写経屋の覚書-なのは「さて、今回はテキストBの中で最も早く登場したB0について見ていくよ」

写経屋の覚書-フェイト「えーっと、2000年6月9日付配信「五百羅漢ネットワーク・プロジェクト」(GNP)に掲載されたものだね」

表題の件に付ては既に一通り書いたつもりであったが、本日郷土葛飾に赴いたところ、老人達が本件を論じてゐた 中にも地方議員の七十翁の回顧は愚生の筆より数段迫力有りし故、(帰宅早々、記憶により再現し)記して御参考に資せむとするものである

写経屋の覚書-はやて「ここでは『南十字星』の証言やのおて、70歳の地方議員から聞いた話の聞き書きっちゅうかたちやねんな」

終戦後の第三國人どもは本當に酷かった軍の兵器を盗んで來たらしく、三十八式歩兵銃や拳銃で武装し、銃には着剣して強盗強姦、時には殺人まで重ねてゐた
銀座浅草新宿は朝鮮人、澁谷は臺湾人に支配され、政府も警察も動揺し、手を拱いてゐた

写経屋の覚書-なのは「『兵庫県警察史 昭和編』p448・449や『新編広島県警察史』p896を見ると、朝鮮人・台湾人集団が拳銃・日本刀・棍棒で武装したっていうのは確認できるんだけど、三十八式歩兵銃を装備したっていう記述のある史料はないんだよねぇ…」

写経屋の覚書-はやて「んー、「政府も警察も動揺し、手を拱いてゐた」っちゅうのはどうなん?」

写経屋の覚書-なのは「これはね、前回渋谷警察署襲撃事件にふれたとき、はやてちゃんが言った「なぜ米軍憲兵に事件が引き継がれて軍事裁判になったか」という話に大きな関係があるの。まず、ポツダム宣言受諾終戦によって朝鮮人・台湾人が「解放民族」として扱われることになったってのは以前に触れたよね」

写経屋の覚書-フェイト「うん。たしか日本国民でもないし連合国軍参加国民でもない立場になったんだよね」

写経屋の覚書-なのは「そうそう。占領下の日本では刑事事件について、連合国軍参加国民だったら連合国軍の法律が適用されて裁かれるし、日本国民だったら日本の法律に従わなきゃいけないよね。じゃ、朝鮮人・台湾人はどうするの?」

写経屋の覚書-はやて「え?あれ?解放民族やから日本国民っちゅう感じちゃうし、連合国軍に参加どころか国なかったわけやから連合国軍側でもあらへん…どっちの法律に従ったらええん?」

写経屋の覚書-なのは「で、解放民族なんだから、少なくとも日本の法律には従わなくていいって解釈して行動した朝鮮人・台湾人たちがいるって話になるの。GHQも内務省もそのへんの線引きについて不明確なままだったしね」

写経屋の覚書-フェイト「だから警察も、日本の法律を適用して検挙・起訴できるのかどうかあやふやなまま取締をしていたんだね」

写経屋の覚書-なのは「そうなんだよね。このへんの話は作者が以前サイトで触れているんだけど、1946(昭和21)年2月19日付SCAPIN756「刑事裁判権の行使」SCAPIN757「朝鮮人及びその他の国民に言い渡された判決の再審理」で、朝鮮人・台湾人に対しては日本警察の警察権・司法権が行使されるってことが明言されるんだけど、それまでは不明確な状態だったから警察が取締を躊躇したり朝鮮人・台湾人の不法行為を助長する一因になってたんだよね」

写経屋の覚書-はやて「ちゅうことは、政府・警察が手を拱いてたいうんは、動揺してたからいうより、取締権限が不明確やったからいうことやね。ほんで、その状態はどう長く見ても1945(昭和20)年8月15日から1946(昭和21)年2月19日までの間やったいうことやな」

写経屋の覚書-なのは「そう考えるのが妥当かな。まぁ、敗戦による動揺とか士気低下も一因だったかなとも思うけどね」

写経屋の覚書-フェイト「でも、渋谷警察署襲撃事件は台湾人の犯罪なのに進駐軍が扱うことになってるよ」

写経屋の覚書-なのは「これはね、『占領目的の阻害行為』と解釈されたから、進駐軍の捜査・裁判の管轄になったってことなの。それと、朝鮮人・台湾人が参加する闇市が賑わっていてその経営に大きな影響力を持っているってことで、銀座や渋谷の土地そのものが支配されたってことは言えないんだよ」

