年8月1日

(中略)

勅令第135号
文武官其の他官庁の命に依る者の外、日本臣民は管轄地方庁の許可なくして朝鮮国に渡航することを禁ず。
犯す者は、1月以上1年以下の重禁錮に処し、20円以上200円以下の罰金を附加す。
本令は発布の日より施行す。

この勅令が何故出されたのか。
実は、小村=ウェーバー協定と同様に、「壮士」の渡航の禁止にあります。
まずは、警視総監の園田安賢から朝鮮特命全権大使の大鳥圭介への、1894年(明治27年)6月14日付『乙秘第541号』から見てみましょう。

近来不逞の徒、韓地の騷擾を奇貨とし、密々渡航を企候もの有之趣相聞候に付、夫々取締に附し置候処、大井派に属する予戒令受命者小川平一郎、川口虎造及佃信夫等、亦其目的を以て今明日中当地出発。
一先づ大坂に会し、準備の上渡韓の筈に有之候條、為御参考此段及内報候也。

まぁ、この時期東学党の蜂起を主として騒擾が起きており、これを奇貨として朝鮮に渡ろうとする者が居るとされており、それは大井派に属する予戒令受命者だ、と。

この大井派とは、恐らく1885年(明治18年)の「大阪事件」で有名な大井憲太郎の一派。


写経屋の覚書-はやて「壮士の渡韓禁止についての話なんやね」

写経屋の覚書-なのは「うん。この明治27年の『勅令第百三十五号・許可ナクシテ朝鮮国ヘ渡航禁止』の施行について、大阪府公文書館に史料があったから紹介するんだ」

写経屋の覚書-フェイト「『大阪事件』ってどんな事件なの?」

写経屋の覚書-なのは「手元の『角川新版日本史辞典(1996年初版本)』の記述を引用するとこんな感じなんだよ」

大阪事件
1885(明治18)旧自由党左派が朝鮮の独立運動支援と日本の内政改革をくわだてた事件。大井憲太郎が中心となり,小林樟雄・磯山清兵衛・福田英子や旧自由党有一館の壮士らが参加。朝鮮に渡り挙兵して立憲制をたて朝鮮の独立を確立しようとし,資金獲得に奔走したが,事前に発覚。139名が大阪や長崎で逮捕され,31名が有罪入獄した。挙兵によって日本国内の改革を刺激するという考えもあったが,国権主義的傾向が強かった。

写経屋の覚書-はやて「この辞典、執筆協力者に藤原彰・和田春樹・中塚明・北島万次・君島和彦・趙景達が記載されとる時点でアレっぽいんけど…『国権主義的傾向が強かった』って言うけど、所謂自由民権運動の連中って政府よりも対外強硬主義やん」

写経屋の覚書-なのは「…自由民権運動とか野党って、結局『現在の政府を困らせるなら何でもオッケー』的なところがあるんだよねぇ…」

写経屋の覚書-フェイト「…21世紀初頭の野党時代の民主党と同じだよね…」

写経屋の覚書-なのは「あ、あはははは。明治時代の野党とかマスコミとかって、愚民民衆を煽って対外強硬策をぶちあげることが多いよねぇ。ポーツマス条約反対の日比谷焼打ち事件なんかがわかりやすいかな。で、それはともかく、大阪事件については大阪府にこんな文書が残っているの」

写経屋の覚書-旧自由党員行状報告

旧自由党員行状報告電報(朝鮮事件) 大阪府立公文書館 『秘書綴 明治22年3月~明治26年6月 M1-2004-3-822』収録 請求記号B0-0059-14
1885年11月13日13時45分 西中央局発 官報167号 大阪府知事代理遠藤大書記官
            電信中央局受 42号 大阪府知事山田信道

旧自由党員が金玉均と謀り朝鮮政府を転覆し再び日清の関係を生ぜしめ其■に乗し我政府の改革に着手せんなどゝ曽て取り留めもなき風説あり其後二三の党員清韓神かん地方を漫遊せしは幾分いくふせんか此事に関係あるが如き又頻りに募金中なりとの説もありしが本年七月以来東京にて金氏の餞別なりとて千円程ほぼを得又大井憲太郎小林楠雄小島稔等名古屋にて五百円高松鈴木伝五郎にて千円都合弐千五百円を得内千円は費消せしも最早実地着手すべしとていういち館の書生磯山清兵衛氏家直国前田金吉田代末吉加藤揔七内藤六四郎を始め三十四人連の当地に来り皆風体姓名を変し所々に潜伏し内十名は刀釼爆烈■を携へ先月廿五日長崎に行き残りは磯山引率し追て同地へ行く筈なりしに磯山は残金を携へ逃亡せしより大の目的を失せりと云ふ長崎行きの踪跡をも得たれば彼の地探偵中なり未だ全く信認し難きも■■か根基なきに非す板垣後藤等も内実事情を知れりと云ふ彼是十分探偵中なれとも一応御内報に及ぶ

