写経屋の覚書-なのは「さ、テキストB0の検証の続きをするよ」

 東京東部(中心地)北郊の荒川、古利根-中川、江戸川、利根川流域の牛は皆ゐなくなった
當時、あの辺は畜力として農耕牛を使ってゐたが、深夜、不逞鮮人が侵入して盗み出し、河原へ牽いて行って塗擦した 牛はモウと言って泣いたので皆気付いたが銃砲刀剣で武装してゐるので追ふ訳には行かなかった 永年愛育し、慈しんだ牛が悲しさうに泣きながら引き出され殺されるのは無念で耐え難かったがどうにも出來なかった
 斯うして流域一帯の牛は皆、不逞鮮人に盗まれ、殺され、闇市で賣られた 關東から、牛はゐなくなった

写経屋の覚書-はやて「これ、前々回もふれたやんなぁ。結局担保となる史料等が無いからどうとも言えへんって」

写経屋の覚書-フェイト「具体例もないしね…前々回に出てきた農林省獣疫調査所から炭疽菌を接種した牛が盗まれた事件くらいだし…それに関東から牛はいなくなったなんてさすがにありえないと思うんだけど…」

写経屋の覚書-なのは「70歳地方議員がそう思うのならそうなんだろうね、彼の中(・・・)ではねw」

写経屋の覚書-はやて「発言者が自分の身の回りだけであった話を、どこでもあったんやって勝手に地域規模と被害程度を拡大して思いこんだり、なんか別の事件と取り違えたり改変して記憶してもおとるっちゅう可能性はあるやんねぇ」

 家畜相手ならまだしも、人間に對しても、關東以西の大都市を中心に、日本中に灰神楽が立つやうな勢で数多犯罪を重ねた
 其最も著しい、象徴的事例に、元文部大臣、後の首相・鳩山一郎氏に對する傷害事件がある
 翁が軽井澤の静養先から帰京しやうとして信越本線の汽車に乗って居たら、例の「朝鮮進駐軍」が後から大勢切符も買はずに押し入って來て、俺達は戦勝國民だ、おまへら被支配者の敗戦國民が座って支配者様を立たせるとは生意氣だ、此車両は朝鮮進駐軍が接収するから全員立って他の車両へ移動しろ、愚図愚図するな!と追ひ立てた
 其で鳩山氏が、我々はきちんと切符を買って座ってゐるのにそりゃおかしい、と一乗客として穏やかに抗議したら、忽ち飛び掛かって袋叩きにし、鳩山翁を半殺しにした 幸にして重体にも重傷にも至らなかったが、頭部裂傷だか顔面挫傷高だか忘れたが、血に塗れた顔で帰京した

写経屋の覚書-フェイト「鳩山一郎って鳩山由紀夫元総理大臣の祖父だよね?ほんとにこんな事件があったの?」

写経屋の覚書-なのは「これについてはね、既にこういう検証をしている人がいるんだよ。『鳩山一郎回顧録』の1945年12月東北へ遊説に出かけた際のトラブルの記述がネタ元じゃないかって」

 その時上野の駅で、二等車の隅つこに坐つていた。そうすると中華民国人が数人でもつて二等車の中に「この車は占領す」という旗を立てた。そして十人位の第三国人が
 「この部屋をみんな出て下さい」という。出ない爺さんが一人いた。そうするとこれを私の前で殴るのだ。私は体の大きな力の強い書生を連れていたがそれが
 「危険ですから出ましょう」
 というので出てしまつた。青森に行く約束の時間はその汽車に乗らなければ間に合わないものだから、もうセッパ詰つて列車の先から尻まで駈けて歩いたが空いている席は一つもないし、窓は閉まつている。みんな窓から入るので内側から閉めちやつて入れないようにしている。そんでよんどころなく進駐軍の車に飛び込んで
 「自分はこういう身分で遊説に行くんだがこの汽車に乗らなければ行かれないんだ」と頼むと「こゝへ坐つて行きなさい」といつてくれた。全く有難かつた。しかもほかの車は寒いのに進駐軍の車だけは暖かくてまるで極楽みたいだ。
 私がその中に入つたので貴族院の誰だつたか
 「私も何うか乗せて下さい」と頼んだら
 「この人の従者なら入っていゝ」という。そうなると私も〱という奴が出て来たが「そう沢山はいけないが、六、七人までなら許そう」と先方がいつてくれたので、結局五、六人の人が私の従者ということになつて喜んで乗り込み仙台までたどりついた。
 仙台に行つて演説をして、仙台から青森に行くためにも散々苦労した。 青森から帰る時も朝鮮人が列車を占領して駅長に向つて「この列車は朝鮮人だけに限ると声明しろ」と強談判している。駅長が「それは断じて出来ない」と拒絶した。
 「断じていけない」といえばそれが通るのに、その点、東京の駅はだらしないとその時思つた。

