写経屋の覚書-なのは「今回も『社会部報告第85号 本市に於ける朝鮮人の生活概況』を見ていくよ。まずは出身地別の統計」

写経屋の覚書-第85号05
写経屋の覚書-第85号06
写経屋の覚書-第85号07
写経屋の覚書-第85号08
写経屋の覚書-第85号09

 更に出身地別に観察する時は全羅南道の二一、六六三人最も多く全人口の四割八分を占め慶尚南道これに次いで居り平安北道咸鏡北道が最も少ない。即ち殆ど大部分は朝鮮南部の出身で全羅慶尚忠清の各南北道の合計は四二、九八四人に上り実に全人口の九割五分強に当つてゐるがこの現象は内地との地理的関係からして当然のことであらう。
 次に一戸を構へて居住する者及その家族の数は一四、一二六人にして全人口の三一・三%にすぎずして下宿人は二一、一三三人の多きに上り四六・八%を占め残余の二一・九%が転々としてその所在を移す飯場生活者であつて、かくの如く後二者が全人口の六八・七%に当るてふ事実はやがて女子の男子に比し頗る僅少なる現象並に壮年者の多い事実と共に朝鮮人の出稼的なことを語つてゐるものであらねばならぬ。

   出身地別戸数人員調年(昭和三年六月末現在)

 一戸を構へて居住する者一戸を構へざるも九十日以上同一町村に居住する者其他合計
戸数
全羅南道1,8483,5132,8026,3158,1612,1774,20780315,8815,78221,663
全羅北道4057224351,1571,8232578331533,3788454,223
慶尚南道1,3572,2581,3853,6433,3938391,8933457,5442,56910,113
慶尚北道3756854031,0881,5372975631532,7858533,638
忠清南道25725525150662567238371,1183551,473
忠清北道1011831032863725913225687187874
京畿道158265162427538139135229383231,261
江原道629968167173303213306111417
黄海道52836214516317471329392385
平安南道50855514018212631833085415
平安北道23483280539221212353176
咸鏡南道3853409313513551024363306
咸鏡北道2352277965532814940189
合計4,7498,3015,82514,12617,2223,9218,2521,61233,77511,35845,133


写経屋の覚書-はやて「全羅・慶尚・忠清いう朝鮮南部だけで95.2%もおるんかぁ。平安道や咸鏡道の人は日本には来んと満洲とか中国のほうに行くんかな?」

写経屋の覚書-フェイト「家を持ってる人は31.3%、下宿人は46.8%だから過半数近くが賃貸に住んでるんだね。やっぱり出稼ぎの人が多いってことか」

 これら朝鮮人は相集りて部落を形成する傾向を有し、そのうちには頗る非衛生的なところも少からず市民保健上の一問題たるを失はない。いま市内に於ける密集地域の戸数及人口を挙ぐれば次の如くである。
   密集地域の戸数及人口調年(昭和三年六月末現在)
 戸数人口1戸当り平均人員
此花区西九条下通1丁目29番地34115351504.4
同  大開町3丁目401888371256.9
東区左官町83522108381466.6
同  餌差町1107425999.9
同  中川道西町433136521866.6
東淀川区長柄東通1丁目(豊崎住宅)256039994.0
同  中津浜通5丁目211507122110.5
港区泉尾浜通2丁目1253197539415.8
同  船町(仮小屋)45263843477.7
同  小林町(仮小屋)452191143337.4
東成区猪飼野町92359491885799.8
同      13123123361596.9
同      872322887135911.2
同      628242066527111.3
同     136624163462098.7
同  生野国分町3631599181177.8
同  鶴橋木野町355272166227810.3
同  中道町355161395919814.3
同  東小橋町1575545712858510.6
同  大今里町583、56644255653207.3
同  鴫野町877442811,02511.8
西成区長橋通6丁目742、7477478511990412.2
同  北開通3丁目449、459921,1331691.30214.2
同  南開通3丁目52404664709.0
合計8826,9641,8128,77610.0


写経屋の覚書-フェイト「一戸当たり10人以上も住めるんだね…一戸がどの程度の規模かわからないから何とも言えないけど」

写経屋の覚書-はやて「港区泉尾浜通2丁目の1と東成区中道町355、西成区北開通3丁目449、459の平均人数は多いなぁ…あれ?港区船町と小林町はなんで赤字なん?カッコ内の『仮小屋』って何なん?」

写経屋の覚書-なのは「これはね、少し後のページになるんだけど、東成区朝鮮町(東小橋町の一部)と猪飼野町の居住状況についての調査報告「二 密集地域の状況」の「B 居住状態」ってところで分かるよ」

