安保法案が衆院を無事通過したようです。
まだ予断は許されませんが、ひとまず安心といったところでしょうか。
これで、日本が戦争に巻き込まれない可能性が格段にあがりました。
平和度が上がったといってもいいでしょう。
強行採決というレッテル
「強行採決」という言い方が変だという指摘があります。
民主主義のルール上のプロセスにのっとって法案を可決しただけだと。
まったくその通りです。
さらに言えば「国民の理解」などという言葉もおかしな話です。
われわれ国民は、これまで国会を通過した法案、すべてを「理解」してきたでしょうか。
残念ながら、個々にはそれそれの生活もあり、国民一人ひとりがかかわれないからこそ、代表者を選んで政治を委託しているわけです。
「戦争法案」という言葉を含め、こうした言葉遊びは、反対のために反対をする左翼が、都合よく作り出した言葉に過ぎないということでしょう。
簡単に言えば、得意の「レッテル貼り」です。
自分のためではなく、仕事の責任として
さて、安倍首相は支持率を低下させながらも、この件についてはよく仕事をしてくれたと思います。
安倍首相が、自分の名誉や地位のためにのみ仕事をする人であれば、安保法案を通す必要はなかったでしょう。
あれだけ支持率が高い中、わざわざ支持率の下がることをせずにいれば、それこそ2020年のオリンピック開催時にも首相でいられたでしょう。
長い間安定した政権を作ったという事で、歴史に名前が残ったかもしれません。
ただし、業績は何も有りませんが。
お金や、地位や、自分の名誉のためならば、わざわざせずにおれたこと、これをされたのは、ひとえに仕事に対する「責任」ゆえでしょう。
嫌われても仕事を進めるのが責任
仕事をされている方であれば誰でもわかることですが、仕事には責任がつきまといます。
それぞれに地位に応じて、成すべき事があります。
特に部下を持つ立場であれば、人の顔色ばかりうかがっていては仕事ができないということは常識です。
会社の経営者や部署の責任者が、従業員の顔色ばかりうかがって、反対がある事を進めずにいれば、会社の仕事は成り立ちません。
時には嫌われても、やらなければいけないこと、支持しなければいけない事が出てきます。
これが仕事に携わっている者の責任です。
政治も仕事だと思えば、まったく同じ事が言えます。
国民が理解せずとも、現実の脅威に備える事は、政治家の仕事の責任です。
支持率が下がってもやり遂げなければならない仕事があったわけです。
左翼の責任放棄
左翼の連中は、政党でも個人でも、こうした責任をまったく放棄しています。
政党は対案も出せず、個人は「徴兵」や「戦争反対」など、ずれたスローガンしか掲げられません。
戦争というのは、国対国の紛争で、こちらから仕掛けるだけではなく、仕掛けられることもあるということを忘れてはなりません。
隣国には、一党独裁で、「反対」をとなえる事も許されず、現在領土侵略を進行しつつあるファシズム国家があるわけです。
日本の領土領海に侵略の手が延びてきた場合、残念ながら日本一国の武力だけでは対抗できないのが現実です。
しかしながら、左翼の連中はこうした現実に対する現実的な対抗策をまったく持ち合わせていません。
責任など求めるのは無駄というものでしょう。
安保法案の抑止力
さらに言えば、隣国の軍事力に対し、日本一国だけでは対抗できないという現実が戦争を呼び込むわけです。
日本の軍事力が小さいからこそ戦争が起きるのだという事が、左翼連中にはわからないのでしょう。
周辺の国が手を結んで対抗する姿勢を見せるからこそ、戦争が起きないのです。
役に立たない団塊世代の左翼
さて、最近は、リタイアしたいわゆる団塊の世代が、生きがいを求めて社会進出をされています。
私はそういう方と仕事をする機会もあるのですが、左翼思想の人は、大体仕事の役に立ちません。
理想や言葉だけ立派で、現実的に仕事を進める能力のない人は、たいてい左翼思想の持ち主です。
安保闘争や労働組合の活動に没頭していた人というのは、大体使い物になりません。
責任の果たせない人は、政治でも社会でも会社でもまったく必要とされません。
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