今週は済州島の概要について紹介しています。
今日は行政区画のことを簡単に。
まず、済州島(とその付近のいくつかの島)は「済州特別自治道」(略称「済州道」)という地方自治体の行政区域です。
「道(ド)」というのは、日本で言う都道府県にあたります(日本にも「道」が一つありますね)。
ちなみにキョンアさんの故郷・莞島(ワンド)は全羅南道という「道」に、僕が以前留学していた大邱(テグ)は慶尚北道という「道」に属しています。
済州島は北海道のように島全体が一つの「道」となっているわけです。
「道」の下の行政区分は「市(シ)」または「郡(グン)」です。
済州道には済州市(チェジュシ)と西帰浦市(ソグィポシ)という二つの「市」があります(「郡」はありません)。
人口は済州市が約49万人、西帰浦市が約18万人で、済州道全体では67万人程度です。
ただし、住居地を移していない一時移住者などを含めると、70万人以上はいるようです。
ちょうどいい地図があったので、ここからはその地図を見ながら説明します。
↓済州島紹介HPより引用
こちらご存じ楕円形の済州島。
地図を見ると、東西に一本の白い線が引かれています。
この線の北側が済州市、南側が西帰浦市の行政区域です。
さらに細かく見ると、北側の中央(水色のところ)に「済州市」と書いてありますね。
ここが済州市のいわば市街地で、ここはまた細かく「洞(ドン)」という小さな行政単位に分かれています。
「済州市」のすぐ下にある「西帰浦市」も同じで、ここが西帰浦市の市街地だということです。
ここもまた「洞」で細かく分かれています。
いわば東京23区のようなイメージでしょうか(人口はだいぶ違いますが)。
やや複雑なので「洞」の説明はまた今度。
大きく見ると、北が済州市で南が西帰浦市の管轄です。
地図を見ると、済州市は6つの区域に、西帰浦市は7つの区域に分かれていますね。
これは「市」の下の行政単位である「邑(ウプ)」あるいは「面(ミョン)」と呼ばれるもの。
細かい定義はよくわかりませんが、「邑」が「面」よりも人口が多く経済規模が大きい地域のようです。
ちなみに、上に書いた「洞」も「邑」「面」と同じレベルの行政単位になるようです。
済州市は西から「翰京面(ハンギョンミョン)」「翰林邑(ハルリムウプ)」「涯月邑(エウォルウプ」「済州市(市街地)」「朝天邑(チョチョンウプ)」「舊左邑(クジュアウプ)」。
西帰浦市は西から「大靜邑(テジョンウプ)」「安德面(アンドクミョン)」「中文(チュンムン)」「西帰浦市(市街地)」「南元邑(ナムォンウプ)」「表善面(ピョソンミョン)」「城山邑(ソンサンウプ)」に分かれています。
このうち西帰浦市の「中文」は「邑」でも「面」でもなく、いくつかの「洞」で構成されている地域なので、西帰浦市の市街地に含まれることもあります(中文は単独で有名なので、便宜上こういうふうに分けてあるのだと思います)。
ちなみに、僕が今まで住んだことのある地域は…
①済州市涯月邑=済州観光大学在籍時/2011年~2012年)
②西帰浦市城山邑=キョンアさんが2年滞在、僕は時々居候
③西帰浦市南元邑=友人経営のゲストハウス管理/2020年7月~2021年2月
④済州市我羅洞(アラドン)=済州大学在籍時/2021年2月~2023年2月
⑤済州市老衡洞(ノヒョンドン)=卒業後一時滞在/2023年2月~4月
⑥西帰浦市東烘洞(トンホンドン)=2023年4月~現在
けっこう引っ越ししてますね。
おかげで済州島の地理がだいぶ頭に入ってきました。
※次は土曜日に更新します
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↓済州市の市街地について
↓南元邑について
↓地図の引用先