写経屋の覚書-第85号20

     B 居住状態
 家屋敷は朝鮮町五一戸猪飼野二一戸を算へ全部が木造の普通長屋であつて港区船町及小林町に於けるやうな無断で他人の所有地に建てたバラツクでも亦東成区生野国分町に於ける如き元鶏小屋ででもない。

写経屋の覚書-はやて「ほんまに他人の土地に勝手に小屋を建てとるやん!」

写経屋の覚書-フェイト「『東成区生野国分町に於ける如き元鶏小屋』ってのもけっこうすごいんだけど。そんなに住むところに困っていたんだね」

写経屋の覚書-なのは「お金がないというのもあるだろうけど、前にも出てきたように、貸家がむちゃくちゃにされるのがわかってるから貸さないってのもあるよね。小林・船町は現在大正区なんだけど、昔、作者は通勤時や仕事中によくそのへんを通ってたんだよねぇ。大正区といえば沖縄人が多いことで有名なんだけど、こんな歴史があったとは当時全然知らなかったってさ。次は配偶者の統計」

 更に配偶関係を見るに有配偶者数は全人口の五一・四%に当り無配偶者より稍多数を示してゐるが些細に検すれば女子の有配偶率が六八・二%なるに反して男子は四六・三%にすぎない。而して一八歳未満の有配偶者は該当年齢者総数の一割五分にも及んでゐる事実は彼等の早婚を示してゐるものであり、夫婦の別居してゐるものの多くは朝鮮に配偶者を残してゐるものと思はれるので、その数が有配偶者総数の半ば以上に上つてゐることはこれ又出稼ぎ的な一証拠と見られるであらう。

   配偶者の有無調年(昭和三年六月末現在)

 一八歳未満一八以上三〇歳未満三〇歳以上五〇歳未満五〇歳以上合計
有配偶8099,9014,66924815,627
7874,5282,2601767,751
1,59614,4296,92942423,378
無配偶6,7217,4213,9218518,148
2,2519033211323,607
8,9728,3244,24221721,755
合計7,53017,3228,59033333,775
3,0385,4312,58130811,358
10,56822,75311,17164145,133


   有配偶者の内訳
 一八歳未満一八以上三〇歳未満三〇歳以上五〇歳未満五〇歳以上合計
朝鮮人を配偶者とするもの同居2212,7351,8211154,892
4852,8921,4061094,892
別居5867,1082,75612710,577
3021,635853672,857
8079,8434,57724215,469
7874,5272,2581767,749
内地人を配偶者とするもの258916157
-11-2
外国人を配偶者とするもの--1-1
-----


写経屋の覚書-フェイト「男性の若い労働者が多いせいか、内地人女性との婚姻が多いね」

写経屋の覚書-はやて「配偶者が朝鮮人で別居しとる男性がむっちゃ多いで。これも家族を朝鮮に残して出稼ぎに来とる証拠になるんやね」

写経屋の覚書-なのは「じゃ、今回はここまでにするね。次回も続きだよ」

大阪に於ける朝鮮人問題(1)  大阪に於ける朝鮮人問題(2)  大阪に於ける朝鮮人問題(3)
大阪に於ける朝鮮人問題(4)  大阪に於ける朝鮮人問題(5)  大阪に於ける朝鮮人問題(6)
大阪に於ける朝鮮人問題(7)  大阪に於ける朝鮮人問題(8)
写経屋の覚書-フェイト「今回も大阪市の史料を見ていくんだよね?」

写経屋の覚書-なのは「うん。『社会部報告第85号 本市に於ける朝鮮人の生活概況』っていってね、大阪市社会部調査課が初めて大阪市内在住の朝鮮人を単体で取上げた報告書なんだって。昭和4(1929年)2月の発行なの」

写経屋の覚書-はやて「それまでは単体じゃなくて他の文書の附録になってたんやね」

写経屋の覚書-なのは「うん。凡例には『一 本書は日を追うて熾烈ならんとする朝鮮人問題の重要性に鑑み本市に於けるその生活状態を直視し以て本問題解決の一助たらしめんとする意図にある』『二 本書は始め「大阪市住宅年報」の附録として発表する筈であつたが前述の意味に於て特に独立の刊行物とした』と書いてあるんだよね」

写経屋の覚書-第85号凡例

写経屋の覚書-フェイト「ってことは、この時期にはそれくらい朝鮮人問題が重大なものになってきていたってことなんだね」

写経屋の覚書-なのは「そういうことだよね。内容は、昭和3(1928年)6月末時点での大阪在住朝鮮人の人口や戸数、男女別、年齢別、出身地別、職業別などの統計と、5月・6月に実施された大阪市東部の朝鮮人密住地区の生活労働状況の調査結果なの」