鳩山一郎『鳩山一郎回顧録』(文芸春秋新社 1957)p41~42

写経屋の覚書-はやて「確かにこれを改変した蓋然性が高いかなぁ。検証しとるサイトではデマって断定しとるけど、さっきも言うたように、発言者の70歳地方議員が素でまちごうて覚えとったり脳内で変換しとる可能性もないわけではないやんねぇ。ま、かなり確率は低い話やとは思うんやけどね」

写経屋の覚書-フェイト「本当にこういう事件があったけど回顧録には書かなかったっていう可能性もないことはないけど…ちょっと無理があるよね。やっぱり実在が限りなく疑わしい話だよ」

 直後に總理大臣に成る程の大物でも如斯 況や庶民に於てをや 土地も屋敷も物資も操も、奪ひ放題であった 殊には、空襲や疎開で一時的に空いて飽いてゐる土地が片端から強奪された

写経屋の覚書-はやて「これも前々回でふれたやんなぁ。持ち主が不在もしくは不明な土地を不法占拠した事実はあるけど、朝鮮人・台湾人だけやのおて日本人もやっとったって」

 堪りかねた警察が密かにやくざに頼み込み、「濱松大戦争」になった

写経屋の覚書-フェイト「『浜松大戦争』?」

写経屋の覚書-なのは「1948(昭和23)年4月4・日5日に在日朝鮮人集団とヤクザ小野組との間に起きた『浜松乱闘事件』のことだろうね」

 新警察制度発足後間もない昭和二十三年四月四日、五日の両日、浜松市の中心街において地元香具師と在日朝鮮人が抗争、けん銃や猟銃を乱射し日本刀を振回すなど、市街戦さながらの流血闘争を繰り広げ、死者三人、傷者一四人を出すという事件が発生した。
 浜松市警察署では、静岡以西の各警察署から多数の応援警察官の派遣を求め、鎮圧捜査に当たった。この結果、一八人を逮捕し、回転式けん銃四丁を押収した。
 同年八月四日静岡地方裁判所浜松支部は、無罪一人を除く一七人に対して懲役四年~同六か月を言渡した。

静岡県警察史編さん委員会『静岡県警察史 下巻』(静岡県警察本部 1979)p772

写経屋の覚書-フェイト「警察が小野組に依頼したり、何かの交渉したかなんてわからないよね?まぁ事実であっても警察資料には載らないと思うけど」

写経屋の覚書-なのは「だいたい、朝鮮人側が小野組長の自宅を襲撃したのこの事件の始まりなんだしねぇ…朝鮮人VS小野組&警察という図式じゃないんだよね」

写経屋の覚書-はやて「つーわけで、確認取れへんし妥当性もむっちゃ疑わしい言説ってことやね。小野組の組長小野近義って現役の県議会議員やったんやな…」

 其で米軍も腹に据えかね、日本本土全域の占領を担當してゐた米第八軍司令官アイケルバーガー中將が、關東と言はず關西と言はず、不逞鮮人活動地域に大軍を出動させ、街頭に布陣して簡易陣地を築き、装甲車両を並べ、人の背丈程に大きな重機關銃を構へて不逞鮮人にピタリと狙ひをつけ、漸く鎮圧した