食管法は朝鮮人には適用されなかった だから彼等は堂々と闇商賣を行ひ、派手に稼いでゐた そりゃ儲かるだらう 取締を横目に犯罪のし放題なのだから

写経屋の覚書-はやて「食管法て朝鮮人に適用されへんかったん?」

写経屋の覚書-なのは「適用されているよ。だから闇米の買い出しも取り締まってるんだよ。こんな感じにね」

 主食の買い出しの場合もこの態度がいっそう露骨となり、取締り警察官の命令をきかずしてこれに抵抗し、各種の事犯を惹起した。
 すなわち、昭和二一年(一九四六)八月二日の鶴岡警察署襲撃未遂事件、同月二九日に発生した同署の朝鮮人強制送還途中における護送警察官のけん銃奪取事件、さらに同年一〇月二日楯岡警察署管内尾花沢巡査部長派出所襲撃事件などがそれである。
 彼らが米の買い出しのため集団で殺到した地域は、庄内地方では東田川郡藤島町方面、置賜地方では東置賜郡糠野目・小松方面、村山地方では北村山郡尾花沢・大石田方面、最上地方では及位方面である。朝鮮人の集団計画的米の買出しがいかに多かったか、例を赤湯(現南陽)警察署管内の奥羽本線糠野目駅にとると次のとおりで、同駅は米の買出人以外は格別の乗降客がないところであるが、昭和二一年一〇月には二二、一三六人も訪れている。
 警察としてはこれら買出人に対し、所持米の没収あるいは住居地への強制送還など、直接違反者に対する取締りをしたが、さらにこれが完封のため、闇の根源を衝き、強力な取締りを実施した。(中略)
 なお、昭和二二年一〇月二〇日発生した日ごろ闇米の取締りに不満を持つ朝鮮人金達俊(二六)ほか六名による尾花沢巡査部長派出所襲撃事件(詳細は、戦後編第二章第一節第五の四(ママ)米買い出しの朝鮮人による尾花沢巡査部長派出所襲撃事件の項参照)を反省し、朝鮮人の買出しが殺到するおそれのある尾花沢・大石田・及位・小松・糠野目方面、特に糠野目においては、買出人は警察の手薄になるのをねらっているように見受けられたので、常時数名の警察官を駅に派遣し、徹底した取締りを行なった。
 この朝鮮人による闇米買出しの取締りは、戦後の警察活動の中で最も苦労したものの一つである。

山形県警察史編さん委員会『山形県警察史 下巻』(山形県警察本部 1971)p922~925


写経屋の覚書-なのは「闇米買出しや闇商売の取締については、以下の警察資料にも記述があるね」

秋田県警察史編さん委員会『秋田県警察史 下巻』(秋田県警察本部 1971)p498~504
山形県警察史編さん委員会『山形県警察史 下巻』(山形県警察本部 1971)p922~933、p944~951
宮城県警察史編さん委員会『宮城県警察史 第2巻』(宮城県警察本部 1972)p122~129
神奈川県警察史編さん委員会『神奈川県警察史 下巻』(神奈川県警察本部 1974)p400~401
瓜生俊教『富山県警察史 下巻』(富山県警察本部 1965)p374~380
三重県警察本部警務部警務課『三重県警察史 第3巻』(三重県警察本部警務部警務課 1966)p526~527
大阪府警察史編集委員会『大阪府警察史 第3巻』(大阪府警察本部 1973)p110~113
山口県警察史編さん委員会『山口県警察史 下巻』(山口県警察本部 1982)p546~548
長崎県警察史編集委員会『長崎県警察史 下巻』(長崎県警察本部 1979)p1051~1061

写経屋の覚書-フェイト「ってことは朝鮮人に食管法が適用されなかったというのは事実じゃないし、取締を横目に派手に商売をしてたっていうのもおかしいんだね?」

写経屋の覚書-なのは「うん。だけど、警察権行使の範囲の曖昧さや集団の威を借りた行為のせいで、取締が甘かったり見逃したりすることはあったみたいだね。でもだからといって取締がされてないとは言えないけどね」