写経屋の覚書-はやて「土幕民シリーズの時は駆け足でかいつまんで見とったけど、けっこういろんな統計が入っとるんやね」

写経屋の覚書-なのは「うん。今回はじっくり全部見ていくよ。まずは在住者数の変遷と男女比なの」

写経屋の覚書-第85号02
写経屋の覚書-第85号03
写経屋の覚書-第85号04

      A 人口及戸数

 一般の朝鮮人が容易に渡来し得るに至つたのはいふまでもなく明治四十三年の日韓併合以来のことに属し大正元年末には僅かに二四八人に過ぎなかつた在阪朝鮮人が年と共にその数を急激に増加して昭和三年六月末に於ては実にその約一八二倍に当る四五、一三三人を算ふるに至つたことは実に驚くほかない。而して近時新聞紙の報ずるところに従へば昨秋の御大典を目当てとし何等かの職業にありつかんと陸続として京阪神方面に移住したとのことであるから昨年六月以後には在阪者の数も余程増加してゐることであらう。
 殊に注目に価することは逐年女子の来阪者の率が驚くべき程大となつてゐることで、これは当初は独身又は単独で来た人夫の如き職業のものが多かつたのに年々家族を挙げての移住者が増加したことに原因するのではあるまいか。
   大阪府在住朝鮮人累年増加及男女比率表

 女百人につき男
大正元年末246224812,300.0
大正五年末749137624,761.5
大正十年末6,1681,2527,420511.3
大正十四年末25,7956,06531,860425.3
昭和三年六月末33,77511,35845,133297.4

  備考 右は府特高課の調査による以下同じ


写経屋の覚書-フェイト「女性の渡航者が増えている理由は、家族での移住へと傾向が変わっていることだけなのかな?増加数が多すぎじゃない?」

写経屋の覚書-なのは「そうだね。それだけでは説明がつかないような気はするよね」

次にこれを地域別に見れば昭和三年六月末現在に於て本市内に居住するものは三五、〇一七人を算へ本府内居住者合計の七七・六%を占めて居り、更に市内に於ける細別を検査すれば東成区の九、九七四人最も多く全市の二八・五%に当り東淀川区、港区これに次いでゐるが共に前者の半ばにも及ばない。更に岸和田市及泉北郡に於て女子が男子の数倍を占め男女地位を換ふる奇現象を呈してゐるのは、紡績工場が賃金の低廉なるために朝鮮人女工を多数使用する特殊的事情に基くものである。
   大阪府在住朝鮮人分布状況年(昭和三年六月末現在)
 男 女 計 
北区2,0532552,308
此花区1,5233631,886
東区1,2522721,524
西区32123344
港区3,1518213,972
天王寺区562203765
南区753121874
浪速区2,4535883,041
西淀川区1,4805352,015
東淀川区3,7207534,473
東成区8,0531,9219,974
住吉区702252954
西成区2,3535352,887
小計(大阪市)28,3756,64235,017
堺市8957551,650
岸和田市2251,2531,478
三島郡63593728
豊能郡221152373
南河内郡623279902
中河内郡735235970
北河内郡19245237
泉北郡385323708
泉南郡4731,5231,996
水上生活者1,056581,114
合計(大阪府)33,77511,35845,133


写経屋の覚書-はやて「大阪市内は東成区がむっちゃ多いなぁ。今やったら生野区が有名やけど、当時生野区はまだあらへん。東成区鶴橋村・生野村・小路村と中河内郡巽村やったしね」

写経屋の覚書-フェイト「じゃぁ、やっぱり今の生野区地域に住んでる朝鮮人が多かったのかな?」

写経屋の覚書-なのは「うん。そのへんはもう少し後で出てくるよ。大阪市外では岸和田市と泉南郡がかなり多いんだけど、書いてあるように紡績工場に勤める女性が多いからなんだよ」

写経屋の覚書-フェイト「へぇー、そのあたりって紡績業が盛んだったんだ」

写経屋の覚書-はやて「そうやねんで。昔『東洋の魔女』で有名になった日本女子バレーチームの主力は、社会人バレーボールチームの日紡貝塚やけど、これもそこに工場(大日本紡績貝塚工場)があったんや」

写経屋の覚書-なのは「紡績工場で働く女性の多くは済州島出身者が多かったんだよ。1918年ごろかな、人手不足のため朝鮮人を移入しようとした時にどこの地方の人が適性があるかって調べたら、済州島人が一番まじめで働くって結果になったのが理由なんだって」