写経屋の覚書-フェイト「朝鮮でクーデターを起こして、日本と清との関係に波紋をつくり、その隙に日本の改革に取り組むって…国内の目的達成のために外国を振り回すつもりなんだ(絶句)」

写経屋の覚書-はやて「対外関係、全然考えてへんねんなぁ。これが政府側の見解いうことを差し引いたかて、どないしょうもない連中やで」

写経屋の覚書-なのは「本題に戻して、朝鮮への渡航禁止について、さっきと同じ大阪府公文書の「秘書綴 明治22年3月~26年6月」の簿冊に内務大臣井上馨から大阪府知事山田信道への内訓が収録されてるの」

写経屋の覚書-朝鮮渡航許可内訓1
写経屋の覚書-朝鮮渡航許可内訓2

朝鮮国へ渡航の許可につき内訓 大阪府立公文書館 『秘書綴 明治22年3月~明治26年6月 M1-2004-3-822』収録 請求記号B0-0059-14
訓第五六八号
今般勅令第百三十五号を以て管轄地方庁の(東京府は警視庁以下做之)許可なくして朝鮮国に渡航することを禁せられたるに付ては無産無頼の徒猥りに渡航して事端を滋さゝる様渡航許可の際充分注意せらるへく即ち右許可に関し左之通心得らるへし
一 曽て保安条例第四条の処分を受けたる者予戒命令の執行を受けたる者予戒命令執行中の者並予戒令第一条の各事項に該当する者は許可を与ふへからす
二 商業漁業其他正当の目的なくして渡航せんとする者は許可を与ふへからす
三 商業漁業其他正当の目的を以て渡航せんとする者と雖も本人平生の行状に於て之を渡航せしむるは国際上危害の虞ありと認むへきときは許可を与ふへからす
四 曽て保安条例第四条の処分を受けたる者又は予戒命令の執行を受けたる者と雖悛改の情状著しき者に限り許可を与ふへし
五 渡航許可したる時は許可証を与ふへし
  許可証は左の様式に依り調製すへし
(許可証様式は省略)
六 朝鮮行の商舩漁舩抜錨の際には警察官を派遣し乗客並に乗込員の許可証を点検すへし若し許可証を有せさる者あるときは其乗込を差止むへし
七 許可を得すして密航したる者を探知したる時は直ちに其事実を外務大臣に申報し同時に在朝鮮国帝国領事館に通知すへし
右内訓す
 明治二十七年八月二日
       内務大臣伯爵井上馨

写経屋の覚書-フェイト「『無産無頼の徒猥りに渡航して事端を滋さゝる様』ってすごい言いようだね…」

写経屋の覚書-はやて「所謂『壮士』なんてろくな連中ちゃうやろ」

写経屋の覚書-なのは「にゃはははは…で、これに関して内務次官からも通牒が出されているんだよね」

写経屋の覚書-渡韓厳重取締

渡韓の者厳重取締の件 大阪府立公文書館 『秘書綴 明治22年3月~明治26年6月 M1-2004-3-822』収録 請求記号B0-0059-14

秘甲第一九三号
朝鮮事件に関し我人民中妄に彼地に渡航する義に付ては曩に秘訓第四九三号訓令の次第も有之候■目下既に渡韓し居る者不尠のみならす就中其行為粗暴を極め甚たしきは国家の体面を汚辱し最早此侭看過すへからす遂に今回勅令第百三十五号発布せらるゝに至候条此際一層厳重御取締相成度此段申進候也
 明治廿七年八月二日
        内務次官松岡康毅
  大阪府知事山田信道殿

写経屋の覚書-フェイト「壮士って政府側からするとほんとに迷惑なものだったんだねぇ…」

写経屋の覚書-はやて「韓国併合のときもそうやけど、マスコミもたいがいやんなぁ」

写経屋の覚書-なのは「ま、政府は穏健政策、在野が強硬政策を主張して、政府を攻撃したい野党がそれに乗っかりマスコミもまたそれを煽るっていうのが、明治以降の日本の図式の一つだってことは、一般知識として押さえておいてほしいなぁってのが作者の言いたいことなの」