写経屋の覚書-フェイト「…すごく大きな話になってるけどほんとにこんなことあったの?」

写経屋の覚書-なのは「はっきり言って、どうみてもあり得ないの。こんな事態の起こった時期日付がないから確認できないし、警察資料にも、新聞にも、GHQ史料にも該当しそうな事件は見当たらないしね。GHQの検閲下で報道規制された可能性もないとは言わないけど、ここまで大きな事態なら全国紙は規制されても地方紙のどこか一紙は報道するだろうし、他の証言や書籍に記録されてるだろうしね。そんなものが一切ないんだよ」

写経屋の覚書-はやて「たしか非常事態宣言の出た『阪神教育事件』ってあらへんかった?ひょっとしたら、その事件を脳内でいい具合に改変して記憶してもぉたんかもしれへんで」

写経屋の覚書-なのは「にゃははは。あり得るかもしれないね。文部省は朝鮮人学校に対して教育基本法・学校教育法に従って知事の認可を受けるよう通達して、従わない学校に閉鎖勧告したんだけど、大阪市・神戸市ではそれに反対する朝鮮人たちが抗議やデモをやって、1948(昭和23)年4月23日~27日、大阪府庁・兵庫県庁に乱入して勧告撤回を強要したり警察官隊に投石・暴行したりしたんだよね、これが『阪神教育事件』っていう事件なの」

写経屋の覚書-フェイト「それで非常事態宣言が出たんだね」

写経屋の覚書-なのは「うん。神戸基地司令官のメノア代将が非常事態宣言を宣告したんだよ。第8軍司令官のアイケルバーガー中将も横浜から神戸に来て、暴力と強制のもとに行われた知事等との協定・約束は無効だ、朝鮮人の行動は占領政策・占領軍の安全に脅威を及ぼすものだから軍事委員会・軍事裁判所にまわすって宣言して朝鮮人の検挙と処理を命じたの。大阪府警察史編纂委員会『大阪府警察史 第3巻』(大阪府警察本部 1973)p246~249、兵庫県警察史編纂委員会『兵庫県警察史 昭和編』(兵庫県警察本部 1975)p654~657に詳しく載ってるよ」

 此時聯合國軍總司令官ダグラス・マックアーサー元帥の發した布告が、「朝鮮人等は戦勝國民に非ず、第三國人なり」と言ふ声明で、此ぞ「第三國人」なる語のおこりである

写経屋の覚書-フェイト「ってことは、この声明というのも事実かどうかかなり怪しいよね?いつ発されたかすらもわからないし」

写経屋の覚書-なのは「そういうこと。まず、マッカーサーやGHQがこんな声明をした事実は発見できないの。朝鮮人の地位取扱について発表したのは、前々回もふれた1946(昭和21)年11月の朝鮮人・台湾人には治外法権はなく、日本の法規に服すべきだっていうの以外にないし、この阪神教育事件の際にも朝鮮人の地位に関する声明なんてしていないんだよね」

写経屋の覚書-はやて「つまり、完璧に事実無根っちゅうわけやね」

写経屋の覚書-なのは「そう考えるのが妥当なの。これでテキストB0の検証は終わりだけど、実在が証明できない言説と、実在の事件に対する誤った理解把握、実在の事件を改変したような言説で構成されていることがわかったと思うの」

写経屋の覚書-フェイト「聞き書きって形式だから、発言者の記憶違いや勘違いがあっても聴取者があえてそのままにしただけ、っていう逃げ道はあるよね?」

写経屋の覚書-なのは「事実関係について明らかにまちがっている認識が出てきても、発言を改竄せずそのまま記録するっていうのはいいことなんだけど、それなら注釈のかたちでツッコミ入れたり訂正や補足の説明をしたらいいよね」

写経屋の覚書-はやて「そうやんなぁ…史料写経する時は明白な誤字があっても、勝手に改めないで「ママ」ってルビ振るし、『1944年の終戦後』なんてあったら欄外で『※正しくは1945年』とか注釈するやんなぁ」

写経屋の覚書-なのは「そういうことだよ。今話していることはテキストB1を検証する時に大事になってくるから覚えておいてね。じゃ、今回はここまでにするね」

映画『残侠』―『朝鮮進駐軍』検証―
『朝鮮進駐軍』の初出について(1)
『朝鮮進駐軍』の初出について(2)
『朝鮮進駐軍』の初出について(3)
『朝鮮進駐軍』の初出について(4)
『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(1)
『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(2)
『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(3)