写経屋の覚書-フェイト「大正10年末の統計から女性が急に増えているのはそれも原因だったのかな?」

写経屋の覚書-はやて「『水上生活者』いうんは舟を家にして住む人やな。ごっちゃにしとる人多いんけど『ガタロ』とは全面的にイコール(ちゃ)うんやで。陸に居るガタロもあるし」

写経屋の覚書-なのは「うん。当時は、日本人・朝鮮人に限らず舟の上で生活してた人もいるんだよね。大阪市内でも、まだ堀が多かった昭和20年代後半までは存在してたみたい」

写経屋の覚書-フェイト「ここで出てくる水上生活者の数は、大阪市内のものなのかな?市外のものなのかな?それとも両方足した大阪府の総数?」

写経屋の覚書-なのは「大阪市以外の府下総数だと思うよ。大阪市内の水上生活者だったら各区の集計に入っているからね。次は年齢別人口統計だよ」

 年齢別に見れば二〇歳以上三〇歳未満のもの断然頭角をあらはし全人口の三割九分強に当つて居り且六歳未満の幼年者並に四〇歳以上の老年者が他に比して著しく少いことはいふまでもなく血気盛んな青壮年者が甚だしく多数なることを示してゐるものである。

   年齢別人口調年(昭和三年六月末現在)
 六歳未満六 歳 以上一四歳未満一四歳以上二〇歳未満二〇歳以上三〇歳未満三〇歳以上四〇歳未満四〇歳以上五〇歳未満五〇歳以上合計
1,4282,3865,47714,0538,7581,31236133,775
1,0641,4882,5163,5712,02850318811,358
2,4923,8747,99317,62410,7861,81554945,133


写経屋の覚書-フェイト「労働者とその配偶者・子供といった家族が多いってことかな?」

写経屋の覚書-なのは「うん。50歳以上の割合が一番少ないのもそれを裏付けてるね。とりあえず今回はここまでにして、次回も『社会部報告第85号 本市に於ける朝鮮人の生活概況』を見ていくね」

大阪に於ける朝鮮人問題(1)  大阪に於ける朝鮮人問題(2)  大阪に於ける朝鮮人問題(3)
大阪に於ける朝鮮人問題(4)  大阪に於ける朝鮮人問題(5)  大阪に於ける朝鮮人問題(6)
大阪に於ける朝鮮人問題(7)
写経屋の覚書-なのは「じゃ第4章の続きを見ていくね」

   一 収入
 朝鮮人労働者の収入は幾何なるや。之れを、各個人全般に渉つて調査する事は、殆んど不可能な事である。次の統計は、大正十二年八月中に於ける、大阪在住の朝鮮人土方一〇〇人、職工三〇人、日傭労働者二〇人につき実地調査せし個人の収入であつて、数に於て甚だ少く、又季節に於て彼等が最も暮らしよく、彼等の労働日数も比較的多かつたやうであるが、尚、彼等の収入の一斑を窺ふことが出来やう。
 表中、土方の部に於て、月収七十五円以上は、すべて、土方の部室頭である。彼等は下宿営業をなす傍ら、下宿人を自己の配下として労働せしめ、而も、其等の日収の幾分かを口銭として所得するのである。来住朝鮮人職業中に於て、彼等程有利なるものはなからう。大阪府下に於ける、朝鮮人下宿業者は大正十二年六月末に於て、三百二十三人あるが、其中、収支償はず職業を止むなくせしもの、僅に、八月末迄に十六件、新らしく営業開始せしもの、四十三件に及ぶといふ有様である。
 次に、職工は染色工場、硝子工場の職工により統計せしものにして、内地見習職工の部に属するもの、十人混り居る為め、平均収入に於て職工としては、多少低廉に過ぐる感あるも、一般朝鮮人工場労働者の平均収入としては、大凡表に現はれしものと大差はない。
 日傭労働者は、定住所がないものが多かつた為め、甚だ、調査に困難を感じたが、内地で俗称する「立ちん坊」について、彼等の偽らざる告白を掲記したものである。
 調査中調査者の不正確なる朝鮮語が禍して、徴税吏と間違へられたやうな滑稽場面もあつた。
(個人収入表)          (大正十二年八月中)
土方(100人)職工(30人)日傭労働者(20人)
自10円至15円--11
自15円至20円1263
自20円至25円1646
自25円至30円610-
自30円至35円117-
自35円至40円17--
自40円至45円42-
自45円至50円7--
自50円至55円131-
自55円至60円5--
自60円至65円2--
自65円至70円---
自70円至75円---
自75円至80円1--
80円以上6--
 