 二十二年二月十九日、総司令部覚書「刑事裁判権ノ行使ニ関スル件」によって、それまで不明確だった朝鮮人に対する刑事裁判権は日本側にあることが確認されたが、勢いづいた鮮人の暴状は、ますます激化する一方であった。
 警察としては、主要駅等における彼らの主食買い出しに対する取締りも徹底的に徹底して実施したし、個々の犯罪に対しても、その都度強い態度で臨んだのであるが、彼らは数を頼んで逆に取締り警察官をおどし、被疑者を検挙され物が押収されると、警察署、駐在所等に押し寄せ奪還を企て、反面日本人の非はどんなさ細なことでも厳重な警察措置を強要するような始末であった。
 こんな状態であったから、特に集団的不法事案に対する警察の態度も自然消極的になりがちで、検挙は二の次にしてまず自体の穏びん解決を図ろうとする風潮になり、場合によっては彼らの要求をのまざるを得ないこともあった。警察官の定員が少なく、警察装備はほとんど無に等しい状態に加え、進駐軍警備に大量の警察力を投じていた当時の情勢下においては、やむを得ないことでもあった。

宮城県警察史編さん委員会『宮城県警察史 第2巻』(宮城県警察本部 1972)p124



 二十年十二月の通常府会で多くの議員が警察に関する質問を行なったが、その内容を大別すると
 「戦時中民衆を抑圧して戦争への協力を強いた警官は、今こそ態度を改めて民主的公僕の精神に徹せよ」
 「ヤミの取り締まりが手ぬるい。特に第三国人に毅然たる態度を示せ」
 という二つの筋になる。前者はほとんど抽象論で、この場合論議は主としてヤミ市の取り締まりに集中した。
(中略)
 中川源一郎『私は駅でこういうのを見受けた。帰還軍人が世話になった主人のもとへみやげに持って行こうと、田舎から柿やイモを背負って駅へ来たら巡査につかまり、柿もイモも取り上げられてしまった。その巡査が、取り上げた柿をかじりながら駅に立っていると、朝鮮人が重い米をかついでやって来る。巡査は見て見ぬふりをしている。聞いて見ると、朝鮮人は巡査くらいボロクソにいう、だから相手にせんのであると、汽車の中で申しておりました。一体半島人に致しましても支那人に致しましても勝手放題なことをして闇取り引きを助長させているかの如くでありますが、この状態をどこまで黙視しておくお考えであるか、あるいは徹底的に取り締まられるお考えであるかどうかをお尋ねしたいのであります』

京都府議会史編さん委員会『京都府議会史 昭和二十年八月~昭和三十年三月』(京都府議会 1971)p25~26


写経屋の覚書-フェイト「70歳の地方議員が住んでた葛飾の方では事情が違ったのかな?」

写経屋の覚書-はやて「まぁ、思い違いや勘違いいうんはあるんかしれへんねぇ。70歳地方議員とその発言の実在が前提やけど」

写経屋の覚書-なのは「そうなんだよね。今シリーズの考察は、『南十字星(北斗星)』という当時を体験した人が実在して、70歳地方議員が実在して、本当にそういうことを発言して南十字星が記録した、という前提でやっているんだよねぇ」

写経屋の覚書-フェイト「人物も発言も実在していたとしても、その発言内容の信頼性とは別の問題だよね。はやてちゃんが言ったように、思い違いをしてたり詳細を知らなかったり、意図的に嘘をついたりしてるかもしれないし」

写経屋の覚書-なのは「そういうこと。そのへんは最後にまとめてふれてみようかなって思ってるの。じゃ、今回はここまでにして、引き続き次回もテキストB0を見ていくね」

映画『残侠』―『朝鮮進駐軍』検証―
『朝鮮進駐軍』の初出について(1)
『朝鮮進駐軍』の初出について(2)
『朝鮮進駐軍』の初出について(3)
『朝鮮進駐軍』の初出について(4)
『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(1)
『朝鮮進駐軍』初出テキストの検証(2)