加藤嘉一氏といえば、「中国で一番有名な日本人」と言われながらも、「合格していた東京大学を蹴って北京大学に留学した」や、その他数々の学歴詐称が話題となった方です。 しかも、結局は2012年に「南京大虐殺を否定した」(実際は「あったかどうかわからない」と言った)ことで中国を追われ、同年アメリカに拠点を移しました。
以前は中国のよいしょ記事しか書けなかった加藤氏ですが、少しは客観的にみられるようになったのか、読めるポイントのある記事を発見しました。
加藤氏は、秋葉原の某電気店で、日本に帰化し、日本の氏名で仕事をしている1人の“中国人女性”Nさんに出会ったそうで、次のやりとりが印象的だったそうです。
『「帰化したとはいえ貴方も中国人ですよね?(中略)何か感じることや思うところはありますか?」
『Nさんは表現欲に火がついたかのように語り始めた』そうで、『「私が一番イヤな状況ですが、中国人観光客に対して“これはメイド・イン・ジャパンの炊飯器ですよ。メイド・イン・ジャパンの製品ですよ”と宣伝していると、往々にして中年の男性が横から口を挟んできて、腹を立てて言うのです。“メイド・イン・チャイナのどこが悪いんだ!?”と」
「私は別にメイド・イン・チャイナが悪いと言っているわけではありません。そんなことは一言も口にしていません。ただ、彼らは日本に観光に来ていて、そのほとんどは日本の商品やサービスを良質だと認識しているわけです。一店員である私がそこを強調し、商品を売り込もうとするのはごく自然なことでしょう。でも彼らは怒ってしまう。仮にもお客様ですから、私は礼儀正しく振る舞い続けるしかない。ただ内心は不満だらけです」』と。
また、『2012年から2015年にかけて、私はボストンとワシントンD.C.で生活していたが、そこで学ぶ中国の大学院生たち(その多くは中国国内で学部を卒業していた)と米国の自由や民主主義、憲法の精神といった制度や価値観に関して感想を述べ合い、それらがいかにして米国を現在のポジションまで引き上げてきたかといった内容を議論していると、必ずと言っていいほど(特に男子学生から)出てくる反応がある』と。
「しかし、米国には高速鉄道すらないではないか?」
「ボストンの地下鉄はいつの時代のものだ? 古くてボロすぎる」
「あの建物、どれだけ長い間改装すればいいのだ」
『曲がりなりにも中国人と付き合ってきた人間として、彼ら、彼女らの民族感情を尊重すべく、私は米国の制度や価値観の優位性を議論する際に、極力中国との比較を避けている。日本を引き合いに出すのも避けるようにしている。 それでも、「貴方はそうやって間接的に中国を批判しているのでしょう」と聞こえてしまっているようだ。上記のコメントの背後にある潜在意識は、言うまでもなく「中国だって負けていない。いや、我々のほうが優れている場合もある」といったところだろう。Nさんに対してつっかかる「メイド・イン・チャイナのどこが悪いのだ!?」と、根源的には一緒である』と。
ここでのやり取りは、中国で外国人教師をしたことがある人なら、だれしもが体験することでしょう。
また、中国語の堪能な外国人も体験したことがあるでしょう。
外国人教師として外国の習慣を教えても、外国人として外国のよもやま話をしても、「中国中心」にしか考えられないのです。
劣等感と卑屈さを攻撃に変えてしまうのが中国人メンタリティーなのです。
ようは、本当にメイドインチャイナがいいと思いたいなら、本当に外国製品の品質を超えてみればいいわけです。
本当に中国の社会がいいと思いたいのなら、実際に中国社会の生活環境を快適に変えればいいわけです。
そんな努力はしない、しようともしない連中が、口先だけで「自分たちのほうが勝っている」と偏狭なナショナリズムを沸き立たせているわけです。
人がほめてくれないから、自分でほめてしまうんですね、攻撃性を加えて。
これが、中国で教育を受けてきた中国人の限界です。
文章全体としてはまだまだ中国に気をつかった書き方をしていますが、こうした中国人の習性を書くようになったところをみると、加藤嘉一氏もちょっとはまともなことが書けるようになってきたようです。