平均労働日数212516.2
 円  円  円  
平均1人1月収入38.91527.33316.250
平均1人1日収入1.8531.0931.003

      備考 表中平均労働日数は実際労働日数を人数で除したるもの
         平均一人一ヶ月の収入は総収入額を人数で除したるもの
         平均一人一日の収入は平均労働日数を以て平均一人一ヶ月収入を除したるものなり

 朝鮮人労働者の世帯としての収入は、彼等は、殆んど、大部分が単身労働者であるが故に、其例証に乏しきも、二、三世帯持の労働者が副業として、配偶の名によつて、営業なし居る下宿屋、飲食店についての収支出を、次節末に記載せしを以て、一応の参考を冀ふ次第である。


写経屋の覚書-フェイト「土方の部室頭って、前回も出てきたように、配下を自分の経営する下宿に入れて下宿料も取るいい商売なんだねぇ」

写経屋の覚書-はやて「下宿料を未納するもんもおるやろけど、その組で仕事しとる限りは徴収できるわけやし、取っぱぐれのない商売っぽいんやなぁ」

写経屋の覚書-なのは「そうだね。その上『其等の日収の幾分かを口銭として所得する』というから、これは搾取だよねw」

写経屋の覚書-はやて「『二、三世帯持の労働者が副業として、配偶の名によつて、営業なし居る下宿屋、飲食店』って、まるでちょっと前までのプロ野球選手の副業やんw」

写経屋の覚書-フェイト「…はやて、そういうネタは昭和生まれのプロ野球ファンじゃないとわからないよ…」

写経屋の覚書-なのは「その副業の飲食店・下宿屋の収支についてはあとで触れるね」

   ニ 生活費
 生活に対する支出の重なるものは、住、食、衣なるを以て、以下此順を追つて、述べんとするのである。
 住………来住朝鮮人労働者の最も困難を感ずるは、住居を得るてふことである。一朝鮮人は、内地人が朝鮮人労働者に家を貸さないてふ事について、憤然として語る。

 一視同仁とか、何とか、いつて表面は実に結構ですが、一般人の間に、朝鮮人が同一人格視されて居ないてふ事は、内地人が朝鮮人労働者に家を貸して呉れない一事によつても明らかである。其証拠は、日本語の上手な朝鮮人が、内地人の名前で家を借りに行くと貸して呉れる。其れだのに同じ其人間でも其れが朝鮮人と明ると、モウ貸さないんです。

 内地人が一般に、朝鮮人労働者に家を貸すことを拒む事実は、往々見られる。或る家主に其理由を質問したのに対し、次のやうな返答を得たのである。

 第一 朝鮮人労働者は家賃を払つて呉れない。もしも家を貸したら最後、二十人も、三十人もやつて来て、おまけに、不潔で家の掃除とか、手入をやらないから、家をいためることが多く、十年もつ家であつても四年位で駄目になります。ですから、仮令、家賃を二倍貰つても追つきません。
 それのみでなく、一般に手癖が悪く、南京虫をわかしたり、大勢で騒々しいもんですから、近所の人がいやがります。
 それで、私の方も営業ですから、家賃を払つて呉れなかつたり、家を荒されたり、おまけに、近所の人が迷惑して、転居されるやうじあ、困りますから、なるべく、朝鮮人労働者に貸したくはありません。

 と云つて居る。来住朝鮮人労働者の中でも、唯、単に家を借り得たてふ一事で、成金になつたといふ話もある位である。即ち、家を借り得たものは、早速下宿屋をやる。さうすると、千客万来で、下宿人が殖江るといつたやうなものであつたのである。

