写経屋の覚書-なのは「じゃ、テキストCの内容検証に行くよ。いつも通り区切って見ていくね」

●終戦後 「朝鮮進駐軍」武装部隊が首相官邸襲撃●
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「朝鮮進駐軍」部隊2000人による「首相官邸襲撃事件」が1946年起きた。
約2000人 の在日朝鮮人「朝鮮進駐軍」部隊が完全武装して首相官邸に突入。
日本の警官隊は当時武器の所持は禁じられていため、米軍憲兵隊に応援を頼んだ。
そこで米軍憲兵隊と「朝鮮進駐軍」との間で大銃撃戦闘へと発展した。

写経屋の覚書-はやて「ほんまにこんな事件あったん?」

写経屋の覚書-なのは「1946年12月20日、在日朝鮮人による「在日朝鮮人生活権擁護委員会」が、皇居前広場に東京と近隣県の朝鮮人10,000人を集結させて「在日朝鮮人生活権擁護全国大会」を開催したの」

写経屋の覚書-フェイト「10,000人って多いねぇ」

写経屋の覚書-なのは「で、閉会後にデモ行進を開始して、2,000人が首相官邸に行って、スクラムを組んで警備員に対して投石したりプラカードで殴打したりして、官邸の門内に入り込もうとしたんだけど、警察官と進駐軍憲兵が門外に排除して解散させたってのが事実なんだよ。根拠史料は警視庁史編さん委員会『警視庁史 第4巻』(警視庁史編さん委員会 1978)p514~516、篠崎平治『在日朝鮮人運動』(令文社 1955)p264、警察庁刑事部捜査課『戦後に於ける集団犯罪の概況』(警察庁刑事部捜査課 1955)p52~53、『朝日新聞』(東京版)1946年12月21日付『朝鮮人官邸へデモ』だよ」

写経屋の覚書-フェイト「『大銃撃戦』ってあったのかな?」

写経屋の覚書-なのは「1946年1月16日付SCAPIN605『Armament of Police Force in Japan:日本警察の武装』によって、この時期の日本警察官は既に拳銃を所持してるの。この事件では拳銃2挺がデモ隊に奪われたこともあって、進駐軍憲兵が拳銃4発を発射してるんだけど『大銃撃戦闘』と呼べるのか疑問だよね」

写経屋の覚書-はやて「その2,000人のデモ隊が『朝鮮進駐軍』やったいう証拠はあるん?」

写経屋の覚書-なのは「ないよ。テキストC作成者が勝手に判断して書き加えただけだろうね。それにプラカードを武器に転用する集団のどこが『完全武装』なのかな?」

戦後の在日朝鮮人は、なんの国際法上の地位もないにも関わらず、勝手に自分たちを「戦勝国民である朝鮮進駐軍」であると詐称し、三万人もの武装集団となって全国主要都市に出現し暴れまくった。

写経屋の覚書-フェイト「『朝鮮進駐軍』と名乗ったっていう事実が確認できないのはいつものこととして、『三万人』って具体的な数字が出てくるよね。これは何か元ネタがあるのかな?」

写経屋の覚書-なのは「多分ね、在日コリア差別の由来ってサイトの『2.戦後七年間の間に起きた在日コリアの集団犯罪(襲撃・暴動への参加者、延べ三万人余り。検挙者延べ三千人余り)』って記述を転用したんじゃないかって推測してるの。もっとも、各事件についてのまとめは参考サイトとして挙げられている『秋津嶋研究所 何故「三国人」が差別用語になったのか(左翼系在日朝鮮人騒乱史)』の引用なんだけどね」

写経屋の覚書-はやて「延べ30,000人っちゅうのを勝手に解釈したんやろねぇ」

在日朝鮮人集団は、武装解除された日本軍の武器と軍服を盗用して武装し、勝手に「朝鮮進駐軍」と名乗り、無差別に多くの日本人市民を殺害した。
GHQの記録に残っているだけでも四千人以上の殺害記録が残されている。

写経屋の覚書-フェイト「今度は4,000人だよ。これも何かの数字を勝手に転用したのかな?それともほんとにGHQの記録があるのかな?」

写経屋の覚書-なのは「GHQの記録を調べたけどなかったよ。あったら教えてほしいくらいだよ。多分ね、「李承晩ライン設定による漁民死傷者4,000人」っていう言説を転用したんじゃないかなって疑ってるの」