写経屋の覚書-フェイト「朝鮮人に家を貸さないのは差別だ!って簡単に考えるわけにはいかないんだね。それなりの理由があるんだ…」

写経屋の覚書-はやて「家賃を払わへんのはある程度しゃーない事情もあるんかもしれへんけど、家を傷めるいうんは家主にしたらかなわんやろなぁ」

写経屋の覚書-なのは「『善良なる管理者の注意義務』って言葉があるんだけどねぇ。そういう慣習が朝鮮には全く無いってことは考えにくいと思うんだけどねぇ…」

 実際内地来住朝鮮人九万五百十四人につき、戸数は六千九十三戸である。(一八頁統計参照)其中に戸数不明なる人員、七千六百六十二人あるを以て、之を差引して、尚、一戸当り、約一三・九人ばかりとなつて居る。来住者中、内地人と雑居する者を一割と看做し(一一九頁参照)ても、一戸当り、一二人近くなるのである。特に、大阪府下に於ては、内地人との雑居者一割を減じても、尚一戸当り、一七人強となるのである(一八頁統計参照)。大阪市内朝鮮人下宿屋二十家について調査(大正十二年八月)せしに、総畳数二百六十七畳に対し、下宿人五百七十九人ありて、一畳当り、実に、二、一七人弱になるのである。これは、調査時期が暑中なりし為めならんも、或下宿屋の如きは、押入も、椽側も、台所も、人を以て充されて居た事実もあつた。
 朝鮮人労働者の居住場所は、一般に、各都市の接続町村に多い。所謂、都市の場末に彼等は多く居住して居る。東京市附近に於ける、品川、大崎、世田ヶ谷、戸塚、巣鴨、千住、三の輪の如き、大阪市近傍に於ける、今宮、鶴橋、豊崎町の如きは此例である。これは、前述の如く、朝鮮人労働者が住居を得るに非常に困難に感じ、地位的に、経済的に、勢ひ場末に住所を見付け、初めは、内地人の木賃宿に宿泊せしものなりしが、彼等の中の極少数者が、家を借る事に成功し、其処に、朝鮮人労働者が集りしものにして、借り得し家は場末に於ても、更に、甚だ、不便な位置で、一般的需要から離れたものであつたのである。而して、彼等が此場末に、集団部落を構成せしや、と云ふに、住居難は再び、茲に、彼等を部落的に集合せんとする傾向より、阻止して居るのである。勿論、一般民衆も住宅の不足を嘆つ現在、朝鮮人労働者が居住を得るに困難することは、あり得べき現象とも考へられるが、一方住むに家なく、野中に板とトタンにて小屋掛をなし、其中に止むなく住居する一部朝鮮人労働者の境遇については、一考を要するものがあると思はれるのである。

写経屋の覚書-フェイト「どうしても、都市の中心部じゃなくて周辺部に住むことになるんだね」

写経屋の覚書-はやて「『一般民衆も住宅の不足を嘆つ現在』って、この時期は住宅が不足しとったん?『野中に板とトタンにて小屋掛をなし、其中に止むなく住居する一部朝鮮人労働者』いうんもすごいな。まさか、他人の土地に勝手に小屋を建てとるとかいうんちゃうやろな?」

写経屋の覚書-なのは「それはね、またいろんな史料を見ていくから、今は措いといて。次は食事と衣服の状況についてだよ」

 食………朝鮮人労働者は殆んど単身者である。此事実は前述の住居払底と結付けられて、彼等は大部分下宿生活をなし、一戸を構へて自活するものは甚だ稀れである。大阪附近に於ける、彼等の下宿料は普通、一日六十五銭であつて、最高八十銭以上を支払つて居るものは尠ない、だから、食物の内容としては、本章当初に述べしが如く、誠に、粗末なものであるが、彼等は内地にある材料によつて、出来るだけ、朝鮮風の料理をして居る。然し、彼等が等しく困難せることは、内地に於ては、朝鮮の唐莘(内地の唐莘に比して非常に大きく真紅にして内地産のもの程辛くない)を得難きことである。唐莘は朝鮮人の食物中不可欠のものである、されど、朝鮮唐莘は内地市場に現はれない、彼等は辛すぎる内地唐莘によつて、満足せしめらるゝことを、余儀なくされて居るのである。

写経屋の覚書-フェイト「朝鮮の唐辛子のほうが辛くないって、なんだか不思議な感じだね」

 衣………朝鮮人労働者は、一般に、衣服については頓着して居ない。彼等は、一般に、着換を持つて居ない。然し、彼等は異口同音に、着物を拵しらへるのであつたら、今度は、和服を拵しらへたい、と希つて居て、殆んど朝鮮服を着たい、といふものはない。彼等の中でも成功者は、種々和服を調製して居る。下駄は、一般に広く用ひられて居る。彼等は、確に、服装については、内地人と同様の希望を持つて居るものと、看做されるのである。然し、朝鮮人婦女子は、内地婦人の服装については、根本的に同化されないらしく、彼等は、朝鮮固有の服装を喜んで居る。これは、内地婦人の服装、が余りに、解放的であるてふ点に帰着するものらしく、厳格に謂へば、従来の内地婦人服装は、或は、朝鮮婦人の服装よりも、尚、実際的でないのではなからうか。

写経屋の覚書-はやて「女性はともかく、男性は和服を作りたがるんか…成功の象徴と言うか成功者のステータスみたいなもんなんかなぁ」

 以上、衣、食、住の状態を一通り説明せしを以て、一般朝鮮人労働者考が、是等に対して、如何なる割合の支出をなし居るや、下に、支出表を掲げて、参考に供しやう。調査時期が暑中であり、被調査人員甚しく僅少である点より、全般を律し能はざるは勿論なれど、一般朝鮮人労働者が生活必需事項に対する支出の割合は、大略、窺知し得るのである。表中、被服に対する支出を、極力切詰め居る心持を表はせしものにして、生活費を極度に制限して、送金乃至貯金をなし居る有様は、彼等の心情を最も露骨に表現して居るものと、云ふ可きであらう。

写経屋の覚書-なのは「さて、ようやく収支統計の例だよ」

(個人支出表)          (大正十二年八月中)



 月収平均35円 土方(27歳)月収平均28円 職工(30歳)月収平均20円 日傭人夫(43歳)
下宿19.500(寄宿舎) 15.000(廃船起居)食費 9.000
酒、タバコ7.0003.000
被服
雑費(洗湯其他)2.0002.000
送金5.00010.000
貯金2.000(手許に)6.000
残金1.5001.000
35.00028.00020.000

 来住朝鮮人労働者の大部分たる単身者の生活状態は、上述の如くであるが、茲に、世帯者の収支を表に掲げて、参考を煩はさんとするのである。来住朝鮮人労働者の世帯者は、大抵、彼等の中の成功者であると同時に、世帯者は殆んど副業として、下宿営業か、飲食店の営業を経営して居る。次表も、戸主は労働者、主婦は副業の営業主である。月に大抵、営業上の貸が、一割乃至三割あつて、而して、これが損失となり終ることが、殊に、飲食店の方に多いさうである。それでも、中には可成りの貯へを残し、益々、営業の発展が明らかなものも多いやうである。(表は大正十二年八月中のもの)

写経屋の覚書-フェイト「日傭人夫の『廃船起居』って…まるでホームレスじゃない…」

写経屋の覚書-はやて「土幕民のバリエーションなん(ちゃ)う?」

写経屋の覚書-なのは「うん。土幕民にしてもお金は稼いでいるのにずっと土幕生活してる例があったしね。まぁ、要は、下宿・貸家が確保できないか、そこまでして生活費用を削りたいのか、ってとこなんだろうね」

写経屋の覚書-フェイト「『月に大抵、営業上の貸が、一割乃至三割あつて、而して、これが損失となり終ることが、殊に、飲食店の方に多いさうである』って、無銭飲食じゃなくてツケのことだよね?」

写経屋の覚書-はやて「さすがにそこまで被害額が大きぃなるほど、食い逃げがさかんっちゅうのは考えにくいやんなぁw」

例一
●世帯の有様
 土方(親分)
 下宿営業主
 子供2人(共に男9歳と7歳)
 下宿人41人(朝鮮人労働者)
 下男2人(17歳と39歳朝鮮人)

○収入
 戸主収入79.000 
 家族収入682.500 
  計761.500 
 外に当月掛貸117.000 下宿料の不払に依る

○支出
 食料品533.000 家族全部の費用
 家賃32.000 畳数23畳
 被服117.000 主人の洋服代
 子供教育1.000 9歳の小学生
 主人小遣20.000 
 22.000 主婦小遣も含む
 雇人給料33.000 2人分
  計661.000 
○差引残額105.500 


写経屋の覚書-フェイト「41人も下宿者がいるなんてよっぽど広い家屋を使ってるんだろうね、と思ったんだけど、23畳に41人+家族4人、さらに下男2人ってきついよね」

写経屋の覚書-はやて「1人半畳以下って留置所より狭いん(ちゃ)う?まぁ、畳のない部屋もあって使うとるんやろけどね」

写経屋の覚書-なのは「差引して月に100円も残るんだから大したもんだと思うよ」

例二
●世帯の有様
 硝子工場職工
 下宿営業主(但し内地の素人下宿と同様)
 下宿人8人(主人と同一工場の硝子職工)

○収入
 戸主収入28.000 
 家族収入184.000 
  計212.000 
 外に当月掛貸19.000 

○支出
 食料品140.000 家族全部の費用
 家賃16.000 畳数7畳半庭2坪
 被服3.000 主人の浴衣
 主人小遣6.000 
 20.000 
  計185.000 
○差引残額27.000 

写経屋の覚書-フェイト「こっちは下宿者8人、7畳半だね。先の例よりは少しましなのかな?」

例三
●世帯の有様
 色染工場職工
 飲食店主
 子供1人(6歳)

○収入
 戸主収入55.000  
 家族収入104.000  
 内訳   
 酒、ビール、サイダア、ラムネ水、空瓶共36.000
 牛豚等の臓物より製せし食物の売上35.000
 魚類、乾物、果実36.000
 (ママ)類其他36.000
  計159.000  
 外に貸売掛23.000  