写経屋の覚書-フェイト「どっちも『韓国人による日本人迫害』ネタだもんね。でも出典も明記されないようじゃ、関東大震災時に虐殺された朝鮮人が約6600人というのと同じくらいいい加減な話だよね」

写経屋の覚書-はやて「朴殷植とかのアレやね…ん?2011年11月15日現在で調べたら『GHQ公文書記録1947年~50年間だけでも約4600人もの日本人殺害』いう言説が出とるで。いつの間に600人増えたんや?まるで南京大虐殺の被害者数増加みたいやんw」

写経屋の覚書-なのは「私たちは歴史学に於ける『物語』の発展過程を今まさに目撃しているのかもしれないねw」

写経屋の覚書-はやて「えーっと、「武装解除された日本軍の武器と軍服を盗用して武装し」いうんは、テキストB0~2の「三八式歩兵銃や南部式拳銃で武装し、銃には着剣して」と、『田岡自伝』の「こうした不良分子は旧日本軍の陸海軍の飛行服を好んで身につけていた」をまとめたもんなんやろな」

写経屋の覚書-フェイト「でも、飛行服を着用してるからっていって、それが盗まれたものだとは限らないよね。生活費に困った復員兵が売ったり、軍の倉庫から横流ししたってこともあり得るし」

写経屋の覚書-なのは「そうだよねぇ。あと、日本刀や拳銃は持ってたんだけど、日本軍の歩兵銃や軽機関銃っていった武器を所持・使用したという記録はないんだよね。これまで見たように当然『朝鮮進駐軍』と名乗ったという記録もないよ」

戦後の治安が整っていない空白を良いことに、「朝鮮進駐軍」と名乗った在日朝鮮人は、土地の不法略奪、金品略奪、強姦、銀行襲撃、殺略、警察襲撃など暴れ放題の限りを尽くした。

写経屋の覚書-はやて「何べん『朝鮮進駐軍』っちゅう言葉使うねんな。日本語の文章として問題あるで…これもテキストB1・B2に出てった『強盗強姦傷害恐喝脅迫不動産窃盗、時には殺人まで、経済犯、實力犯を中心にあらゆる悪事を重ねてゐた』の転載やろねぇ」

写経屋の覚書-なのは「そうだろうね。そうそう、金品略奪で思い出したけど『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(5)で見た大滝事件、犯人グループは中国人と朝鮮人と日本人の混成だったよ」

写経屋の覚書-460119朝日(大阪)

1946年1月19日付朝日新聞(大阪版)
物資をねらひ暴行
【奈良発】十七日午後一時半ごろ奈良県吉野郡川上村大滝山見嘉志郎さん方の倉庫へ大阪市福島区海老江町二丁目料理店業台湾省民林則忠ほか四十八名(運転手など十二名の日本人を除く以外は台湾省民と朝鮮人)か五台のトラックで乗り込み、保管中の地方事務所の旧軍需物資を強制的に買上げると称し、酒三石(一升瓶入り三百本)砂糖十六樽、缶詰二十箱、綿布三十六梱などを積込み立去る途中急報により駆けつけた植田上市署長ら警官七名を棍棒で殴打し、人事不省に陥らしめた上、上市署に至り窓ガラスを破壊して大阪に引揚げんとしたが、大淀町下淵で米軍第九八師団兵士並に奈良県米軍政部員の応援によつて逮捕され、一味は奈良刑務所と下市警察署に折半収容された

写経屋の覚書-フェイト「朝鮮人だけじゃなくて台湾人も犯罪に関与してるわけだし、それに乗る日本人もいたんだよね。朝鮮人の暴状の印象が強いんだけどね」

写経屋の覚書-なのは「うん。台湾人は朝鮮人と比較すると犯罪が多くはなかったというのはあるんだろうけど、それ以上に、この後朝鮮人は集団でのデモや役所への押しかけとか、日本共産党と組んで反政府・反韓国の破壊暴力活動をしたから、朝鮮人の暴状の印象がよけい強くなったんじゃないかな?じゃ、ちょっと早いけど、今回はここまでにするね」

写経屋の覚書-フェイト「え?どうして?」

写経屋の覚書-なのは「次に見る段落に関係する史料の量が多いんで、ここで区切らないと字数オーバーになるんだよ」

映画『残侠』―『朝鮮進駐軍』検証―

『朝鮮進駐軍』の初出について(1)  『朝鮮進駐軍』の初出について(2)
『朝鮮進駐軍』の初出について(3)  『朝鮮進駐軍』の初出について(4)

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