○支出
 家族生活費25.000  
 家賃17.000 畳数8畳庭2坪強
 営業費61.000  
 内訳   
 酒、ビール、サイダア、ラムネ氷26.000
 牛豚等の臓物15.000
 麺類其他7.000
 魚類、乾物5.000
 果実3.000
 其他調味料3.000
 器物破損補充2.000
 被服4.000  
 雑費20.000 家族の小遣等一切
  計127.000  
○差引残高32.000  


写経屋の覚書-なのは「収入欄の「麹」は多分「麺」の誤植だよ」

写経屋の覚書-はやて「へー、空き瓶も売れるんや。「牛豚等の臓物より製せし食物」って、もつ、所謂ホルモンのことやんねぇ」

写経屋の覚書-なのは「うん。ウィキのもつの項目の、「1924年の調査によると、大阪市に住むある在日朝鮮人が営む飲食店の1ヶ月の売り上げは104円で、そのトップは「牛豚等の臓物より製せし食物の売上」35円であった。この内臓の調理法は汁物がメインと思われる[12]」って記述は、この史料のこの箇所が典拠なんだよ」

写経屋の覚書-フェイト「え?注釈だと『食肉文化 さばく・あきなう・たべる』(大阪人権博物館、1996)って本が出典になってるよ?」

写経屋の覚書-なのは「その本の根拠になっているのが、この『労働調査報告28号 朝鮮人労働者問題』なんだよ」

写経屋の覚書-フェイト「でも、「この内臓の調理法は汁物がメインと思われる」いう根拠は何なのかな?」

写経屋の覚書-なのは「すぐ後に「個人の家庭などにおいてはホルモンを手に入れては、焼いて食べていたという証言はあるが、店舗をかまえたホルモン焼き屋が戦前からあったということを示す確証は得られていない」って書いてるから、焼いていたという確証がないから従来の汁物だろうっていう消極的な推論っぽいね」

写経屋の覚書-はやて「ってことは、もつ煮やろね。この時期のもつ鍋はまだ全国的やないし」

写経屋の覚書-なのは「そうだろうね、でもね、朝鮮では焼く内蔵料理があったし、1890年代には都市部の日本人労働者の間でもつ焼きが食べられていたから、ここの内蔵料理が焼きものでなかったとは言い切れないの」

写経屋の覚書-フェイト「え?日本でも内蔵って食べていたの?朝鮮人の肉食文化の影響じゃなかったの?」

写経屋の覚書-なのは「うん。江戸末期の文献に「センマイ」「ミノ」が出てくるしね。それと日本の内蔵料理は部落民の専売特許のように思われていたけどそういうわけでもないの。明治以降の焼き鳥屋は鶏の肉だけじゃなく内臓も焼いてたし、1920年代に鶏の価格が高騰すると豚の肉と内臓を焼くようになったの」

写経屋の覚書-はやて「あー!関東で「やきとり」と名乗っとるのに焼きトン、ホルモンを出す店があるんはその名残なんやね」

写経屋の覚書-なのは「そういうこと。それからついでに言っておくと、内臓を「ホルモン」と呼ぶのは「放るもん」に由来したものじゃないからね。もともと、内臓だけでなく山芋のような滋養強壮、精力増進に効果のありそうなモノをホルモンとよんだのが発端なの」

写経屋の覚書-フェイト「スタミナのつきそうなイメージ、所謂「精のつく」ものってことだよね」

写経屋の覚書-なのは「うん。で、1930年代以降、もつ焼きをホルモン焼きと呼んだり、大阪のレストラン「北極星」が商標登録して内蔵料理が流行ったせいでホルモン=内臓って概念が定着して、戦後もそのまま続いたの」

写経屋の覚書-はやて「ホルモンは放るもんやなかったんやねぇ」

写経屋の覚書-なのは「そうなんだよね。日本古来の内蔵料理があり、そこに朝鮮人の内臓料理が流入して影響を与えあったんだろうね。じゃ、『労働調査報告28号 朝鮮人労働者問題』はここでお終いにするね」

写経屋の覚書-フェイト「次は何を見るの?」

写経屋の覚書-なのは「次も大阪市の報告書を見る予定だよ。じゃ、今回はここまでにするね」

大阪に於ける朝鮮人問題(1)  大阪に於ける朝鮮人問題(2)  大阪に於ける朝鮮人問題(3)
大阪に於ける朝鮮人問題(4)  大阪に於ける朝鮮人問題(5)  大阪に於ける朝鮮人問題(6)